鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 下卷「十一 惡見に落ちたる僧自他を損ずる事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇は収録されている。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。]
十一 惡見に落ちたる僧自他を損ずる事
甲州に、關悅(くわんえつ)と云ふ洞家の長老あり。
伊勢と近江の堺なる、「君(きみ)が嶽(たけ)」と云ふ處に、坐禪して、樣々、異相奇特(いさうきどく)を見、是を、
『悟り。』
と思ふて、他人を誹謗して、向上(かうじやう)に成つて、甲州に居(ゐ)けるが、頓(やが)て氣違ひ、狂ひ死(し)にけり。
廣岩(くわうがん)長老、舊友にて、坐禪供達なる故、委しく知つて語り給ふなり。
正保元年の事なり。
[やぶちゃん注:「君(きみ)が嶽(たけ)」滋賀県東近江市君ケ畑町(きみがはたちょう)。
「向上」ここは、「思い上って・うぬぽれて」の悪い意味で、特異な用法。
「廣岩長老」江戸初期の曹洞宗の名僧広岩恵学大和尚。珍しく特定出来た。
「正保元年」一六四四年。]
〇尾州名古屋、ひさや町(まち)、庄右衞門母に、或長老、勸めて云ふ、
「汝、我(わが)處へ來て、卅日、坐禪せば、悟りを開くべし。」
と。
母、即ち、行きて坐禪するに、卅日、經て、三尊の來迎ありて、光耀きければ、悅ぶこと限りなし。
然れども、萬(よろづ)の態(わざ)、晝(ひる)の念慮、前のごとし。
次の日、何とやらん、口味(くちあぢ)なくして、味を好む氣(き)あり。
『前生(ぜんしやう)、猫にてありつるか。』
と思へば、其夜(そのよ)、猫、來たりて、目の前に有り。
其後(そのゝち)、每夜、來迎、有り。
本秀和尙、聞きて、
「皆、以つて、妄想(まうざう)なり。氣、違ひ、煩(わづら)ひ成るべし。」
と敎化(けうげ)して、右の氣、減り、坐禪を止めければ、來迎も、やみ、無爲(ぶゐ)になりたり。
[やぶちゃん注:「尾州名古屋、ひさや町」愛知県名古屋市東区久屋町(ひさやちょう)。現在は錦栄町交差点の南東の一画に八丁目のみが残る。テレビ塔の南直近。
「萬の態」日常生活の様態。
「晝の念慮」覚醒時の思いや悩み。
「口味(くちあぢ)なくして、味を好む氣あり」何となく、口淋しく、美味い物を好む性癖が進んだ。
「本秀和尙」既出既注。本書のスター・システムの一番手。
「來迎」「江戸怪談集(中)」の注で、『仏が現世に姿を見せること』ととしつつ、『ここでは猫のたぶらかし』とあるが、私は、この注に不満がある。次注を見られたい。
「妄想(まうざう)」仏語で、「とらわれの心によって、真実でないものを真実であると、誤って意識すること。また、そのような迷った考え」を言う。私は、前注のような、猫の誑かしなどではなく、ある長老の安易な悟りの慫慂と、彼女の中の全くの自己妄想大系が肥大し、彼女勝手に空想したものであって、それを猫の生まれ変わりと考えたり、化け猫によって幻視させられた来迎であるとは思わないし、本秀もそう断じているものと思う。そもそも禅宗では、そうした民俗社会の妖怪変化の存在なんどを積極的には肯定していないはずであり、何よりも自身の正しい孤独な観想を基本とする。則ち、ここでは極めて近現代的な精神医学的な意味での関係妄想と同一と考える。「氣、違ひ、煩ひ成るべし」の謂いが、それを名指している。
「無爲になりたり」「江戸怪談集(中)」の注で、『平穩になった』とある。正しい本秀ドクターのカウンセリングの結果と言える。]
〇濃州(ぢようしう)八屋(はちや)と云ふ處に、快祝(くわいしゆく)と云ふ關山派(くわんざんは)の長老有り。
多くの人に悟りを授け、神木(しんぼく)を切り、佛像を破却して、
「佛(ぶつ)は我が心に有り。外に、佛、無し。」
と勸めける間(あひだ)、在處(ざいしよ)の者ども、此の長老を貴(たつと)びて、放逸無慘(はういつむざん)なり。
彼(か)の長老、報い盡きて、頓(やが)て死去す。
龕(がん)を舁(か)き出(いだ)さんとする處に、俄(にはか)に、天、曇り、雷(いかづち)、鳴り、火車(かしや)、來つて、長老を摑み行き、此處彼處(こゝかしこ)に死骸を捨てたり。
扨(さて)、彼(か)の法を聞きたる者ども、頓て、疫病(やくびやう)を煩ひ、若痛(くつう)して、大方(おほかた)、死したり。
其後(そのゝち)、滅却したる堂社(だうしや)を建て、切り折りたる神木を植ゑてより。在處(ざいしよ)、納まる、となり。
正保年中の事なり。
其の比(ころ)、「八屋悟(はちやさと)り」と云ひ傳へたり。
[やぶちゃん注:「八屋」美濃加茂市蜂屋町(はちやちょう)。
「關山派」既出既注。「江戸怪談集(中)」の注では、『不詳。ただし、「快祝」は臨済宗妙心寺派竜雲山瑞林寺、通称柿寺の長老か。』とある。瑞林寺は、堂上蜂屋柿の産地である蜂屋町に室町時代に創建されたとされる寺で、室町幕府に蜂屋柿を献上し、「柿寺」の称号を与えられたとされる。寺はここ。
「龕」「江戸怪談集(中)」の注に、『遺体を納めた厨子』とする。今までの本書の「龕」は概ね、普通の棺桶を示しているが、ここは確かに、豪華な感じの方が、直後の死体バラバラのカタストロフの対になって、甚だ、効果的である。
「火車」「狗張子卷之六 杉田彥左衞門天狗に殺さる」の私の最後の注及びその中の私の記事リンクを参照されたい。
「正保年中」一六四四年から一六四八年まで。]
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