鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 下卷「五 僧の魂蛇と成り物を守る事 附 亡僧來たりて金を守る事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇は収録されている。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。]
五 僧の魂(たましひ)蛇と成り物を守る事
附亡僧來りて金を守る事
最上、傳正寺(でんしやうじ)の住持、江湖頭(かうこかしら)の時、導儀(だうぎ)を助けたる僧、快壽(くわいじゆ)・快應と云ふ兩僧、奧州一見の次(つい)で、傳正寺へ立寄(たちよ)りければ、住持、
「珍しき。」
とて、樣々、馳走(しそう)了(をは)つて、打ち解け、雜談(ざふだん)して云ひけるは、
「此の寺、金銀・米錢(べいせん)、心に任せて、萬事、不足なし。寺中(じちう)、一見せよ。」
と有りければ、二人の僧、そろりそろりと廻り、さて、藏へ入りて見るに、俵物、積重(つみかさ)ねたる上に、大きなる白蛇(しろへび)、
「のたり」
居(ゐ)たり。
快應、竹を以つて、是を打ち殺さんとす。
然(しか)るに、方丈に伏(ふ)したる長老、
「わつ。」
と叫んで、殺入(せつじ)しけり。
寺中の僧衆、
「是は、何事ぞ。」
と云ふて、方丈へ走り、氣付(きつけ)を與へ、樣々、氣を付けければ、長老、彼(か)の客僧を見て、
「唯今、快應、我を打ち殺さんとす。殊の外、痛みたり。」
と云ふて、急ぎ、客僧を追ひ出だすと、兩僧、直(ぢき)に語るなり。
慶長年中の事なり。
[やぶちゃん注:「傳正寺」「江戸怪談集(中)」の注に、『現山形県東村山郡中山町』(なかやままち)『大字長崎の曹洞宗臥熊山天性寺か。』とある。ここ。山号は「がようざん」と読んでおく。寺名は「てんしょうじ」。
「江湖頭」「江湖」は既出既注。「がうこ」が正しい。これはその夏安居(げあんご)を行うための道場の同修行期間中の実務・指導・管理を職掌とする僧を指す。二名いるので、相当な数の僧が集まったものと思われる。
「殺入(せつじ)」既出既注。「絕入」(ぜつにふ(ぜつにゅう))に同じ。気絶すること。
「慶長年中」一五九六年~一六一五年。]
〇名古屋、大光院、護益(ごえき)和尙、四十九院の餅(もち)を、人に喰(く)はせず、柿紙(かきがみ)に干し置きて、客人(きやくじん)にばかり、用ひたり。
或時、女(をんな)客人、來(きた)る。
和尙、大益(だいえき)と云ふ納所(なつしよ)を呼び、
「此の餅を芥子餅(けしもち)にして出(いだ)せ。」
と仰せ付けらる。
一度、取出(とりいだ)し、亦、隱(かく)して、餅、取りに行きて見るに、大きなる白蛇(しろへび)、餠の上に居(ゐ)たり。
折節、冬のことなるに、不思議に思ひ、納所、此由を云へば、和尙、行きて見て、
「是れ、福なり。」
と云ひたまへば、則ち、蛇は失せけり。
彼の住持、死去の後(のち)、財寶、爭ひ取りたる弟子ども、多く死したり、となり。
[やぶちゃん注:「大光院」「江戸怪談集(中)」の注に、『現名古屋市中区大須の曹洞宗』興國山(こうこくさん)『大光院』とある。ここ。
「四十九院の餅」これは諸信者が亡くなった際に行われる四十九日法要の期間中、仏前に供物として積み上げる餅を指す。その意味は地獄思想と関連する。先行する『中卷「二十七 蘇生の僧四十九の餅の次第を記す事」』の本文及び「四十九の餅」の私の注を見られたい。「江戸怪談集(中)」の注によれば、供えた後は『人に配るのが普通』とある。
「柿紙」柿渋で染めた和紙。水気・湿気を防ぎ、防虫効果もあるから、表面が黴たり、鼠に齧られたり、衛生害虫を避ける意味もあろう。
「芥子餅」小豆の「こし餡」を餅の皮で包み、ケシの実をまぶしたもの。大阪府堺市の名物菓子。
「納所」納所坊主。禅寺で会計・庶務を取り扱う下級僧。
「一度、取出し、亦、隱して」既に皿に渋紙を剝いて出してあり、運べるようにして置いたのであろう。少し時間も経っており、それを芥子餅にするのは失礼と納所坊主は思ったか、しかし、或いは、「隱して」という謂いからは、納所坊主は命ぜられたのを、『これ、幸い。』と、それを見えないところに隠しておいて、客人用は新たに蔵から出し、後でこっそり前のものを食べようとした、のかも知れないな。こっちの方が面白い。
「大きなる白蛇(しろへび)、餠の上に居(ゐ)たり」この怪異は、章題と前の話を合わせれば、仏神の使者・守り神なんどではなく、この「護益和尙」の餅に対する執着の変じたものである。さればこそ、この和尚には、何らの徳もなく、地獄に落ちる妄執の権化であったのである。だからこそ、それに従った同寺の僧たちは、「彼の住持、死去の後、財寶、爭ひ取りたる弟子ども、多く死したり」という禅寺にあるまじき修羅場が展開したのである。]
〇濃州(ぢようしう)大井の宿(しゆく)に、小寺(こでら)有り。
坊主、死して後(のち)、夜な夜な、來て、爐(いろり)に跨(またが)つて立ける間、人、此の寺に居(ゐ)ること、ならず。
或る時、洞家(どうか)の徧參僧(へんさんそう)、來て、寺を借(か)る。
所の者、右の次第を語る。
「苦しからず。」
と云ふて、寺に住(ぢう)す。
案の如く、夜(よ)に入(い)り、坊主、來(き)て、爐(ろ)に立つ。
此僧、
『如何樣(いかさま)、爐(ろ)に、執心、有り。』
と見て、處(ところ)の者を賴み、爐(ろ)を掘りて見れば、金子(きんす)、十五兩程、有り。
則ち、此の金子にて、吊(とむら)ひければ、再び、來たらず。
[やぶちゃん注:「大井の宿」中山道の四十六番目の宿場。美濃国恵那郡大井村(現在の岐阜県恵那市)にあった。ここ。
「洞家」曹洞宗。
「徧參僧」諸国を行脚して修行する僧。]
〇相州に、さる坊主、死して後(のち)、家の棟(むなぎ)に、蛇、居(ゐ)けるを、殺せども、殺せども、來(きた)る。
或る人、來て、
「此の蛇は、坊主なるべし。家の棟に、金が、あらん。見給へ。」
と云ふ。
「さらば。」
とて、葺萱(ふきかや)を分けて見れば、金子五兩、合掌の組み合はせに、深く、包みて、置きけり。
則ち、其の金にて吊ひければ、再び來らず、となり。
此の吊ひに逢(あ)ふたる八郞右衞門、語るなり。
[やぶちゃん注:「合掌」切妻造りの屋根などの部分で、二本の材木を、山形・合掌形に組み合わせた部分を指す建築用語。]
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