鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「十七 雪石夢物語の事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇は収録されていない。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。踊り字「〱」「ぐ」は正字化した。適宜、オリジナルに注を附す。なお、本篇の標題の「雪石」部分には「せつしう」とルビするが、本文内の「せせき」に従った。初版板本(47コマ目)は正しく「セツセキ」とある。]
十七 雪石(せつせき)夢物語の事
尾州名古屋に久野雪石(くのせつせき)と云ふ人、或夜(あるよ)の夢に、去年死したる近處(きんじよ)の、平岩彌五助(ひらいはやごすけ)と云ふ仁(じん)來つて、
「我は高麗(かうらい)へ生(うま)れ行くなり。」
と告げたり。
雪石、聞きて、
「御身、無道心にて、畜生に似たる人なり。高麗は畜生國なり。然(さ)も有るべし。」
がと言へば、彌五助、腹立ち氣色(きしょく)にて、
「亦、徒(いたづ)ら事(ごと)を云ふ。」
とて、雪石、股(もゝ)を、つねりければ、夢、覺(さ)めたり。
「明(あく)る日一日は、股、痛みたり。」
と、雪石、直談(ぢきだん)の由、平入(へいにふ)、物語りなり。
寬永の末の事なり。
[やぶちゃん注:「久野雪石」「平岩彌五助」「平入」総て人物不詳。「また聴き」でも、かく実在していそうな人名がしっかりと附されれば、嘘臭い話ではなくなるのが、都市伝説の真実性を高める必須条件であるのは言うまでもない。現在の幽霊話やネットの心霊動画の胡散臭さは、どれもこれも、匿名であったり、話者の声に変換器を用いていたり、目に目隠しが入ったりしてしているから、全然、ダメなのである。本気で心霊現象が実際にあると信じて止まないのであれば、堂々と姓名を名乗り、顔出しして、自分で、「その現象は真実としてあった」と語ることこそが、唯一最善の実話怪談になることは、今時、幼稚園児だって知ってるぜ。
「寬永の末」末年は寛永二一(一六四四)年。
「高麗は畜生國なり」これは。今時、全く、まずいね。]
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