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2022/10/13

鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 下卷「十三 第二念を起す僧病者に若を授くる事」

 

[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇は収録されていない。

 なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。

 本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。なお、既に本書冒頭で注記しているが、「若」は「苦」の代用字である。この代用字は頻繁に本書に出現するので、一々注することは避けるので、悪しからず。OCRなどの誤判読を放置しているなどと、お考えになられるぬように。]

 

   十三 第二念を起(おこ)す僧(そう)病者に若(く)を授くる事

 寛永十七年に、濃州(ぢようしう)加納之城(かなふのしろ)、二(に)の丸殿(まるどの)の内に、「おいちや」と云ふ女の父、大病を受け、既に末期(まつご)に及べり。

 「おいちや」、餘りの悲しさに、關(せき)の龍泰寺(りうたいじ)の全石(ぜんせき)と云ふ僧、全久院へ來(きた)るを、

「幸(さいはひ)なり。」

とて、末期の勸めを賴みけり。

 全石、病人に向つて、經を誦(よ)み、坐禪しければ、病人、云く、

「扨々(さてさて)、此間(このあひだ)、胸中(きやうちう)、色々、禍(わざは)ひ、多くして、遣(や)る方(かた)なき若痛、唯今、俄(にはか)に、胸、凉しくなりて、煩ひ、少しも、なし。」

とて、悅びけり。

 然(しか)るに、三日程、過ぎて、全石、思ふは、

『「全久院の頓寫(とんしや)に逢へ。」と仰せありしが、往くべきやらん、又、止(とどま)るべきやらん。』

と、思案、出來(いでき)たり。

 其時、彼(か)の病人、

「やれやれ、亦、苦しく成りたり。唯今まで、心快(こゝろよ)くありしが、又、本(もと)の如く、悲しさよ。」

と若しむ。

 此由、全石、聞いて、

『扨は。我胸の思ひ、究め難き念の故か。』

と、強く、坐禪し、心を如何にも淸めて、經咒(きやうじゆ)を誦(じゆ)しければ、彼(か)の病人、胸、晴々(はればれ)として、快氣(くわいき)に成りたり。

 此時、全石、

『大事のことなり。』

と思ひ、彌々(いよいよ)坐禪しければ、二日、快(こゝろよ)くなりて、悅び、徃生を遂げたり、と、鐵心和尙の物語なり。

[やぶちゃん注:「寛永十七年」一六四〇年。

「濃州加納之城」当該ウィキによれば、『岐阜県岐阜市加納丸の内にあった城』で、『徳川家康による天下普請によって築かれた平城で、江戸時代には加納藩藩主家の居城となった』とあり、慶長七(一六〇三)年に』『奥平信昌』(のぶまさ)『が入った後、奥平氏の居城となった』が、寛永九(一六三二)年に『奥平忠隆が死去、嫡子がいないために改易されると』、『従兄弟の大久保忠職が入城、一時的に城主となる。その後の』寛永一六(一六三九)年に『戸田』(松平)『光重が入城』し、三代に亙って『城主を務め』たとあるから、時の城主は彼である。ここ

「二の丸殿」本丸東にあった。同前で、本丸に『天守は上げられず、代わりに二ノ丸北東隅に御三階櫓が建てられていた』とあり、その絵図と復元画像が載る。

『「おいちや」と云ふ女の父』二の丸内にいるからには、この父は、戸田光重の重臣と思われる。「おいちや」は城主、或いは、その正室・側室の侍女として勤めていたものか。

「關の龍泰寺」岐阜県関市下有知(しもうち)にある曹洞宗祥雲山龍泰寺

「全久院」加納城の近くの寺はこれらだが、同名の寺はない。「頓寫」は、その全久院の僧の名であろう。龍泰寺の住持から彼に逢うように命ぜられたために、この加納へ下りてきたのであろうから、それが本来、成すべき実務である。

「鐵心和尙」不詳。]

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