鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 上卷「十六 難產にて死したる女幽靈と成る事 附 鬼子を產む事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。但し、既に述べたように、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」に抜粋版で部分的に載っているので、既に述べたように、その本文をOCRで取り込み、加工データとして一部で使用させて戴く。そちらにある(底本は東洋文庫岩崎文庫本)挿絵もその都度、引用元として示す。注も参考にする。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。踊り字「〱」「ぐ」は正字化した。適宜、オリジナルに注を附す。]
十六 難產にて死したる女(をんな)幽靈と成る事
附鬼子(おにご)を產む事
東三河、吉田の近所、關村(せきむら)と云ふ處の庄屋に、彌次右衞門と云ふ者あり。
女房十九歲の時、難產にて死しけるが、頓(やが)て、幽靈に成りて、迷ひ、あるきけり。
爲方無(せんかたな)くして、親類ども、妙嚴寺を賴みければ、牛雪和尙、吊(とむら)ひて、治め給ふ也。
[やぶちゃん注:「東三河、吉田の近所、關村」「江戸怪談集(中)」に『現愛知県豊川市瀬木』とある。愛知県豊川市瀬木町(せぎちょう)。「吉田」というのは、豊川市の南東直近の豊橋にあった、三河国吉田(現在の愛知県豊橋市今橋町)藩の藩庁吉田城を指していよう。
「女房十九歲の時、難產にて死しけるが、頓(やが)て、幽靈に成りて、迷ひ、あるきけり。」本邦の民俗社会では、このままでは、彼女は「産女(うぶめ)」に変じてしまうのである。『柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 橋姫(3) 産女(うぶめ)』や、「宿直草卷五 第一 うぶめの事」を参照されたい。
「妙巖寺」既出既注。滋賀県東近江市大塚町に現存する。曹洞宗。
「牛雪和尙」既出既注。]
○河内(かはち)の國、茨田郡(うばらだぐん)に、小兵衞(こひやうゑ)と云ふ者、あり。母、如何にも正直者なり。婦(よめ)は、飽くまで心怖(こゝろおそろ)しき者にて、時々、鬼面(おにめん)をかけて、母を劫(おびや)かす。
母、此(この)事を聞きて、
「思ひの外(ほか)のことなり。」
とて、婦(よめ)を敎訓し、云ふ、
「必ず、何事も我に報(むく)ふ者なり。却(かへ)つて、其方(そのはう)の爲(ため)、惡(あ)しかるべし。」
と云ふ。
母、程なく、煩(わづら)ひ付(つき)て、正念に徃生(わうじやう)す。其後(のち)、婦(よめ)、子を產みければ、牙(きば)八寸程生えたる女子(によし)なり。夫(をつと)に隱しけれども、終(つひ)にあらはれたり。
正保二年の事なり。那江(なえ)作衞門、語るなり。
[やぶちゃん注:「茨田郡」「茨田」は正しくは「まつた」「まつだ」で近代には「まった」。逆に非常に古くは「まんだ」「まむた」(の郡(こほり))とも呼ばれた。現在の大阪府の内陸東北部に相当する。位置は当該ウィキの地図を見られたい。「江戸怪談集(中)」の注に『岸和田市のあたり』とするのは誤りである。
「正念に徃生す」「徃」の字はママ。「安らかな死を迎えた」の意。
「八寸」約二十四センチメートル。
「正保二年」一六四五年。]
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