曲亭馬琴「兎園小説余禄」 己丑七赤小識(その5)
[やぶちゃん注:「兎園小説余禄」は曲亭馬琴編の「兎園小説」・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」に続き、「兎園会」が断絶した後、馬琴が一人で編集し、主に馬琴の旧稿を含めた論考を収めた「兎園小説」的な考証随筆である。
底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの大正二(一九一三)年国書刊行会編刊の「新燕石十種 第四」のこちらから載る正字正仮名版を用いる。本パートはここの左ページ下段の終りから七行目から。
本文は吉川弘文館日本随筆大成第二期第四巻に所収する同書のものをOCRで読み取り、加工データとして使用させて戴く(結果して校合することとなる。異同があるが、必要と考えたもの以外は注さない)。
句読点は自由に変更・追加し、記号も挿入し、一部に《 》で推定で歴史的仮名遣の読みを附し、本篇は長いので、段落を成形し、分割した。
なお、(その1)の冒頭に配した私の注を、必ず、参照されたい。]
一、この日、茅場町《かやばちやう》にて火に包まれて、「鎧《よろひ》の渡」の川へ逃のびたる、男三人、女一人、ありけり。
「砂場蕎麥《すなばそば》」のほとり、こなたの河岸《かはぎし》の家どもの、燒《やく》るまにまに、火の粉、ひまなく、降りかゝりて、かくても、凌ぎがたかりしかば、その男等《をとこら》が、女にむかひて、
「おん身のもて來ぬる葛籠《つづら》の内には、衣《き》もの、あるべし。とり出《いだ》して、われらにも、貨し給へ。水に浸《ひた》し、頭に被《かぶ》りて、火を防《ふせが》ん。」
と、いへば、女、こたへて、
「問《とは》るゝごとく、この葛籠には、きものゝみあり。命だにたすかることならば、何をか惜《をしま》ん。ともかくも、し給へ。」
といふ。
男等、歡びて、葛籠の鎖《かぎ》を、こぢ、ひらきつゝ、上なる衣《ころも》、四つばかり、取出《とりいだ》すに、みな、縮緬袖《ちりめんそで》・八丈縞の、まだ、巳の時ばかりなりしを、手に手に、わかちとりて、女にも、ひとつ、とらせ、各《おのおの》、件《くだん》の衣を、水にひたしつゝ、頭にうちいたゞきて、火の粉を防ぐに、火氣《ひのけ》にて乾くを、いくたびとなく、水にひたしては、うちかむりつゝ、からくして恙なきことを得たり。
只、この資《たす》け、あるのみ、ならず。
はじめ、川へ逃入《にげい》りし折《をり》、水中に、大八車、二、三輛、ありけり。
これは、そのほとりなる車力《しやりき》の、石を、おもりにつけて、沈め置きし也。
件の男女は、この車の上にのぼりをり。よりて、水に溺れざりき。女の背負ひ來《き》ぬる衣つゞらも、この車の上に措《さしおき》たれば、身を放ちても、流れず。
扨《さて》、火の鎭りて、川より出《いづ》る折、女のゆくてを問ふに、
「本所なる所親《しよしん》がり、赴く。」
よし、聞えしかば、濡らせし衣どもは、みな、よく絞りて、葛籠に收め、
「此衣のありたればこそ、からくも恙なきことを得たれ。報恩の爲、送りゆかん。」
とて、一人、件の葛籠を背負《せおひ》て、女を、本所なる所親がり、送りしとぞ。
この一條も、吾婿《わがむこ》、渥見某と踈《うと》からざりし牧野殿の家臣の話にて、來歷あり。浮《うき》たることにはあらざる也。
又、只、この事のみならず。
茅場町の向ひ河岸、小網町《こあみちやう》にても、火に包《つつま》れて、川へ逃入りつゝ、水火の爲に死《しし》たるもの、すくなからず。
小網町一丁目なる西野屋といふあき人《びと》の組合の家主の子も、死して三日の後《のち》、件の川より、尸骸《しがい》を得たり。
かゝること、なほ、多くあり。
燒死の人のうへには、あはれなるもすくなからねど、只、風聞のみにして、來歷、定かならざるは、省《はぶ》きつ。
[やぶちゃん注:「茅場町」中央区日本橋茅場町附近。
「鎧《よろひ》の渡」日本橋川の渡し。東京都中央区日本橋兜町のここに跡がある。リンク先のサイド・パネルのこちらの画像で中央区教育委員会の説明版が視認出来るので、読まれたい。
「砂場蕎麥」ウィキの「砂場(蕎麦屋)」によれば、『大坂を起源とする蕎麦屋老舗のひとつ』で、『蕎麦屋の老舗としては、更科・藪とあわせて』三『系列が並べられることが多い』とし、『名称の由来は、大坂城築城に際しての資材置き場のひとつ「砂場」によるものとされる』ものの、『砂場(大坂)の正確な創立年代はわかっておらず』、『諸説ある』とある(以下の成立年代等はリンク先を読まれたい)。『江戸への進出時期についても明確な記録はないが』、寛延四・宝暦元(一七五一)『年に出版された』「蕎麦全書」に『「薬研堀大和屋大坂砂場そば」の名称が』、一七八一年から一七八九年に板行された「江戸見物道知辺」(えどけんぶつみちしるべ)に『「浅草黒舟町角砂場蕎麦」の名称が、それぞれ見られる』ものの、『大坂の砂場との関係は明らかではない』とある。
「車力」大八車の類いを牽いて、荷物の運搬を生業(なりわい)としていた者。
「吾婿、渥見某」前回、既出既注。
「牧野殿」やはり前回既出既注の丹後国田辺藩第八代藩主牧野節成。
「小網町」東京都中央区日本橋小網町。]
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