「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 鏡磨に石榴を用ひし事
[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。
以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。注は各段落末に配した。彼の読点欠や読点連続には、流石にそろそろ生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え、句読点を私が勝手に変更したり、入れたりする。引用の一部の記号を変更した。なお、本標題は「かがみとぎにざくろをもちひしこと」と読んでおく。]
鏡磨に石榴を用ひし事(大正五年六月考古學雜誌第六卷十號)
京傳の骨董集上編上十六に、室町時代鏡磨に石榴を用ひし由云《いふ》た後に、「じやくろなりけりいのちなりけり」「かゞみとぎさ夜の中山けふ越《こえ》て」と守武の句を引いて、斯《かか》れば天文の頃も石榴を用ひたるべしと云ひ、次に鏡磨の古圖を出し、畫風をもて考《かんがふ》るに貞享、元祿の初め頃、畫きたらんと見ゆれど、元祿三年板人倫訓蒙圖彙に、鏡磨には錫《すず》かねのしやりと云《いふ》に水銀を合せて砥《と》の粉《こ》を雜《まぢ》え梅酢にてとぐ也とあれば、當時は石榴は用ひざるべし。古畫に基きて畫けるにや、と有る。其圖は、矢張り、水銀と錫の合せ物を用ひ、梅酢の代りに石榴汁を使ふ所と見ゆ。按ずるに、犬子集(寬永十年成る)九、重賴の句に、「秋は柘榴の實を好む人」、「月程な鏡のくもりときはらひ」、同十、貞德の句に、「鏡によきは白みなりけり」、「ひともじにまぜて出だせるこゝり鮒」とあれば、寬永年中も白み(錫、汞《こう》の合金)を用ひ、同時に梅酢でなく、石榴汁を用ひたらしい。(四月九日)
[やぶちゃん注:「骨董集」岩瀬醒(さむる:戯作者山東京伝の本名)の随筆。大田南畝序。全三巻四冊。文化一一(一八一四)年から翌年にかけて刊行された考証物。江戸の風俗・服飾・器具・飲食等の起源や沿革を考証したもので、図解が多い。寛政改革の出版取締令による手鎖五〇日の刑に処せられて以後、京伝は洒落本の筆を断ち、考証随筆に精力を注いだ。「近世奇跡考」に次ぐものが本書であるが、著者の逝去により、上編のみで未完である(平凡社「百科事典マイペディア」に拠った)。国立国会図書館デジタルコレクションでは、「竹馬」の項はここで、図は二つが次にある。国立国会図書館デジタルコレクションの画像は補正しても、地が焼けていて不満足なので、所持する吉川弘文館随筆大成版のそれをトリミング補正して、以下に示し、電子化する。太字は原本では囲み字。句読点や記号を打った。【 】は二行割注。読みは振れそうなものに限った。一部に濁点を打った。
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石榴風呂 附 鏡磨十六
醒睡笑【元和九年[やぶちゃん注:一六二三年。]作、萬治元年[やぶちゃん注:一六五八年。]板。】二之卷に云(いはく)、『いづれもおなじことなるを、つねにたくをば、風呂といひ、たてあけの戶なきを拓榴風呂とは、なんぞいふや。「かゞみいる」とのこゝろなり』、醒に云、『かくいへるは、庾詞(なぞ)なり。「屈み入(いる)」といふを、「鏡鑄(かゞみいる)」といふに、とりなしたるなり。昔は、鏡を磨(とぐ)に石榴(ざくろ)の實の醋(す)を用(もちひ)たるゆゑなり。今は梅の醋をもちゆ。
七十一番職人盡歌合「かゞみとぎの月」の歌に、
水かねやざくろのすますかげなれやかゞみと見ゆる月のおもては
繪にも、鏡磨(かゞみとぎ)のかたはらに、石榴をおきたる所を、かけり。此歌合は文安・宝德[やぶちゃん注:一四四四年から一四五二年。室町後期。]のころに、つくりしものといヘば、因(より)きたること、久し。
守武獨吟千句天文九年[やぶちゃん注:一五四〇年。]吟、慶安五年[やぶちゃん注:一六五二年。]刻、
前句 じやくろなりけりいのちなりけり
附句 かゞみとぎさ夜の中山けふこえて
かゝれば、天文の比(ころ)も、石榴を用たるべし。是等をもて、案(あんずる)に、今、江戸の錢湯に「石榴口(ざくろぐち)」といふ名目(みやうもく)あるは、「石榴風呂(ざくろぶろ)」のなごりなるべし。然(しかれば)、則(すなはち)、「石榴口」は「石榴風呂」より出たる名目にて、「ざくろ風呂」は、鏡磨より出(いで)たる名目なり。かゝるやくなきことも、參考して、よくしるれば、おもしろし。
[やぶちゃん注:「石榴風呂」というのは柘榴口を持った湯屋(ゆうや)のこと。]
[やぶちゃん注:キャプションは、
七十一番(ばん)職人尽(しよくにんづくし)
鏡磨圖(かゞみとぎのづ)
文安・宝德は、今、文化十年[やぶちゃん注:一八一三年。]より、およそ三百六十余年の昔なり。
である。]
[やぶちゃん注:キャプションは(《 》は私の推定読み)、
鏡磨(かゞみとぎの)古圖
画風をもて考(かんがふ)るに、此繪は貞享・元禄のはじめのころ、ゑはきたらんと見ゆれど、元禄三年[やぶちゃん注:一六九〇年。]板人倫訓蒙啚彙に、『鏡磨(かゞみとぐ)には、「すゞかねのしやり」といふに水銀(みづがね)を合(あはせ)て、「砥(と)の粉(こ)」をまじへ、梅酢にてとぐ也。』とあれば、當時(そのころ)は、石榴は用《もちひ》ざるべし。古画にもとづきてかけるにや。
である。]
[やぶちゃん注:同前で、
因(ちなみ)に云(いふ)、「鶴岡職人尽歌合」、「かゞみ磨の恋の歌」に、
〽露ふかきかたばみ草(くさ)をたもとにてしばりかくればおもかげもなし
かゝれば、昔、酢醬草(かたばみぐさ)の酢をもちひて、かゞみを磨(とぎ)たることもありしならん。
とあり、さらに、下方の柘榴の実の右に、
ざくろ
とあって、左下方に、絵師の、
蘭斎縮冩
という署名がある。「酢醬草(かたばみぐさ)」はカタバミ目カタバミ科カタバミ属カタバミ Oxalis corniculata のこと。当該ウィキによれば、『葉や茎は、シュウ酸水素ナトリウムなどの水溶性シュウ酸塩を含んでいるため、咬むと酸っぱい。シュウ酸は英語で oxalic acid というが』、同物質が初めて『カタバミ属』 Oxalis 『の葉から単離されたことに由来する。また、葉にはクエン酸、酒石酸も含まれる』とある。
「犬子集」(ゑのこしふ(えのこしゅう))は江戸初期の俳諧集。全十七巻五冊。京の俳人松江重頼(しげよし)の編になる。寛永一〇(一六三三)年刊。「守武千句」・「犬筑波集」以後の発句・付句の秀作集。
「汞」水銀のこと。]
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