鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「十一 鷄寺入する事」
鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「十一 鷄寺入する事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇は収録されていない。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。踊り字「〱」「ぐ」は正字化した。適宜、オリジナルに注を附す。]
十一 鷄(にはとり)寺入(てらいり)する事
濃州(ぢようしう)加納(かなふ)、久雲寺(きうゝんじ)に、何ともなく、鷄、二つ來(きた)る。
十日程、過ぎ、兒島平太夫(こじまへいだいふ)、來つて、是を見て、住寺に、
「此鷄は何方(いづかた)より參りたるや。」
と問ふ。
住待、
「知らず。」
と仰せければ、
「扨(さて)は、我等(われら)鷄なり。十日以前に、『夕(ゆふ)さりの、料理にすべし。』と云へば、其儘、逃(にげ)たり。」
と云ふ。
住持、之を聞きて、
「扨は。許し給へ。」
と仰せけるを、
「尤もなり。」
と請合(うけあひ)ければ、其儘、平太夫より先に、鷄、二つ共に、家に歸るなり。
[やぶちゃん注:「濃州加納、久雲寺」諸資料に、この寺名でも認めるが、最も信頼出来ると判断した岐阜市の編集になる「ぎふ魅力づくり推進部 文化財保護課」の「歴史遺産を活かしたぎふ魅力づくり 岐阜市文化財保存活用地域計画」(令和二年七月発行・PDF)により(「表 7‐43 調査で把握された岐阜市の伝承・伝説2」のナンバー9)、旧美濃国厚見郡加納、現在の岐阜駅直近の岐阜県岐阜市加納天神町にある曹洞宗久運寺である。現在の住職自身の、こちらのブログの記事にある「三尺坊御旧跡 曹洞宗 久運寺」の引用記載で確実である。本篇も新字体で活字化されてある。
「夕さり」「夕去り」。夕刻。ここでは夕食の意。
「許し給へ」という住持の台詞は、「絞めて料理するのは、お許しになられ、生かしてこのまま、飼うて下され。」の意。]
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