鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 上卷「六 嫉み深き女死して後の女房を取殺す事 附 下女を取殺す事」
鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 上卷「六 嫉み深き女死して後の女房を取殺す事 附 下女を取殺す事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。但し、前回述べたように、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」に抜粋版で部分的に載っているので、その本文をOCRで取り込み、加工データとして一部で使用させて戴く。そちらにある(底本は東洋文庫岩崎文庫本)挿絵もその都度、引用元として示す。注も参考にする。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。踊り字「〱」「ぐ」は正字化した。適宜、オリジナルに注を附す。]
六 嫉(ねた)み深き女死して後(のち)の女房を取殺(とりころ)す事
附下女を取殺す事
江戶淺草、海雲寺に、全春と云ふ僧あり。七歲の時。母に離れ、頓(やが)て繼母(まゝはゝ)あり。
彼(か)の繼母、紙帳(しちやう)の中(うち)に臥しけるを、亡母(ばうぼ)、來たつて、髮を取り、紙帳の外へ引出(ひきい)だす。
繼母、起き上がり、暫し、組合(くみあひ)ければ、亡靈は失せけり。
其後(そのゝち)、繼母、煩ふに、枕もとに、亡母、來りて、頸をしめ、終(つひ)に取り殺したり。
其後も、
「親類中(ちう)の家に、來(きた)る。」
と云へり。
慶安五年の比(ころ)、此の僧、廿一歲にて、直(ぢき)に語るを、牛込天德院にて聞くなり。
[やぶちゃん注:「江戶淺草、海雲寺」慶長一六(一六一一)年、天徳寛隆によって開山された肥後細川家の一族「谿谷院殿月山窓雲大童子」の供養のために江戸八丁堀(現在の東京都中央区八丁堀)に創建された曹洞宗江月山海雲寺(かいうんじ)か。同寺は寛永一二(一六三五)年に浅草八軒寺町(現在の台東区寿。ここは浅草寺の真ん前で広義の浅草である)に移転している。現在は東京都杉並区にある。但し、「江戸怪談集(中)」の注では、『淺草ではなく品川にあった曹洞宗龍吟院海雲寺か』とされる。浅草を誤りとする根拠が高田先生には、おありにあるのかも知れない。暫らく、併置しておく。
「慶安五年」一六五二年。
「牛込天德院」中野区上高田にある曹洞宗乾龍山天徳院。一山智乗が慶長七(一六〇二)年創建したとされる。牛込は古くからの広域地名で、現行で残る牛込よりも遙かに東の方も含まれていた。]
○奧州にて、さる女人(によにん)の死(しゝ)けるを、沐浴(もくよく)して、棺に入れて置きければ、棺の中より手を出(いだ)しけり。
人々、肝を銷(け)す處に、内(うち)の下女、
「わつ。」
と云ふ聲、あり。
見れば、頸を引き拔きて、あたりに、なし。
不審して棺を披(ひら)いて見れば、死人、彼の女の頸を抱き、喰(くら)ひ付きて居(ゐ)たり。
是、日比(ひごろ)、妬(ねた)みし念力の爲(な)す所なり。愚道和尙、
「若き時、見たる。」
と語り給ふなり。
[やぶちゃん注:「愚道和尙」不詳。]
○江戶麹町(かうじまち)に、有る者の女房、煩(わづら)ひ死する時、男に、
「あの下女を、女房にして置くならば、祟(たゝ)るべし。」
と云ふを、用ひず、終(つひ)に女房にしける處に、死(しゝ)たる女房、來りて、下女の髮を、むしる。
下女、悲(かなし)むを聞きて、人々、寄りて見るに、何も、なし。
人の、隙(すき)なれば、來りて、髮を、むしる。
後(のち)には、一筋も殘さず、むしり拔(ぬき)て、終に取り殺す。
慥(たしか)に見たる人、多し。
寬永十四年のことなり。
[やぶちゃん注:「麹町」東京都千代田麹町。
「寬永十四年」一六三七年。]
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