鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「八 石塔人に化る事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、この「三」は収録されていない。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。踊り字「〱」「ぐ」は正字化した。適宜、オリジナルに注を附す。]
八 石塔人(ひと)に化(ばけ)る事
出羽の國米澤に、先源寺(せんげんじ)と云ふ寺あり。慶長の始め比(ごろ)、此寺の大(おほき)なる五輪、人となつて、路へ跳り出づる處を、修里内(しゆりうち)の五兵衞(ごひやうゑ)と云ふ者、袈裟掛(けさがけ)に切離したり。彼(か)の五輪、見たる鐵存(てつぞん)と云ふ長老、語り給ふを、防州山田東觀寺にて聞くなり。
[やぶちゃん注:「出羽の國米澤」「先源寺」不詳。現在、米沢にこの名の寺はない。知られた近似する名の寺では、山形県米沢市中央にある曹洞宗萬用山東源寺があり、この寺は上杉氏の家臣となった尾崎氏とともに信州(現在の長野県飯山市)から米沢に移ってきた寺である。因みに、ここは現在、寺中の「羅漢堂」にある幕末に制作された五百羅漢像で知られる。
「慶長の始め」慶長は二十年までで、一五九六年から一六一五年まで。
「修里内(しゆりうち)の五兵衞(ごひやうゑ)」思うに、「修理内五兵衞」(しゅりのうちごひょうえ)で武士の通称であろう。所謂、受領名(ずりょうめい:戦国大名等が武功や功績ある家臣に対して授けた非公式な官名)を先祖が受けたものを代々継いでいるのであろう。
「鐵存」不詳。
「防州山田東觀寺」不詳。山越県内の寺院リストを見たが、この名の寺院は現存しない。話を聴いただけの寺であるから、変名にする必要はないので、廃寺となったものかも知れない。]
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