多滿寸太禮卷第六 直江常高冥婚の怪
[やぶちゃん注:基礎底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこれ(PDF・第六巻一括版)。挿絵は国書刊行会「江戸文庫」版の木越治校訂になる「浮世草子怪談集」のそれをトリミング補正して、適切と思われる箇所に挿入した。作中に出る「今様」の唄は、底本では全体が一字下げのベタであるが、句を概ね分割して、字空けを施して示した。なお、太刀川清先生の論文『「牡丹灯記」受容の系譜 (二)』(一九八八年十二月発行『長野県短期大学紀要』巻四十三所収・PDF)によれば、本篇は唐の伝奇小説「才鬼記」『所収の「曽季衡」の翻案で』あり、浅井了意の「伽碑子」の巻之十の「祈(いのり)て幽靈に契る」で既に先行翻案がなされており、本篇はそれに『因んだものであるが、翻案に過程で「牡丹灯籠」はなくてはならないものであった』と述べておられる。私はそちらでは、原拠考証には手をつけないことにして電子化注しているが、ここで因んで、「伽婢子卷之三 牡丹燈籠」とともにリンクを張っておくこととする。
漢詩部分は白文をまず示し、以下に読みに従って書き下したものを附した。底本では二段組であるが、一段で示した。]
直江常高(なをえつねたか)冥婚(めいこん)の怪(け)
石刕津和野の城は、そのかみ、尼子(あまこ)義久の家臣、皆川玄蕃頭(《みながは》げんばのかみ)居城として、代々城主たりしが、毛利家の一族、吉川(きつ《かは》)、小早川(こばや《かは》)、兩將として、攻め落し、直江和泉守が嫡男、又太郞常高といふものに、軍士、あまた、指しそへて、此城を守らせらる。
[やぶちゃん注:「直江常高」不詳。主人公が架空であればこそ、以上の実在武将らの注を附す必要性は感じない。話柄内時制は安芸の戦国大名毛利元就の大内氏領周防・長門への侵攻作戦である「防長経略」(天文二四(一五五五)年~弘治三(一五五七)年)辺りと考えてよかろうか。]
此常高は、手、いまだ三十にこへず[やぶちゃん注:ママ。]、勇力(ゆうりき)の聞えあり。文武に達し、容貌、又、ゆうびにして、智謀、尤も、ふかし。當城(《たう》じやう)を預り、すでに、みとせが内に、十一度、城(しろ)をかこまるゝといへども、更に事ともせず、堅固に、これを持ちかためければ、元就公も、『世になき者』に思召て、數ヶ所(すかしよ)の大庄(たいしやう)、あまたよせられければ、軍士、多く、つのりて、此城を根城(ねじろ)として、數ヶ所の砦をかまへ、石刕、大半、うちなびけたり。
爰に、本城の戌亥に、一かまへの別殿(べちでん)あり。
そのかまへ、後(うしろ)の山に寄せ、前には流れをうけて、並木の松・櫻、こずゑをそろへ、白き眞砂、きよらかに、色々の「まき石」、木(こ)のま木のまの釣灯炉(つりどうろ)、玉(たま)なす濱かと、あやしまる。やり水の流れにそふて、鴛(をし)。厂金(かりがね)の、人になれて、岩まの陰にやどり、梟(けう)、こずゑに身をうごかし、庭より階(はし)をあがれば、繪かきたる杉戶をひらき、長廊下、うちつゞき、書院、きらびやかに、奧には、たれ簾(す)の數(かず)をさげ、絹ばりの障子、紅《くれなゐ》の房(ふさ)付《つき》し繩に、鈴をつけて、引《ひき》わたし、四壁(《し》へき)は、金地(かな《ぢ》)に色々の花紅葉(はなもみぢ)を、手を、つくして、かきたり。いかなる禁闕(きんけつ)も、是には過じとぞ、おぼえし。
向ひの築山の陰に、いとやさしき藁屋をつくり、和歌の三尊を床(とこ)にかけ、四方に歌仙三十六人の姿を、さも、いつくしく書きたり。とし月をふると、おぼしくて、草はさながら、軒を埋み、蔦かづら生ひ茂りて、壁をつらぬき、見るに哀れを催《もよほ》せり。
「いかなる人の、こゝを栖(すみか)としつらむ。」
と、しらぬ昔を思ひやり、近邊(きんぺん)の里の長(おさ)をよびて、此事を聞くに、
「前(さき)の城主、皆川どのゝひとり姬(ひめ)、近國不雙の美人の聞え候ひしが、さる色好みにて、常に和歌を友とし、月にめで、花にたはむれて、寵愛、いはむかたなし。『いかなる人をも取《とり》むかへて、榮ゆる末をみ給はん。』と、いたづらに年を送り給ひしが、十七の春、いさゝかのえやみにて、はからず、空しく成り給ひ、父母(ちゝはゝ)の御歎き、申《まをす》も計(はか)りなし。かの人、明暮、住み馴れ給ひし御屋形(《おや》かた)とて、少《すこし》も、こぼちたまはず。常には、これにおはして、ふかく跡をしたひ給ひしとかや。その御前(《ご》ぜん)の御所とこそ承はり候へ。」
とぞ、くはしく語りける。
常高、情けある者なれば、敵(かたき)とはいへども、さすがに余所(よそ)の哀れを感じ、其まゝにうち置き、折々は、かの亭にて、興を催し、遊びけるに、何(なに)とや覽(らん)、むかしの、その面影も戀しく、いつとなく、心に、ふかく、思ひやりける。
ある夜(よ)、月あかきに、名香(めいかう)を燒(た)き、茫然とながめしが、來(こ)しかたを思ひやりて、
寂歴苑林趣不稀
蝉聲漸帶夕陽微
深更開戶假寢坐
月歩錦帳影尚赴
(寂歴 苑林(おんりん) 趣き 稀(まれ)ならず
蝉聲(ぜんせい) 漸く帶びて 夕陽(せきやう) 微(ほそ)し
深更 開きて 戶を假寢して坐すれば
月 歩(ほ)して 錦帳を 影(かげ) 尚《なほ》 赴(はし)る)
と詠吟して、
『哀れ、よからん歌もがな。』
と、心に深く打ち案じけるに、並木の松の木陰より、いとやさしき聲にて、
いかにかく心にむかし目に淚うかぶもつらき水の月かげ
かく、聞えければ、ふしぎに思ひて、庭の面(おも)を詠(なが)めやりけるに、そのさま、ゑん[やぶちゃん注:ママ。]にやさしき上﨟(じやうらう)の、容顏、月にかゝやき、みどりの眉墨あざやかに、紅(くれなゐ)のはかま踏みしだき、ねりきぬを、うちかづき、さもうつくしき女(め)の童(わらは)をぐして、忽然と、たゝずみたり。
天人のあま降(くだ)りけるか、巫山(ふざん)の神女(しんによ)の雲と成りし俤(おもかげ)も、かくや、とあやしまる。
此の心に、怖ろしさも打忘《うちわす》れ、常高、いそぎ、庭におり立ち、近く、よりそひ、御手をとり、
「いかなる人にておはしませば、夜更(よふけ)、人まれなる所に、かく、たゝずませたまふ。」
と、いへば、女、うち笑ひ、
「またせ給へばこそ來りたれ。いかなる者とは、のたまふぞや。君、いにしへをしたひ給ひ、御《み》こゝろ、切(せつ)にわたらせ給へば、しばらくのいとまを得て、かく、まみへ奉るぞや。」
と、打ち笑ひて宣へば、常高、心に思ふやうは、
『何樣(なに《さま》)、わが心中を察し、いかなる魔緣化生《まえんけしやう》の者、我をたぶらかすらん。たとひ何(なに)にもせよ、かゝる人に、一夜(いちや)もそひてこそ、此の世に生(むま)れし本意(《ほ》い)にもあらめ。』
と思ひ、
「いとやさしきおんこゝろ、いつの世にかは忘れ參らすべき、夢の中なるうたゝねも、しばしのほどのかり枕、いさらせ給へ。」
と、御手(みて)をとり、寢殿にいざなひて、酒をすゝめ、興をなす。
[やぶちゃん注:「いさらせ給へ」意味不明。「いざる」(躄る・膝行る)で、「どうぞ、奥へお進みなされませ。」の意か。]
余所(よそ)の目には、更に、見えず、唯(たゞ)、言(こと)ばのみぞ、かよひける。
是れよりして、曉にわかれ、暮に來《きた》る。
已(すで)に月日を送るに、政道用心の心も、うせ、ひたすらに、うち篭(こも)りゐけり。
諸士《しよさむらひ》をはじめ、みなみな、うとみ、ふしぎの事にぞ、思ひける。
又太郞がめのと子に、上木(うへき)八郞といふ、老功(らうこう)の武士(ものゝふ)あり。
常高、にはかに、かく不行義(《ふ》ぎやうぎ)をふるまふ事、不審に思ひ、身近くつかはるゝ者を呼びて、ひそかにとふに、始終(はじめをはり)を語り、
「皆人《みなひと》の目には、かゝらざれども、只人(たゞびと)に逢ふて、うつゝなく語らひ給ふ。」
といへば、八郞、
『すはや。』
と思ひ、
「我、きゝつたふる事、あり。」
と、かの亭に忍び入《いり》、壁を、少し、つき明けて、これをのぞくに、常高、一連の骸骨と、手枕(たまくら)をかはし、さまざまの、むつ事を、かたる。
その傍らに、少《ちさ》きぼうこの、人のごとくにうちわを持ち、これを、あふぐ。
上木、つくづくとみるに、ものごし、女の風情(ふぜい)、すべて、人のはたらきのごとし。
能々(よくよく)見課(みおほ)せて、歸り、夜明けて、急ぎ、常高に近づき、御姿(おんすがた)を見奉るに、憔悴して、神氣(しんき)を奪はれ、眼肉(がんにく)、おち入《いり》て、毛口(もうこう/けのくち[やぶちゃん注:右/左の読み。])、悉く、不淨を、ふくむ。
「いかさまにも。御命(おんいのち)、すでに近きに、うせん。これ、ひとへに、妖怪(ようけ)のなす所なり。いかなる事のおはしますぞ。」
と、淚をながし、申せば、常高、おどろき、ありし事ども、具さにかたり、
「先の城主の娘、來り、夜ごとに、契りかはす也。」
上木、承はり、
「吾、これを聞きて、忍び見しに、骸骨、來りて、君が情(せい)を吸ふ。凡そ、人、死しては、陰に歸り、受生(じゆしやう)の間(あいだ)は、中有(ちうう)にまよひ、此の氣(き)、役病(えきびやう)となり、或は、氣にのつとりて、祟りを、なす。陰氣、陽に克(か)つ時は、種々(しゆじゆ)の姿を顯はし、異形(いぎやう)の殃(わざは)ひあり。これ、全く、求めて來(きた)るに、あらず。我が心と、生(しやう)ずるところ也と社(こそ)承はり候へ。君(きみ)は、暫く篭居(らうきよ)し給へ。我等、まかりて、退(しりぞ)け侍らむ。」
と申せば、常高、此の事を聞きて、忽ち、顏色(がんしよく)かはり、身の毛、よだちたり。
上木は、たゞ一人、かの亭に徃きて、心を靜めて待つに、案のごとく、人音(《ひと》おと)して、來(きた)る者(もの)あり。能々(よくよく)みれども、更に、その姿も見えず。上木、大音あげて申《まをし》けるは、
「死する者は、陰にして、にごれり。生(しやう)は、陽にして淸(す)めり。なんぞ、みだりに妖怪(ようけ)をなして、神氣(しんき)をうばふ。速やかに立ちさるべし。然らずんば、天神地祇(てんじんちぎ)に申て、神罸(しんばつ)を、くはふべし。」
と叱(しつ)すれば、
「あな、侘びし。何者にや。」
といふ聲して、音もせず成りにき。
「猶も、ふしぎのありもやする。」
と、其の夜(よ)は、かの亭に、ふしぬ。夜半比(よなかごろ)まで、いねも、やらず、曉方(あかつきがた)に、少し、まどろみける夢に、さも、いつくしき上﨟、
「我、死して、五とせ、世界に逍遙す。しかれども、とし比、この所に住みなれて、執心、はなれやらず。たまたま、宿世(すくせ)の緣ありて、人にまみえけるに、ながく、階老のちぎりをなさむと悅びしに、計(はか)らずも、汝に、へだてられつる恨めしさよ。」
と、いかれる姿(すがた)、面(おもて)も替(かは)りてすさまじく、はしりかゝるに、枕本(まくらもと)に立(たて)たる太刀(たち)につまづき、倒(たふ)るゝとみえて夢(ゆめ)さめぬ。
ふしぎにおぼえて、あたりをみるに、さらに、人、なし。夜も漸々(やうやう)、明けければ、急ぎ、かへりて主(しう)にかたるに、肝(きも)をけし、禰宜・山伏を呼びて、祈らするに、更に、きどくも、なし。
かくて、廿日(はつか)あまりを過《すぎ》て、ある夜(よ)、月、さえて、何(なに)となく戀ひしかりければ、常高、かの亭に、うかれ出けるに、例(れい)の女、又、あらはれ出《いで》、常高が手をとりて、恨み、くどきけるに、心、ひかれ、卽ち、ともなひて、女の住家(すみか)に入りぬ。
かくて、夜明けても、常高、みへざれば、上木をはじめ、郞等ども、不思議の思ひをなし、彼(か)の亭に押し入《いり》てみるに、なし。
遙かの築山の陰を過ぎて、岩際《いはぎは》のかくれに、一つの卵塔、あり。
ゆきてみるに、石を以つて、四邊の垣となし、同じく、靑(あを)めの石にて、卵塔の戶びらを立てたり。
[やぶちゃん注:「靑めの石」青瑪瑙のことか。]
その扉(とびら)の合せめに、小袖の裾(すそ)、少《すこし》、みえたり。
頓(やが)て、大勢、立ちかゝりて、ひらきみるに、さも、結講なる棺(くわん)に、一具の骸骨をいだきて、常高、前後もしらず、伏したり。
郞等ども、肝を、けす。
「おどろかすは、何者なれば、わが遊興を妨(さまた)ぐるぞ。遺恨なれ。」
と、太刀に手をかけしを、漸々(やうやう)と取りこめて、本城にうつし、扨、その墓を、ほりこぼちて、悉く、取りあつめ、燒き捨てたり。
常高は、心、ばうばうと成りて、人心(ひとごゝ)ちなかりしを、とかく、いたはりければ、月を越《こえ》て、人心ち出來(いでき)けり。
されども、此の事、つゝむとすれど、世につたへて、嘲(あざけ)り笑ひけるを、口惜しき事に思ひて、其の後(のち)、いくばくなく、「濱田の合戰」に、比類なき働きして、其の身も討死しけるとかや。
[やぶちゃん注:「濱田の合戰」不詳。]
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