鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 下卷「十二 愚痴の念佛者錯つて種々の相を見る事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇は収録されていない。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。]
十二 愚痴の念佛者(ねんぶつしや)錯(あやま)つて種々(しゆじゆ)の相(さう)を見る事
相州佐川(さがは)より、一里上(かみ)の在處(ざいしよ)に、さる姥(うば)、常に念佛者にて、苧(お)を紡(う)み、一反(たん)、嫁に織らせ、
「死にたる時の着物にせん。」
とて、曝(さら)しけるが、臼(うす)にて搗きければ、水、濁り、次第々々に、黒くなるなり。
是を、しぼりて、見れぱ、佛體(ぶつたい)、淺々(あさあさ)と、段々に顯(あらは)れたり。
皆々、拜みたる人の物語りなり。小田原の年寄衆も取寄(とりよ)せ、見られたるなり。
寬永十八年の事なり。
[やぶちゃん注:「曝」の字は、底本では、「グリフウィキ」のこの異体字。
「相州佐川」恐らく、現在の神奈川県高座郡寒川町(さむかわまち)と思われる。
「苧を紡み」別に「苧を績(う)む」とも書く。「苧」は「そ」とも読む。麻(あさ)や苧(からむし)の繊維を長く縒(よ)り合わせて糸にすることを指す。
「寬永十八年」一六四一年。]
〇江戶、或町人の女房、念佛者なり。
來迎を願ひければ、切々(せつせつ)、來迎にて、後には、手の上へ、來迎、あり。
其後(そのゝち)は、是を、呑みけり。
久しく呑む程に、氣(き)、衰へ、煩(わづら)ふなり。
さる禪師に逢うて、念佛を休(や)め、藥を飮みて、治(ぢ)するなり。
[やぶちゃん注:「切々」「懇ろに」の意でとっておく。]
〇江戶にて、青木何某(なにがし)母、勝(すぐ)れたる念佛者なり。
常に珠数をくりける故に、指に「たこ」あり。「こぶ」に成り、いよいよ、高くなりて後(のち)、佛體(ぶつたい)に成つて落ちけり。
〇尾州名古屋に、或女、年(とし)盛んなる時は、大坂に居(ゐ)て、「光り念佛」を申せしが、同行(どうぎやう)八千程ありて、其身(そのみ)、奇特(きどく)、多し。
同行の中の善惡を、陰(かげ)にて、委しく知り、念佛の回向(ゑかう)も、其時々に陰にて知れり。後に聞合(きゝあは)するに、少しも違(たが)はぬなり。
又、人の生死(しやうじ)をも、慥(たしか)に知るなり。
後(のち)に禪の知識に呵(か)せられて、宗旨を替へければ、奇特を失(しつ)するなり。我、確(たしか)に知るなり。
[やぶちゃん注:久しぶりに正三自身の直話である。この女、要するに、惡知恵に堪能で、その人に知られぬように、対象者の日常の善惡に係わる行為や言動、履歴・病歴・人間関係なんどを緻密に調べておき、念仏回向の際の呟きなども、これ、漏らさず、盗聴しておいて、やおら、その人物から相談を受けた際、ピタりと、その悩みを霊的に言い当てたように示すわけだから、たまらない。現代の宗教家や霊能者の中には、こういった似非者が、有象無象、いる。情報入手が電子的に即座に行える今、ハイパーなそういった極悪連中は、ますます蔓延(はびこ)ることであろう。
「光り念佛」「光り」は親鸞の好んだ「正信念仏偈」の「南無不可思議光」の唱え。「不可思議光」は阿弥陀仏の徳号の一つ。人知を超えた如来の悟りの絶対の徳を表し、「光」明(こうみょう)は、その絶対の智慧を示すものである。]
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