鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 下卷「二 亡者引導師により輪回する事 附 引導坊主に憑き行き事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇は収録されていない。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。]
二 亡者引導師により輪回(りんゑ)する事
附引導坊主に憑き行き事
右の源高長老、東三河ぎやうめいと云ふ村の旦那、死にけるを、吊(とむら)ひ、火葬するに、頭(かしら)、餘所(よそ)へ飛んで、同體[やぶちゃん注:ママ。「胴體」。]ばかり燒けたり。
三日の灰よせに、見出し、亦、燒くなり。
然るに、源高長老、死後の後(のち)、三年過ぎて、彼(か)の亡者、我娘に憑いて、口をきく事、怖ろしき有樣なり。
並(ならび)の村、升岡(ますをか)に、全鏡と云ふ僧あり。施餓鬼を賴み、吊ひけれども、少しも印(しるし)なし。
其時、處の庄屋、云ひけるは、
「汝は源高と云ふ善知識の引導を受けながら、何とて斯樣(かやう)に迷ふぞ。」
と云へば、娘、聞きて、
「能い善智識や。其(その)源高は、牛鬼(うしおに)と成りて、大きなる火の車を引き、若(くる)しみを受け給ふ。其緣に依(よつ)て、我も若(く)を受くるなり。然(さ)れども、我は、まだ、輕きゆゑ、人にたゝりて、茶をも、呑むなり。」
と云ふ。然(さ)れども、彼(か)の娘、狂氣は、終(つひ)に休(や)む事なきゆゑ、親類共、爲方(せんかた)なく、妙嚴寺(めうごんじ)に、源高の隱居、牛雪和尙再住の時、伴(つれ)て行き、庫裡(くり)に置き、
「此狂氣を救ひ給へ。」
と賴む故、樣々、吊ひて、是を救ひ給ヘり。
折節、本秀和尙、見舞に至り、彼の娘を見たまふなり。
[やぶちゃん注:本篇の登場人物で、閻魔大王の地獄到来の遅延に関する督促状を改竄し(但し、地獄落ちはそれ以前に決定(けつじょう)していたわけだが)、今、現に、地獄に落ちている高僧源高の話は、前条の第一話に詳しい。続編型を成し、しかもそれが、条として直に並んでいるのは、本編では特異点である。しかも、ダーク・アクターとしてだから、非常に珍しい(他に牛雪和尚と本秀和尚も再登場で、本秀がこの二話を同時に正三に語った結果としてこうした形となったと考えてよい)。なお、前話で源高の逝去したのを「寬永十五年十二月」「廿八日」(一六三九年一月三十一日)としているので、本話の時制は、寛永十七年(数え)か、十八年となる。
「東三河ぎやうめい」不詳。愛知県瀬戸市岩屋町(いわやちょう)に暁明ヶ滝(ぎょうみようがたき)という瀧ならばある。
「升岡」不詳。古い地図も確認したが、岩屋町周辺には認めない。
「能い善智識や」この「や」は反語。「何が、よい善知識なもんかッツ!」と激怒した謂いである。前条の通り、地獄行きが決まっているのに、どういう訳か、地獄へ行くのが遅れていたため、閻魔大王が使者を送って地獄への召喚状を送ったにも拘わらず、その書状の文字を偽造して、地獄行きを千年先まで遁れようとしたトンデモ売僧(まいす)長老だったのであったから、この亡者の怒りは尤もなわけである。
「牛鬼」本邦で特に西日本で知られる妖怪(妖獣)。頭が牛で、首から下が鬼の胴体を持ち(または、その逆)、概ね非常に残忍獰猛で、毒を吐き、人を食い殺す。しかし、ここでは、閻魔が書状改竄に怒った結果か、地獄に落ちただけではなく、そこで火の車を引く牛鬼に変えられ、地獄で使役される畜生に堕しているのである。これは、曹洞宗の善智識と称された長老の末路がこれというのは、なかなか痛快で、胸が透く気分さえする。
「我は、まだ、輕きゆゑ、人にたゝりて、茶をも、呑むなり。」この余裕が、珍しく、微笑ましく感ぜられる。これも特異点である。
「妙嚴寺」前条ほかで、既出既注。
「源高の隱居、牛雪和尙再住の時」ここは、縮約で判り難くなっている。生前の「源高の隱居」が「妙嚴寺」長老となって、前条の通り、急逝してしまったため、急遽、賀茂に隠棲していた「牛雪和尙」が、「妙嚴寺」の住持として「再住」した「時」の意である。]
〇尾州遠島村(とほしまむら)の一向坊主、亡者を吊ひけるに、彼(か)の亡者、頸(くび)一尺程、長くなり、眼(まなこ)一つ有つて、彼(か)の坊主に、離れず、憑き步きたるなり。遠島、隣江(りんこう)の者、
「二人、見る。」
と確(たしか)に語るなり。正保四年亥の春の事なり。
[やぶちゃん注:「尾州遠島村」愛知県あま市七宝町(しっぽうちょう)遠島と思われる。しかし御覧の通り、ここは内陸で、海辺ではない。しかし、村の東端を福田川が流れており、遠島に接して東北の福田川右岸に、七宝町沖之島地区があるのである。後の「隣江」というのが、「入り江」ではなく、「同じ川に接した隣り村」の意でとれば、甚だ腑に落ちるのである。
「正保四年」一六四七年。]
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