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2022/10/03

鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 上卷「八 愛執深き女人忽ち蛇體と成る事 附 夫婦蛇の事」

 

[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。但し、既に述べたように、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」に抜粋版で部分的に載っているので、その本文をOCRで取り込み、加工データとして一部で使用させて戴く。そちらにある(底本は東洋文庫岩崎文庫本)挿絵もその都度、引用元として示す。注も参考にするが、本話は生憎、選ばれていない。

 なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。

 本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。踊り字「〱」「ぐ」は正字化した。適宜、オリジナルに注を附す。]

 

    愛執深き女人忽ち蛇體と成る事

     夫婦蛇の事

 備中の國、松山の近處(きんじよ)、竹の庄と云ふ村の、庄屋の女房、山伏を陰(かく)し男に持つ。

 山伏、死して後(のち)、幽靈と成り、彼(か)の女と出合(いであ)ふこと、數年(すねん)なり。

 夫、怪しみ、終(つひ)に見出(みいだ)し、女房を耻(はぢ)しめければ、其儘、氣違ひて、怖ろしく狂ひけるを、牢舍(らうしや)させ置くに、次第に形(かたち)、替(かはり)、髮筋(かみすぢ)、針金の如くになり、眼(まなこ)光り、口は、耳まで切れ、即ち、角(つの)出でて、蛇(じや)と成る。

 其處に大なる池あるに、

「此池に入(い)るべし。是(これ)へ、鐘(かね)・大鼓(たいこ)にて、囃し送るべし。然(さ)なくば、此鄕(このさと)を、殘さず、取殺(とりころ)し、池と爲すべし。好(このみ)の如くせば、障(さは)るべからず。」

と云ふ。

 處の者共、畏怖(おぢおそ)れて、

「池に送るべし。」

と、談合(だんがふ)究(きは)めて、正保二年酉の六月廿八日に送りける由。

 備中笠岡、東雲寺の、江湖(こうこ[やぶちゃん注:ママ。])に在りし僧、佐和山大雲寺の春甫(しゆんぽ)、雜談(ざふだん)なり。

「海德寺の住持嶺的(れいてき)、六月廿七日に東雲寺へ來り、明日(みやうにち)廿八日に、池に送り入る由にて、

『我等、あたりの鄕中(がうちう)の者共、見物に行くなり。同じは、此の寺の僧達も、末代の物語りに行(ゆ)いて見給へ。』

と云ひけれども、九里(くり)の路なれば、行くこと、不叶(かなはず)。」

と、慥(たしか)に語られけるが、果して、廿八日に、大雨降ること、一時ばかり、噪(さは)がしかりしとなり。

[やぶちゃん注:最後の事実性の提示部分が、無駄に長い上に、意味がとり難くなってしまい、怪異の印象を有意に阻害してしまっている。真実性を高めようとした結果が、飽きさせるという怪談の失敗例である。

「松山の近處、竹の庄と云ふ村」不詳。愛媛県松山市竹原町なら、ここ

「正保二年」一六四五年。

「備中笠岡」岡山県笠岡市

「東雲寺」現在の笠岡市には、この名の寺はない。東雲院(真言宗)なら、東隣りの倉敷市にあるが、この寺の寺歴を見ても、笠岡にあった痕跡はない。

「江湖(こうこ)」「がうこ」が正しい。「江湖會」で「がうこゑ」と読むのが正しい。禅宗の、特に曹洞宗に於いて、四方の僧侶を集めて行なう夏安居(げあんご:多くは旧暦四月十五日から七月十五日までの九十日をその期間とした)の行を行うための道場を指す。本邦で夏の蒸し暑い時期を、行脚ではなく、屋内での座禅行を修する時期に当てたものである。

「佐和山大雲寺」現在の滋賀県彦根市河原にある曹洞宗青龍山大雲寺。佐和山城のある佐和山町の南西直近ではある。

「春甫」不詳。

「海德寺」この寺が頼みの綱であったが、愛媛県内には、この名の寺はない。

「嶺的」不詳。]

 

○勢州桑名の町に、向合(むかひあは)せに、十五歲の男の子と、十四歲の女子(をなご)とありけるに、女子、何となく、うろうろと、煩(わづら)ふ事、あり。

「其の容體(ようだい)、不思議なり。」

とて、委しく聞けば、

「向ひなる十五歲の男子を思ふ故なり。」

と云ふ。

 さる程に、向ひなる男子の親に語りければ、

「然(しか)らば、我子に此の由、知らせよ。」

とて、親しき友達に問はせければ、子も請合(うけあひ)ける間、迎へ取りて、寢屋(ねや)に入れけるに、日、高くなるまで起きず。

 不思議に思ひ、戶を明けて見れば、女子(によし)、男子(をとこゞ)の、頭(かしら)より肩まで、呑入(のみい)れて、女(をんな)の手にて、男の肩を押(おさ)へて、共に、死し居(ゐ)り。

「寬永十年のことなり。」

と、或人、語るなり。

[やぶちゃん注:「うろうろと、煩(わづら)ふ事」所謂、「ぶらぶら病」で、重篤な統合失調症辺りか。本篇、因果話としての構成がなされておらず、寧ろ、明かに、猟奇的で奇体なカニバリズム譚として楽しもうとする語り手の作為と、創作能力の非常な低さが露呈している、本書の中では、特異的に厭な感じのする一篇である。

「寬永十年」一六三三年。]

 

○江州大塜
村に、六左衞門と云ふ者、あり。常々、云ふは、

「我々夫婦は、たとひ死しても、此屋敷に、一所に居(ゐ[やぶちゃん注:ママ。])べし。死したりとも、塜をも、一つに、築(つ)くべし。」

と云うて、生(いき)て居(ゐ)る中(うち)に、石塔をも、きらせ、夫婦の形を、一つに切付(きりつ)けて、我(わが)屋敷の角(すみ)に立置(たてお)きけるが、程なく、六左衞門、死す。女房も三年の中(うち)に死にけり。

 然るに、まむし、二筋(ふたすぢ)、此塜
の上に、常住なはに成りて居(ゐ)ける間(あひだ)、村の者共、殺せども、殺せども、盡(つき)ず。

 正保年中、本秀和尙、其村、妙巖寺に住(ぢう)有つて、吊(とむら)ひ給へば、蛇(へび)、失せるなり。其石塔、妙嚴寺(みやうごんじ)の卵塔に堀込(ほりこ)[やぶちゃん注:「堀」はママ。初版板本も同じ。]み給ふ。塔(たふ)の頭(かしら)ばかり、少し、出で居(ゐ)るなり。

[やぶちゃん注:「江州大塜村」滋賀県東近江市大塚町(おおつかちょう)。

「常住なはに居(ゐ)ける間(あひだ)」意味不明。初版板本21コマ目)では、『常住ナワニ成(ナリ)テ居(イ)ケル間(アヒダ)』である。校訂した饗庭篁村は思うに、「繩」のつもりで、かく、変えたのであろうが、蛇が縄になったら、「居(ゐ)る」とは言わぬし、縄だったら、そのままにしておけば、或いは、蛇はやってこないのではないか? 捨てなければ、墓は、大した年月を経ずに、縄で埋もれてしまうであろう。今一つ考えたのは、「繩張り」の脱字を考えた。孰れにせよ、どうも座りが悪い。

「正保年中」一六四四年から一六四八年まで。

「本秀和尙」既出既注

「妙巖寺」大塚町内に現存する。曹洞宗。

「卵塔」これは「卵塔場」で、広義の墓地の意であろう。狭義の「卵塔」は、通常、僧の墓として建てるものであり、また、そもそも「掘り込む」という表現からも「墓場」の意である。]

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