鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「二十九 夙因に依て經を覺えざる事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇以下の中巻の「二十九」から最後の「三十六」及び附記までは全く収録されていない。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。なお、この標題の「夙因」の「夙」は、ここでは「昔」の意で、前世からの因縁である「宿因」と同義である。]
二十九 夙因(しゆくいん)に依(よつ)て經を覺えざる事
河内の國、古久保(こくぼ)と云ふ處に、願興寺(ぐわんきやうじ)と云ふ寺の小僧、利根(りこん)にして、能く經を讀めども、其内、一卷(くわん)、何(なん)と習つても、覺えず。
此を不思議に思ひ、佛神(ぶつじん)に祈りを掛ければ、夢想に、告あり、
「汝は、播州志總合(しそうがふ)に、寺、有り、彼(か)の寺の小僧なり。火のはたにて、經を誦(よ)みけるに、居眠りして、取り落(おと)し、經を火に入れて、燒き失ふ。此科(とが)に依て、彼(か)の經一卷、覺えず。」
となり。
小僧、則ち、播州へ行きて、尋ねければ、
「彼(か)の經、一卷、燒失(やけう)せたる。」
と云ふ。
過去の父母(ふぼ)、今に存命にて、彼の小僧を見、
「昔の我子に、違はず、聲、形も、能く似たり。」
とて、愛せしとなり。
[やぶちゃん注:前世の小僧の死を描いていない。播州の寺の一件で燃えたのは、当該の経一巻だけで、小僧が焼け死んだ訳ではない。しかし、既に亡くなって、今の小僧に転生している。前世の小僧の父母に謂いから見て、若くして亡くなったと思われ、その小僧が亡くなった様子と、その理由(因縁)を語ってこそ、真の因果話として完成するのに、と残念に思う。私はその辺に不満を持つ。
なお、この場合は、他の経は暗記出来るのに、前世で焼いた経一巻だけが暗記出来ない(読むことは出来る)という不思議であるわけだが、以上の前世からの因縁を感得したからには、覚えられ、彼は、この後。すぐれた名僧になったのであろう。
とすれば、一見、いい話に見える。しかし、不審がある。
それは、この一篇の最後が前世の父母の愛執で終わっている点である。何か暖かいエンディングだと思っている方も多かろうが、因果話としては、すこぶるよろしくないこと、明白である。「徒然草」の「あだしの野の露」を引くまでもなく、親の子に対する愛の執着は、最も忌避されるべき因業の妄執とされるからである。特に正三の支持する禅宗では、その禁忌が甚だ強い(諸禅師の伝記に老いて逢いに来た母と一切面会しなかったという話はごろごろある)。されば、私はこの話に、情では惹かれるところはあるものの、因果物語と名打つ以上、非常な違和感を持つのである。
なお、経の一定箇所が読めない、覚えられないといった前生夢(ぜんしょうむ)を含む因果譚は、特に「法華経」に纏わるものとして、さわにある。「今昔物語集」のそれらが知られるが(巻第十四中に計十三話が載る)、その出典は総てが、先行する「大日本国法華経験記」を原拠としている。中でも私が好きな話は、前世で蟋蟀(こおろぎ)であったという因果譚で、「越中國僧海蓮持法花經知前世報語第十五」(越中の國の僧海蓮、「法花經」を持して前世の報(むくい)を知る語(こと)第十五)で、幸い、「小泉八雲 蠅のはなし (大谷正信訳) 附・原拠」の私の注で電子化してあるので、未見の方は、是非、読まれたい。
「河内の國、古久保」「願興寺(ぐわんきやうじ)」不詳。中川区牛立町に浄土真宗大谷派尾頭山願興寺(がんこうじ)があり、近くの東北の金山駅の南西の中区正木に浄土宗国豊山元興寺(がんこうじ)があるが(両寺を入れたグーグル・マップ・データ)、「古久保」の古地名との一致を見出せない。ただ、この二つの寺院のある旧広域地名は「古渡」(ふるわたり)であり、東南には「古澤村」(ふるさはむら)という名も見出せる(「今昔マップ」参照)。参考まで。
「利根」生まれつき、賢いこと。 利発。
「其内、一卷(くわん)」ここで経の名を示せなかったのは痛い。
「播州志總合」不詳だが、「志總」は現在の宍粟(しそう)市と推定する。]
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