鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 上卷「七 下女死して本妻を取り殺す事 附 主人の子を取り殺す事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。但し、前回述べたように、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」に抜粋版で部分的に載っているので、その本文をOCRで取り込み、加工データとして一部で使用させて戴く。そちらにある(底本は東洋文庫岩崎文庫本)挿絵もその都度、引用元として示す。注も参考にする。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。踊り字「〱」「ぐ」は正字化した。適宜、オリジナルに注を附す。]
七 下女死して本妻を取り殺す事
附主人の子を取り殺す事
或浪人(らうにん)何某(なにがし)と云ふ者、美濃の國より、尾州名古屋(なごや)へ行きて、日暮(ひくれ)に歸る。在處(ざいしよ)の近所に、くり舟あり。其處(そのところ)にて、彼(か)の浪人を呼ぶ事、頻りなり。
驚きて、名古屋の方(かた)へ立歸(たちかへ)らんとしけれども、
『若(も)し、以後、臆病者と云はれては。』
と、思ひ、彼(か)の聲に付きて、そろそろ、行きて見れば、倒立(さかだち)したる人、あり。
怖しく思へども、
「何者ぞ。」
と詞(ことば)をかくれば、
「御歸りを、待居(まちゐ)たり。我は庄屋内(しやうやうち)、御存知の女にてあり。不慮の仕合(しあはせ)に依りて、非分(ひぶん)の死を仕(つまかつ)る。敵(かたき)を取りに參りたく存ずる間(あひだ)、此舟を越して給へかし。」
と云ふ。
[やぶちゃん注:冒頭注で示した一九八九年岩波文庫刊の高田衛編「江戸怪談集(中)」の挿絵(底本は東洋文庫岩崎文庫本)。キャプションは「みのゝ國」。]
『是は。僻者(くせもの)哉(かな)。若し、「いや。」と云はゞ、祟(たゝり)やせん。』
と思ひ、
「易き事なり。」
とて、舟を寄すれば、倒立ちながら、乘り、亦、倒(さかさま)に下(お)りたり。
見捨てゝ、宿へ歸る處に、暫しあつて、窓に來りて云ふ、
「是まで參りけれども、家の口々に、札(ふだ)、多く有りて、内へ入ること、叶はず。とてものことに、札共(ども)を剝取(はぎと)りて給へ。」
と云ふ。
『是、猶、いやな事。』
と思へども、
『かやうの者に祟られては。』
と思ひ、
「易き事。」
とて、札を取りければ、庄屋内には、女共、木綿車(もめんくるま)ひきて、六、七人、居(ゐ)けるに、家主(いへぬし)の女房、
「わつ。」
と云うて、死に入りけり。
女共、肝を銷(け)し、あわて躁(さは)いで、彼(か)の浪人の家に至りて、
「早々(はやはや)、御越(おんこ)し侯ひて給はれ。」
と云ふ。
「何事ぞ。」
と云うて、起きやすらふて居(ゐ)けるに、三度(ど)まで呼(よび)に來(きた)るゆゑ、行きて見れば、彼(か)の家の女房、早(はや)、脉(みやく)も斷えて死しけり。
『扨は。女の敵(かたき)、是ぞ。』
と思ひ、
「笑止千萬なり。然(しか)れども、力、無し。」
と云ふて、歸る處に、彼の靈女(れいをんな)、眞樣(まさま)に成りて云ふ、
「敵を取り、今こそ、眞樣に成りたり。偏(ひとへ)に、御恩、有難し。」
とて、拜み、
「隨分、御身(おんみ)を守り、御恩を報ずべし。」
と云うて、失せけり。
扨、不審に思ひ、其故(そのゆゑ)を聞くに、この女、庄屋、妾(めかけ)なり。女房、此女を惡(にく)み、夫(をつと)、有馬へ湯治(たうぢ)しける留守に、内(うち)の下男(しもをとこ)に賴み、河(かは)の向ひに狹き井(ゐ)あり、彼の女を、たるめて、井の端(はた)へ遊び出で、
「是は、何(なに)井戶ぞ。」
と、のぞく。
彼の下女も、のぞく處を、倒さに、つき入れて、殺しけり。
其夜(そのよ)より、
「彼(か)の刳舟(くりふね)の渡りに、化けもの、あり。」
と云ひけり。
人々、逃げて、慥(たしか)に見たる者、なし。
彼の浪人、後(のち)の取り沙汰を思ひ、心を定めて、見屆けり。
彼の庄屋、有馬に居(ゐ)けるゆゑ、人を遣はせば、庄屋方(かた)へは、彼(か)の靈(れい)、疾(と)く告げて、知らせける間(あひだ)、心得て、驚く事、なし。
「女房、己(おのれ)が心の科(とが)なり。」
とて、三七日、湯治して、歸りけり。
寬永廿年八月の事なり。彼の浪人の口を聞く人、慥に語るなり。
[やぶちゃん注:標題は「下女」とあるが、本文を読むに、下女とは出ない。嘗つて下女であったのに庄屋が手をつけ、外に囲ったものととっておく。
「尾州名古屋」現在の愛知県名古屋市。
「くり舟」「刳り船」。一本の木の幹をくりぬいて造った古形の丸木舟。
「倒立(さかだち)したる人」参考に添えた挿絵を参照。幽霊が逆立ちして出現する話は枚挙に遑がないほどに多いが、江戸時代の怪奇談集では、本話はその嚆矢と言える。本篇の場合は、井戸に逆さに突き落とされたという物理的な由来を想起してしまうが、亡者が現世と異なる「反」世界の存在であることから、我々とは反対の体位で出現するとも言え、対象を逆にすることで、道理を反転させた「怨」の感情性を表現しているとも言える。或いは、地獄に一度、落ちるところの亡者は、地獄に向って逆さ様に堕ちるであろうという民俗社会の想像に基づくとも言える。これについては、歌舞伎の舞台上の「お岩」が時に逆立ちすることからも納得される。これを特に取り上げて検証論考した服部幸雄著「さかさまの幽霊 〈視〉の江戸文化論」(平凡社一九八九年刊)が優れている。本篇を完全に剽窃したものとしては、本書の十六年後の延宝五(一六七七)年四月に刊行された「諸國百物語卷之四 一 端井彌三郎幽靈を舟渡しせし事」(リンク先は同書の単独カテゴリの私の電子化注)があり、挿絵までそっくりである。そこで「逆さま」についての詳細な私の分析も施してあるので、是非、読まれたい。また、最近のものでは、『「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「幽靈の手足印」(2)』も参考になるはずである。
「非分の死」道理にはずれた不当な死。具体的には以下にある通り、非道に殺されたことを指す。
「此舟を越して給へかし」「どうか、是非とも、この舟で(庄屋の家のある)川の向こう岸にお渡し下され。」。亡者が川を渡れないというのは、一見、奇異に見えるが、三途の川に見るように、民俗社会では、川は異界との絶対的結界(断絶する境界)であり、亡者にとっては渡り得ないものだと考えれば納得がゆく。
「僻者」通常は「ひがもの」と読み、「素直でなく心持のねじけた人・ひねくれて一癖ある人・変わり者」の意であるが、謂わば、言上げの禁忌として、「人間でない異類・妖怪」の代用語として用いている。
「札」社寺から受けた護符。
「木綿車」「綿繰車」(わたくりぐるま)。植物の木綿から、綿糸を繰るための装置。木製でローラー状の隙間に綿花をかませ、綿繊維だけを引き出し、種子を取り除くもの。
「笑止千萬なり」「たいそう気の毒なことではある。」。
「眞樣(まさま)」逆立ちではなく、正立していること。怨みが晴れたことで、転じたのであり、この場合は、不当な殺人に対する復讐を果たしたのであって、彼女は正当に往生出来たわけであり、さればこそ、向後、自分に助勢して呉れた彼を守ることも可能となったのである。
「たるめて」「弛めて」。不審を抱かせないように、懐柔して。
「三七日」「みなぬか」と読むことが多い。亡くなった日から二十一日目。三七日の法要を行う。地獄思想の十王信仰では、宋帝王によって故人の生前の性に係わる罪の審理を行うとされる。妻というより、庄屋にとってこそ皮肉とも言える。
「寬永廿年八月」一六四三年。
「彼の浪人の口を聞く人、慥に語るなり」本人の直談を聴いた人からの聴き伝えで、噂話・怪談話の常套的構成。]
○駿河の國、何某内方(うちかた)、人使(ひとづか)ひ、惡(あし)くして、下女一人(にん)、頸を括(くゝ)りけり。
夫、此を見て、敎訓しければ、女房、彌々(いよいよ)腹立(ふくりふ)して、竹を以つて、首をくくりたる女を敲(たゝ)きければ、死人の口より、蛇、出で、飛掛(とびかゝ)り、女房の頸に、まき付き、即時に、しめ殺しけり。
其人を隱して言はず、友野文右衞門、慥に知つて語るなり。
[やぶちゃん注:「噂話」としては人名を語っておらず、噂話としては作話性が高い。坊主の正三に話せば、因果譚として信じるであろうという安易な雰囲気が濃厚である。
「内方」女房。]
○江戶、或侍、大坂落城の時、女落人(をんなおちうど)を取り、甲州の知行(ちぎやう)に置きけるを、彼の仁(じん)、駿河番の跡にて、内方、彼(か)の女を呼び寄せて、折檻せり。
或時、十二に成る息女、死す。算(さん)を置かせければ、
「彼の女の祟りなり。」
と占ふ。
それより、息女の守(もり)を始めて、皆々、彼の女を折檻すること、限りなし。
女、堪へ兼(かね)て、身を認(したゝ)め、茶磨(ちやうす)を頸に結(ゆ)ひ付け、深き井(ゐ)に入りて死す。
驚きて、取出(とりいだ)す。
死骸より、一尺四、五寸の、尾切蛇(をきれへび)、出でたり。
是を殺せば、身(み)の中(うち)より、同樣(おなじやう)なる蛇、八筋(やすぢ)出でたり。
殺せども、殺せども、八(や)つの蛇、盡きず。
頓(やが)て緣端(えんばた)へ上(あが)り、しき居(ゐ)に頭(かしら)を持(もた)せて、彼の女房の方(かた)を、見付け、凝逼(まもりつ)めて居(ゐ)るなり。
眞言坊主、道切(みちきり)しければ、蛇、失せて、來らず。
然(しか)れども、子息、數多(あまた)、取り殺すなり。
寬永十五年のことなり。
[やぶちゃん注:「大坂落城の時」「大坂夏の陣」で事実上の炎上落城は慶長二〇(一六一五)年五月八日午前十二時頃。
「女落人」「江戸怪談集(中)」の注に、『戦いに負けて、敵方の女性。ここでは大坂方武士の娘あたりであろう』とある。
「彼の仁」その侍のこと。
「駿河番」これは江戸初期にあった家康の駿河城の警護に派遣された大番役、或いは、その下に配された駿府加番役。但し、後に、駿府在番は書院番が務めることとなって、廃止された。
「算を置かせければ」「易占いをさせたところ」。「算」は算木(さんぎ)。易占に於いて卦(け)を示すために用いる道具。長さ約十センチメートルの方柱状の六本の木で、おのおのに陰陽を示す四面があり、それによって陽爻(ようこう)或いは陰爻を表わすようになっている。
「身を認め」身なりを整え。
「一尺四、五寸」四十三~四十五センチ半。
「尾切蛇」尾が切れているというところが、まがまがしさを増す。
「道切」「江戸怪談集(中)」の注に、『疫病、魔物などの侵入を防ぐまじない。道断(みちき)り』とある。これは、一般庶民の民俗社会でも、生命共同体である村落の辺縁や複数の気が流入する辻、及び、川・峠などで、よく行われる。それに用いられる具体な呪物などについては当該ウィキを見られたい。
「寬永十五年」一六三八年。]
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