鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「三十六 精靈棚崩れて亡者寺に來る事」・附「助緣」一覧「中卷」刊記 / 「因果物語」中卷~了
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇以下の中巻の「二十九」から最後の「三十六」及び附記までは全く収録されていない。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。
本篇の最後の部分には、この巻のみの特異点であるが、「助緣」者(ここまでの採話を助けてくれた関係者)の一覧(但し、地域と僧俗の区別のみ)と「中卷」刊記記載がある。それを後に附けた。]
三十六 精靈棚(しやうりやうだな)崩れて亡者寺に來(きた)る事
尾州智多郡(ちたぐん)、大野(おほの)と云ふ處に、後家あり、一人の娘を持つ。
宗十郞と云ふ者を、入聟(いりむこ)に取り、子、三人、有りし時、宗十郞、死す。
七月十四日に、母と、娘と、いさかひて、佛棚(ほとけだな)を打崩(うちくづ)し、備へたる供物を、皆、取り捨てけり。
旦那寺の泉藏主(せんざうず)、棚經(たなぎやう)誦(よみ)に來り、見れば、棚、打ちくづして有り。
故に經をも誦まず、寺へ歸り居(ゐ)る處に、死したる宗十郞、白き帷子(かたびら)を着、笠を、かぶり、寺へ來り、佛を拜む。
庫裡姥(くりうば)、是を見て、
「宗十郞、來(きた)る。」
といへば、泉藏主、聞き、
「それは不思議なり。」
とて、出でゝ見れば、施餓鬼棚(せがきだな)へ登りて、消え失せたり。
是は、泉藏主、弟子、物語りなり。
寬永年中のことなり。
[やぶちゃん注:「精靈棚」盂蘭盆に先祖の霊を迎えるための供物を飾る棚。盆棚とも言う。古くは、仏壇を利用せず、庭先や座敷に別に飾り、祖霊を迎えるための特別の祭壇を作った(近年では仏壇の前に設けるのが一般的)。十日から十三日の朝まで作るのが普通だが、新盆の家では、早く、一日から七日までに作るところが多い。仏壇の前の小机の上に真菰(まこも)や茣蓙(ござ)を敷いて、位牌を安置し、祖霊の往復に用いて貰うための、茄子の牛や胡瓜の馬などを作って飾る。その他、果物・菓子・故人の好物などを供える。地方によって違いがある。グーグル画像検索「精霊棚」をリンクしておく。
「尾州智多郡、大野」嘗つての愛知県知多郡大野町(おおのまち)で、現在は同県の常滑市大野町となっている。
「庫裡姥」寺内の厨房方を賄っている老婆であろう。
「寬永年中」一六二四年から一六四四年まで。]
助 緣
武州江戶 緇素若干人
江州澤山 僧俗若干人
尾州 緇素若干人
賀州 僧俗若干人
越前 僧俗若干人
肥前 緇素若干人
肥後 僧俗若干人
城州・京 緇素若干人
寬文元辛丑
臘月上旬日助緣開刊
因果物語中卷終
[やぶちゃん注:以上は、謂わば、ここまでの各話の提供者を、形式上、列挙することで、本書を通しての仏教の結縁(けちえん)を施す意味で、ここに記録したものと思われる。これを見て、最後の下巻で、正三に助力しようという者も出てくるであろうことをも予測した、話柄が足らなくならないようにするための用心(ここまでで恐らくは残りの話柄数が、下巻を埋めるに充分ではなかったのかも知れぬ)もあったように思われる。
「緇素若干人」と「僧俗若干人」は全く同じ意味である。「緇」は「黒衣」を指し、「僧衣」のこと、「素」は「白衣」で、「俗人の着る一般の衣服」の意から、僧侶と俗人となる。
「寬文元辛丑」(かのとうし/しんちゆう)「臘月」「臘月上旬」(ろうげつ)は十二月の異名。十二月なので、グレゴリオ暦では既に一六六二年で、一月二十日から二十八日の間ということになる。]
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