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2022/10/05

鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 上卷「二十 臨終能き人之事」 / 「因果物語 上卷」~了

 

[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、この「十七」から上巻の最後の「二十」までは収録していない。

 なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。

 本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。踊り字「〱」「ぐ」は正字化した。適宜、オリジナルに注を附す。]

 

   二十 臨終能(よ)き人(ひと)之(の)事

 三州岡崎、龍海院の門前に、四郞右衞門と云ふ者、有り。

 正直者なれば、近邊の人、「佛(ほとけ)四郞右衞門」云ひけり。

 然(しか)るに、寬永六年の極月、俄(にはか)に煩(わづら)ひ付き、以ての外なる時、

「我、死すゐ命は、惜(をし)からざれども、今、節季(せつき)つまり、惡(あ)しき時分なり。先々(まづまづ)、死する事、春まで延(の)ぶべし。何(いづ)れも、宿(やど)へ歸り、皆、節季の仕度(したく)し給へ。」

と云へば、煩ひも、快くなる。

 人々、

『眞(まこと)、しからぬ。』

と思へども、

「然らば、彌々(いよいよ)養生し給へ。明日(みやうにち)、見舞ひに參るべし。」

と云へば、

「いやいや、明日も、見舞、無用なり。正月も死するに惡しき時分なれば、二月二日に死すベし。朔日(ついたち)の晚か、二日の朝、皆、來り給へ。其前には、必ず、氣遣ひ、するな。」

と云ふ。

 其如(そのごと)く、二月朔日に、少し、煩ひ付き、二日の晝時分、死すと。

 善鏡長老の物語りなり。

[やぶちゃん注:「三州岡崎、龍海院」愛知県岡崎市明大寺町(みょうだいじちょう)にある曹洞宗満珠山龍海院。]

 

○武州江戶、石町(こくちやう)に、田上玄賀(たがみげんか)と云ふ儒者の母、六十六の歲(とし)、煩ひ付きてより、一日に三度宛(どづゝ)、行水をし、病中に、歸依寺(きえでら)、五番町(ごばんちやう)、松久寺(しようきうじ)より、祖龍(そりう)と云ふ僧を呼び、髮を剃り、長老を請待(せうだい)して血脉(けちみやく)を戴き、法名を付け、彌々(いよいよ)右の如く、行水して、

「六月十四日申の刻に、必ず、死すべし。」

と言ひ觸(ふ)れて、其日になれぱ、人々に、暇乞(いとまご)ひして、

「今日(こんにち)は、行水、七度(ど)すべし。」

と云ふを、漸(やうや)く云ひ止(とゞ)めて、六度し了(をは)つて、餠世の歌を詠み、皆々へ盃(さかづき)して、座禪の形體(ぎやうたい)にて、即ち、徃生(わうじやう)す。

[やぶちゃん注:「江戶、石町」中央区日本橋本石町三・四丁目、及び、日本橋室町三・四丁目、及び、日本橋本町三・四丁目附近。江戸初期にここに米穀商が集住していたことに由来する。この中央附近

「田上玄賀」不詳。

「五番町」千代田区一番町

「松久寺」不詳。「江戸名所図会」で調べたが、この名の寺は禅林としてあるものの、場所は高輪辺りで一致しない。

「祖龍云ふ僧」不詳。

「申の刻」午後三時から五時。]

 

○下野(しもつけ)の國、佐野に道哲(だうてつ)と云ふ人あり。

 卯歲(うどし)八月十五日より、一食(じき)精進して、萬事(ばんじ)に拘(かゝ)はらず、一筋に菩提に思ひ入り、小座敷(こざしき)に籠居(ろうきよ)して、内より鑰(かぎがね)を掛けて、人にも會はず、工夫(くふう)純一(じゆんにち)にして居(ゐ)けるが、十一月廿一日の朝、四つ比(ごろ)に出でて、又、内へ入り、終(つひ)に返事、なし。

 戶を打放(うちはな)して見れば、結跏趺坐(けつかふざ)して、笑ひ顏にて、死し居(ゐ)たり。

[やぶちゃん注:「下野の國、佐野」栃木県佐野市

「道哲」不詳。

「四つ比」定時法なら、御前十時前後。不定時法なら、御前十時前頃。

「結跏趺坐」坐禅法の一つで、両脚を組んで座る方法。「跏」は「足を組み合わせる」の意で、「趺」は「足の甲」を指す。両脚を組み、左右の足の甲を、反対側の腿の上に載せて安坐する。「全跏」(ぜんか)「本跏坐」(ほんかざ)とも呼ぶ。「吉祥坐」と「降魔(ごうま)坐」の二種があり、「吉祥坐」は、先に左足を右の腿の上に置き、次に右足を左の腿の上に置く坐法で、仏の説法時の座り方とされる。「降魔坐」は、その逆で、右足を左の腿の上に置き、左足を右の腿の上に置く坐法であり、天台や禅は、この坐法による。顕教の仏・菩薩像の坐相は「降魔坐」であり、「吉祥坐」は密教の法儀とされる。片足だけを腿の上に置くのを、「半跏趺坐」(半跏坐・賢坐)と呼ぶ(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。]

 

○駿州大宮(おほみや)と云ふ處に、林齋(りんさい)と云ふ道心者あり。

 六月より、方々(はうばう)へ行きて、

「八月十二日に死すべし。」

と、暇乞ひしけるを、人々、

『眞(まこと)しからず。』

思ふ處に、八月十一日に、大宮の淸正寺(せいしやうじ)へ行きて、

「明日(みやうにち)、必ず死する間(あひだ)、龕(がん)を拵へて給(たま)へ。」

と云ふ。

「易き事なり。」

とて、龕を拵ひ、與(あた)へければ、十二日巳の刻に、自ら龕へ入りて、人々に暇乞して、即ち、死すと。

 虛無僧(こむそう)殘夢(ざんむ)、來り語るなり。

 

 

因果物語上卷

[やぶちゃん注:「駿州大宮」静岡県富士宮市。同大宮町ならば、ここ

「林齋」不詳。

「淸正寺」こんな感じで、ピンとくるものがない。

「龕」棺桶。

「巳の刻」午前九時から十一時。

「殘夢」不詳。]

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