鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「十九 產れ子の死にたるに註を爲して再來を知る事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇は収録されていない。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。踊り字「〱」「ぐ」は正字化した。適宜、オリジナルに注を附す。]
十九 產(うま)れ子(こ)の死にたるに註(しるし)を爲(な)して再來を知る事
濃州(ぢようしう)池田の鄕(がう)に、又右衞門(またゑもん)と云ふ者あり。
其女房、面(おもて)半分、薄墨色(うすゞみいろ)なり。彼(か)の謂(いは)れを聞くに、彼(か)の女房の親、子供を、多く、ころしけり。
或時、子(こ)、死にければ、彼(か)の女房の母、
「子、數多(あまた)死しけり。」
とて、其(その)子守、鍋墨(なべずみ)を手に塗り、死したる子の片面(かたつら)に塗り付け、
「頓(やが)て生(うま)れ給へ。」
と云うて、捨てけり。
其子、頓(やが)て生れ來て、後(のち)まで、そだちけり。
此女房、五十ばかりの比、見たる人、語るなり。
[やぶちゃん注:中央に展開部の書き方が不全であり、使用している言葉もよく選んで書いたものとは思われない。上手く書けば、それなりに、いい話になったろうに。
「濃州池田の鄕」岐阜県揖斐(いび)郡池田町(いけだちょう)。
「彼の女房の親、子供を、多く、ころしけり」貧困であったから仕方なく間引きしたか、或いは、中には、そうした過去の経験から、育てることに注意が払われずに、結果、その後の子らも、皆、死なしてしまったということか(但し、続く第二話の足軽のケースは、同年齢で「三人まで子をころし」たが、それを「餘り不思議に思」って、と続くことから、そちらには、男親として子を育てる意志がない確信犯の故意の子殺しのニュアンスがあるようには読める)。当初、『「其子守、鍋墨を手に塗り、死したる子の片面に塗り付け、」はせめて母が命じて「塗り付けさせ、」とし、「すべきところだろう。』などと感想を持ったのだが、初版板本でもそんな痕跡はなく、とすれば、これは、母の思わず口を出た後悔とも言える述懐である「子、數多(あまた)死しけり。」を耳にした子守が、あまりに感に堪えなかったから、かく半面に墨塗りをし、哀れな死んだ子に「頓て生れ給へ」という台詞呼びかけたのだと考えるべきであろう。「何だ、子守を雇う金はあったから、極貧じゃ、ないじゃないか。」というのは、当たらない。子守を条件に飯を食わせてくれるならば、幾らも子守の成り手はあった。寧ろ、この母が、子をちゃんと育てたいと思えばこそ、子守を雇っているのであるから、やはり育児の完全放棄、無慈悲の子捨て・確信犯の子殺しなどではないことは明らかである。
「捨てけり」嬰児・幼児の遺体を野辺に捨てるのは、古くから普通に行われていたことで、特に惨酷な行為とは考えられていなかった。鎌倉の武家屋敷跡の発掘時、当時の排水溝から、嬰児の死体が多量のゴミと一緒に出土している。因みに、よく言う「三歳(或いは七歳)までは神の子」という言い方には、大切な存在というポジティブな印象の影に、古い民俗社会ではブラッキーなニュアンスも潜んでいると私は考えている。その年になるまでは、まだ、人間ではない、だから、人間扱いして葬儀などせずに野辺に遺棄してよいという、本来は、都合のいい大人側の合点が含まれていたのではなかろうか?]
○江州佐和の足輕に、二歲づゝにて、三人まで、子をころしたる者有り。餘り不思議に思ひ、小刀にて、腕をつき、捨てけり。
然るに、四人目の子、產れけるに、確かに其疵有りけると、さる人、語るなり。
[やぶちゃん注:これは前注で示した通り、数え二歳で三人も子を殺したというのは、前のような慈悲や事故・過失とは解釈出来ない。育てる意志がないから、確信犯で子殺しをしているニュアンスである。しかし、三度目の仕儀の時、殺した後に、この繰り返しを何らかの因果と感じ、何気なく、遺体の腕に印をつけて捨てた。そうして四人目の腕にそれを見出し、自分が殺した最初の子は、殺した後も三度も私の子として再び転生し続けたのだと悟って、因果の不思議を感じ、四人目の子は大事に育てたという予定調和の物語としてとるべきであろう。]
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