鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 上卷「二 幽靈夢中に僧に告げて塔婆を書直す事 附 書寫を請ふ事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村(あえばこうそん)校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。踊り字「〱」「ぐ」は正字化した。適宜、オリジナルに注を附す。]
二 幽靈夢中に僧に告げて塔婆を書直す事
附書寫を請ふ事
尾州知多郡(ちたぐん)、天外長老、相識(さうしき)の弟子、七本卒都婆(しちほんそとば)を麁相(そさう)に書きければ、住持の夢に、彼の者、告げて、
「家、弱くして、雨風にたへず。願くは、强く成して給へかし。」
と云うて、起しけり。
夜明けて、七本卒塔婆を見給へぱ、文字、麁相に走り書きなり。即ち、書直し、立てけり。
それより、彼(かの)弟子、驚きて、塔婆を眞(しん)に書きけり、と。
天外和尙の物語り、直(ぢき)に聞くなり。
總じて、佛行(ぶつぎやう)は、眞實の志(こゝろざし)を以て勤むべきなり。眞實の志、無くんば、何の功德もなく、剩(あまつさ)へ、惡業(あくごふ)の因となるべし。
[やぶちゃん注:「天外長老」不詳。
「相識」互いによく知っていること。昵懇。
「七本卒都婆」死後七日目毎に一本ずつ、四十九日まで立てる、七本の卒塔婆。卒塔婆は本来は供養の五輪塔の代わりであるからして、それは廟(みたまや)=塔堂と同義である。「地水火風空」の字はそれぞれの堅固な結界を示すのであれば、「家、弱くして、雨風にたへず。願くは、强く成して給へかし。」という懇請は極めて腑に落ちるのである。]
○周防(すはう)の國府中(ちう)、河原(かはら)と云ふ處に、幽靈、多し、と云へり。
彼の村の庄屋、彥左衞門と云ふ者の處へ、泰村(たいそん)と云ふ僧、一宿す。
夢に、若き女(をんな)の、裳(もすそ)を血に染め成したるが、來りて、
「經を書きて吊(とむら)ひ、御結緣(ごけちえん)あれ。」
と云ふ。
不思議に覺えて、夢、醒めたり。
暫くあつて、現(うつゝ)に、彼(かの)女、來(きた)る。
「何ごとぞ。」
と云へば、必ず、經を書き、吊ひ給へ。」
と云ふ。
魘(おそろ)しくして、物言ふこと不叶(かなはず)、守り居(ゐ)たるに、椽(えん)より、飛び出でゝ行く。
夜明けて、亭主に語れば、
「それは、我娘なり。難產にて果てたり。幸ひ、今日(こんにち)、忌日(きにち)なり。年比(としごろ)も違(たが)はず。」
と云うて、歎くなり。
泰村も俄かに經を書くこと、叶はず、「法華脛」五の卷を讀み吊ひたり、と語りけり。
正保四年に聞く。寬永の始めの事なり。
[やぶちゃん注:「周防の國府中」「河原」山口県防府市上右田上河原(かみみぎたかみがはら)附近か。
「裳(もすそ)を血に染め成したる」民俗社会では、このままでは、彼女は「産女(うぶめ)」に変じてしまうのである。『柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 橋姫(3) 産女(うぶめ)』や、「宿直草卷五 第一 うぶめの事」を参照されたい。
「居(ゐ)たる」ここで言っておくと、本書では「居」を「をり」「をる」と訓ずるものは一つもない。これは特異点である。
「正保四年」一六四七年。寛永の後。寛永は二十一年までで、一六二四年から一六四四年まで。]
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