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2022/10/14

鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 下卷「十五 死後犬と成る僧の事 附 犬と成る男女の事」

 

[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇は収録されていない。

 なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。

 本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。]

 

   十五 死後犬と成る僧の事

      犬と成る男女の事

 尾州名古屋、膳德寺、順的和尙の弟子に、傳可と云ふ僧あり。關東にて、十年程、徧參するなり。後(のち)に三州牛窪と云ふ村に、寺を持ち居(ゐ)たり。

 順的和尙の師匠、牛窪の花居寺(はなゐじ)と云ふ寺に居給ふ。

 さる年の春、師匠、見舞に來り給へぱ、傳可、順的和尙へ向つて、

「我等、參り、納所、仕(つかまつ)るべし、秋中(ちう)に名古屋へ參るべし。」

と約束す。

 然(しか)るに、傳可、夏中に、煩うて死す。

 或夜(あるよ)、順的和尙の夢に、傳可、來つて云ふは、

「『秋中、參るべし。』と御(おん)約束仕る處に、夏中、相果て、忽ち、犬に生れ申すなり。何國(いづく)にも緣なく、居處(ゐどころ)もなき間、是(これ)の庭に、おき養ひ下されよ。」

と告ぐるなり。

 和尙、

「折角、待ちけるに、扨(さて)は、死にて、犬に成りたるか、不便(ふびん)なり。置くぺし。」

と言ひ給ふと、夢は、醒めけり。

 明朝(めうてう)、大衆(だいしゆ)に、

「不思議の夢を見たり。」

と語り給ふ。

 亦、次の夜(よ)、夢に、右の如く、來りて、云ふ。和尙、

「扨々、くどいこと。」

と宣ひて、夢、さめける。

 明朝、乞食、犬の子を、一疋、連れ來り、

「よい犬の子、進(しん)ぜん。」

と云ふ。

 僧達、見て、

「犬は入(い)らず。持ち去れ。」

と云ふ。

 和尙、聞き給ひ、

「それは。夢に見えたる傳可と云ふ、我弟子なり。」

とて、取り、庫裡(くり)に置き、食(めし)を喰(く)はせ、和尙、茶の間より、

「傳可、傳可。」

と喚び給へば、彼(か)の犬、

「ころころ」

と走り、和尙の側へ徃(ゆ)くなり。

 犬の毛は、うす赤く、手、白々、鼻の先、白しとなり。

 扨、十三年目に、膳德寺に、江湖(かうこ)あり。大衆(だいしゆ)、放參(はうさん)の陀羅尼(だらに)を誦(よ)み給へば、彼(か)の犬も、緣まで上(あが)り、

「わんわん。」

と經を誦みしなり。

 僧達を見て、只(たゞ)、もの淚を流せしとなり。

 江湖は寬永五年の夏なり。

 其江湖に、本秀和尙、居(ゐ)、

「直(ぢじ)に見たり。」

と、語り給ふなり。

[やぶちゃん注:「尾州名古屋、膳德寺」愛知県名古屋市西区に善徳寺があるが、これは浄土真宗であるから、違う。「江湖」(正しい読みは「がうこ」。既出既注)とあるから、禅宗でなくてはならないからで、愛知県名古屋市千種(ちくさ)区城山町(しろやまちょう)にある曹洞宗霊松山善篤寺(れいしょうぜんとくじ)が候補となろう。寺蹟から見ても(「千種区」公式サイトのこちら)問題がない。というより、本篇を勝手に後人が書き変えた「平かな本」「因果物語」の巻三の「十八傳賀(でんが)と云僧死して狗に生れし事」を国立国会図書館デジタルコレクションの京の銭屋板行本で確認してみると、寺の名は正しく「尾州名古屋の善篤寺」となっているのであるから、間違いないと言えるのである。

「順的和尙」不詳。前の平かな本では、「順帰和尚」と表記してある。

「三州牛窪」愛知県豊川市牛久保町。古くは「牛窪」と書いた。一度、出ている

と云ふ村に、寺を持ち居(ゐ)たり。

「牛窪の花居寺」先の平かな本では、「花井寺」と表記してあり、牛久保町の東直近の愛知県豊川市花井町(はないちょう)に曹洞宗花井寺(はないじ)があるので、ここである。

「大衆」ここは「多くの僧」の意。

「放參」「放參」とは、晩に看経(かんきん)すること。禅寺で、夜、経文を黙読すること。「放参勤め」とも言う。

「陀羅尼」サンスクリット語「ダーラニー」漢音写。「総持」「能持」と訳す。梵文(ぼんぶん)を翻訳しない、そのままで唱えるもので、不思議な力をもつものと信じられる比較的長文の呪文を指す。

「僧達を見て、只(たゞ)、もの淚を流せしとなり」このシークエンスは、しみじみとして、いい。「もの淚」何ともいえぬ涙を犬が流しているのである。いかなる因果があるのか判らぬが、この実直な伝可が犬に転生したものか。そこが、憐れであるが、この「淚」は、ある意味、法悦のそれであるととれば、この犬は来世で人となって見事、極楽往生を遂げるものと、考えたい私がいる。

「寬永五年」一六三四年。

「本秀和尙」既出既注。]

 

〇寬永の始め比(ころ)、尾州熱田(あつた)、白鳥(しらとり)の住持、慶呑(けいどん)和尙、濱松普濟寺(ふさいじ)の住(ぢう)に當れり。

 入院、一兩日(いちりやうじつ)過ぎて、町より、うす黑の、「べか」を、一疋、連れ來(きた)る。

 長老、見て、

「珍らしき犬なり。」

とて、留め置き、飼ひ給ふ。

 退院の比、彼の犬を、

「入(い)らぬ、」

と云うて、本(もと)の宿(やど)へ歸し給へば、其夜(そのよ)、長老の夢に、彼(か)の犬、來り、

「我は、其方(そのはう)の親なり。連れて行き、飼ふべし。」

と云ふ。

 明日(あくるひ)、僧衆に向つて、

「扨々(さてさて)、犬と云うても、こすい者かな、『我(わが)親ぢや程に、連れて行け。』と、夢に告ぐるなり。」

と、おどけごとに云ひ給ふ。

 然(しか)るに、次の夜の夢に、犬、來(き)て、

「我、實(じつ)に、其方の親なり。連れて行きめされずんば、命(いのち)を取るべし。」

と云ふ。

 時に、和尙、夢、醒め、驚き、彼(か)の犬を喚びよせ、連れて、熱田へ歸り給ふ。

 白鳥にて、此犬、地(ち)蹈(ふ)まず、座敷にばかり居(ゐ)て、飯(めし)を長老と相伴(しやうばん)に喰(く)ひ、夜(よ)は、和尙の閨(ねや)に臥す。

 寬永十年の比、江湖(かうこ)を置き給ふに、彼(か)の犬、和尙と同じく、一番座(ばんざ)に飯臺(はんだい)に着くなり。

 大衆(だいしゆ)、見て、怒り、

「扨々、畜生と一つに、飯臺に着くこと、あらんや。是を休(や)め給はずんば、江湖を分散せん。」

と云ふ。

 和尙、聞き、大衆に向つて、

「此犬は、我(わが)親なり。宥(ゆる)し給へ。」

と侘言(わびごと)にて、大衆、堪忍す。

 彼の犬、江湖の次の年、死す。

 其の時、龕(がん)・幡(はた)・天蓋(てんがい)を拵へ、懇(ねんごろ)に送り、三日の中(うち)、懴法(せんはふ)を誦(よ)み、吊(とむら)ひ給ふなり。

 本秀和尙、確(たしか)に知つて語り給ふなり。

[やぶちゃん注:「寬永の始め」寛永は元年は一六二四年で、寛永二十一年まで。

「尾州熱田、白鳥の住持」名古屋市熱田区白鳥にある曹洞宗白鳥山法持寺(はくちょうざんほうじじ)。

「慶呑和尙」法持寺八世月峰慶呑。

「濱松普濟寺」既出既注であるが、再掲しておくと、静岡県浜松市中区広沢にある曹洞宗は広沢山普済寺(こうたくさんふさいじ)。信頼出来る論文の史料に、事実、慶呑は寛永七(一六三〇)年に、この普済寺に輪番住持している(いつまでかは、不詳)。

「べか」底本は「へか」であるが、初版板本78コマ目の右丁の後ろから五行目)で訂した。「べか犬」で、「子犬」「小型犬」或いは「犬の子」を指す。一説に「べっかんこうをしたような目の赤い犬」ともいう。「べいか」とも。

「寬永十年」一六三三年。

「江湖(かうこ)」正しい読みは「がうこ」。既出既注

「飯臺」何人かの者が並んで食事をする台。

「龕」遺体を納めた豪華な厨子。

「懴法」経を誦して罪過を懺悔(さんげ)する法要。「法華懺法」・「観音懺法」などの種別がある。

「本秀和尙」既出既注。]

 

○武州江戶麹町(かうぢまち)常泉寺へ、他處(たしよ)より、犬、來りて、子を、三つ、產む。一つの子を惡(にく)みて、乳を飮ませず。

 或時、住持の夢に、犬、告(つげ)て、

「我は前生(せんしやう)、遊女なり。後(のち)、男を持ち、二人(にん)の子を產む。繼子(まゝこ)一人(にん)有り。今、產む、三つの子、一つ、繼子なり。彼(か)の繼子の父、現在(げんざい)に有りけるが、今日(こんにち)、來り、此犬を貰ふべし。早速に、渡し給へ。」

と云ふ。

 明日(あくるひ)、夢の如く、外(ほか)より、男、一人(にん)來り、寺中を一見して、犬の子を見出し、一つ、所望す。

 住持、心得、

「易き事。」

と云へぱ、乳を飮(のま)せざる瘦犬(やせいぬ)を所望して行くなり。

 寬永十五年の事なり。

[やぶちゃん注:「江戶麹町常泉寺」不詳。現行の千代田区麹町周辺には見当たらない。

「寬永十五年」一六三八年。]

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