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2022/10/22

曲亭馬琴「兎園小説余禄」 假男子宇吉 / 「兎園小説余禄」~完遂

 

[やぶちゃん注:「兎園小説余禄」は曲亭馬琴編の「兎園小説」・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」に続き、「兎園会」が断絶した後、馬琴が一人で編集し、主に馬琴の旧稿を含めた論考を収めた「兎園小説」的な考証随筆である。

 底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの大正二(一九一三)年国書刊行会編刊の「新燕石十種 第四」のこちらから載る正字正仮名版を用いる。

 本文は吉川弘文館日本随筆大成第二期第四巻に所収する同書のものをOCRで読み取り、加工データとして使用させて戴く(結果して校合することとなる。異同があるが、必要と考えたもの以外は注さない)。

 句読点は自由に変更・追加し、記号も挿入し、一部に《 》で推定で歴史的仮名遣の読みを附した。

 本篇を以って「兎園小説余禄」は終わっている。]

 

   ○假男子宇吉

吾友、松坂なる篠齋《じやうさい》の來書に云《いはく》【壬辰冬十二月の郵書なり。】、「京都祗園町《ぎをんまち》に宇吉《うきち》といふものあり。こは、女《をんな》也。元は曲妓なりしよし。いつの程にか、男姿《をとこすがた》になりて、あり。最《もつとも》、元服、「天窓《てんさう》」也。衣服より、立振舞《たちふるまひ》まで、すべて、男にかはること、なし。但し、是は惡事《あくじ》あるものには、あらず。曲妓の時より、皆人《みなひと》、知居《しりをり》候へども、「男の女」にて、人々、濟《すま》し居《をり》候樣子也。怪しく、をかしき事は、やゝもすれば、其邊《そのあたりの》娼妓抔と情を通じ、いはゆる、間夫《まぶ》に成《なり》候事、一人、二人、ならず。當時は、ある曲妓の勤《つとめ》を引《ひき》たる美婦と、右宇吉、夫婦の樣子、一つ家《いへ》に住居《すみをり》候由に御座候。猶、くはしく申《まを》さまほしく候へども、頗《すこぶる》、筆頭に載《のせ》がたき所も有れ之候故、それらの事は省き候。右兩婦、衾中《きんちゆう》の私語《ささめごと》など、密《ひそか》に聞《きき》候へば、眞《まこと》に男女《なんによ》の樣に候よし、をかしく、いぶかしき事に御座候。右、宇宙の廣き、樣々の奇物もあるものに御座候。右、宇吉を、琴魚《きんぎよ》などは、よく存居《ぞんじをり》候事に御座候。但し、曲中などには、「妹分」などとて、男女の間より、親しき筋抔も有ㇾ之ならひに候へば、宇吉は、その長じたるものともいふべし。嚮《さき》に仰越《おほせこ》され候、かの吉五郞は、今一段、奇怪の婦と存候」云々。

この書によりておもふに、件《くだん》の宇吉は「半月(ふたなり)」なるべし。「半月」は、上半月《うへふたなり》男體《をとこのからだ》にて、下半月女體《をんなのからだ》なるも、あり。又、陰門と男根と相具《あひぐ》するものも、あり。「その男根は、陰門に隱れてあり、事を行ふとき、發起《ほつき》しぬる事、禽獸の陽物の如し。」といふ說あり。吾《わが》舊宅近邊の商人《あきんど》の獨子《ひとりご》に「半月(ふたなり)」ありけり。そが幼少の折《をり》、母親の將《ひき》て、錢湯に浴するを、則《すなは》ち、荆婦《けいふ》などは、「折々、見き。」といふ。「陰門の中に、男根あり。廷孔(ていこう)のほとりに、龜頭、少許《すこしばかり》、垂れたり。「なすび」といふものゝ如し。母親は、人に見られん事を、傍《かたは》ら痛く思ひて、「下《しも》に居《い》よ、下に居よ。」といへども、小兒の事なれば、恥もせで、立《たち》てありし。」と也。七、八歲までは、女子《をなご》のごとくにしてありけるが、十歲以上になりてより、名をも、男名に改めて、男裝に更《かへ》たり。近ごろ、その父は歿して、親の活業《なりはひ》を嗣《つぎ》てあり。小男《こをとこ》にして、溫柔なり。『「半月(ふたなり)」は、嗣《つぎ》、なし。』といふ。寔《まこと》に、しかなり。

[やぶちゃん注:以下、底本では全体が一字下げ。]

按、「齋東野語」【卷第十六。】云、大般若經載五種黃門云。凡言扇𣝸半釋迦。唐音黃門。其類有ㇾ五。一曰半釋迦。總名也。有男根用。而不ㇾ生ㇾ子。二曰伊利沙半釋迦。此云ㇾ妱謂他行欲。卽發不ㇾ見。卽無ㇾ具男根。而不ㇾ生ㇾ子。三曰扇𣝸半釋迦。謂本來男根不滿。亦不ㇾ能ㇾ生ㇾ子。四曰博叉半釋迦。謂半月能男。半月不ㇾ能ㇾ男。五曰留拿半釋迦。此云ㇾ割。謂被ㇾ割刑。此五種黃門名。爲ㇾ人中惡趣受ㇾ身處。然周禮奄人。鄭氏註云。閹眞氣藏者。謂之宦人。是皆眞氣不足之所ㇾ致耳【摘要。】。この餘、「黃門《くわうもん》」の事は、「五雜俎」などにも見えたり。文、多ければ、亦、贅《ぜい》せず。

 

 

兎園小說餘錄第二

[やぶちゃん注:「篠齋」既出既注の殿村篠齋(とのむらじやうさい)。再掲しておくと、国学者殿村安守(やすもり 安永八(一七七九)年~弘化四(一八四七)年)の号。本姓は大神。伊勢松坂の商人殿村家の分家の嫡男。本家を継いで、殿村整方の養子となった。寛政六(一七九四)年に養父に倣って本居宣長に入門し、寵愛を受けた。宣長没後は本居春庭に師事し、盲目の春庭を物心両面から援助した。馬琴とは特に親しく、「南総里見八犬伝」や「朝夷巡島記」を批評し、これに馬琴が答えた「犬夷評判記」があるが、実際には、その殆んどは馬琴の手になったものではないかともされる(「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。

「壬辰」(みづのえたつ)「冬十二月」は天保三年十二月。グレゴリオ暦では十二月一日でも既に一八三三年一月二十一日。

「曲妓」「くるわのあそびめ」で普通の「廓の芸妓」の意か。或いは「曲」は「くせ」で「悪い」の意で、下級の性質(たち)のよくない芸妓のことかとも思ったが、篠斉の書きぶりからは、そうした卑称とは思われない。

「最」ちゃんと。

『元服、「天窓」』元服して「天窓」と名乗っている。

「男の女」両性の生殖器を持って生まれた真正半陰陽か、男性仮性半陰陽(精巣組織を持つが内性器又は外性器が女性型であるもの)か、以上の記載では、よく判らない。

「間夫」ここでは「遊女の情夫」。

「琴魚」戯作者で、書簡の筆者殿村安守の弟にして馬琴の弟子の櫟亭琴魚(れきていきんぎょ 天明八(一七八八)年~天保二(一八三一)年)。伊勢松坂生まれ。名は精吉。文化五(一八〇八)年に馬琴の門に入った。兄と師が共同執筆した「犬夷評判記」(馬琴の「南総里見八犬伝」と「朝夷巡島記」の批評と馬琴自身のそれへの回答の形式をとる評論物)を校訂。浮世絵師合川珉和(あいかわみんわ)とも親交があった。作品に「刀筆青砥石文」などがある。

「吉五郞」本「兎園小説余禄」で先行する「僞男子」に登場する、男装の真正の女「吉五郞」のこと。

「半月(ふたなり)」真正半陰陽・男性仮性半陰陽・女性仮性半陰陽(卵巣組織をもつが陰核肥大などの男性化性器を有するもの)を総て含むもの。

「上半月《うへふたなり》男體《をとこのからだ》にて、下半月女體《をんなのからだ》なるも、あり」見た目は男性であるが、生殖器が女性のものである男性仮性半陰陽であろう。

「陰門と男根と相具するもの」真正半陰陽のアンドロギュヌス(Androgynous)。

「發起」勃起に同じ。

「禽獸の陽物の如し」馬などで見られるように、大きく伸び上ってエレクトすることを言っている。

「荆婦」自分の妻を言う際の遜卑称。

「廷孔」膣。

「下に居よ」「しゃがんで座っていなさい。」。

「『「半月(ふたなり)」は、嗣《つぎ》、なし。』といふ。寔《まこと》に、しかなり」その後、この商人の家の男子は成人して妻を貰ったが、結局、子は出来なかったということを指す。「齋東野語」)さいとうやご)は宋末元初の文人・詩人周密(一二三二年~一二九八年)の随筆。「中國哲學書電子化計劃」の影印本こちらの当該部で校合したところ、「𣝸の字が底本も(へん)が「木」が「扌」になっていたので訂した。「閹」も「奄」とあるのを訂した。内容が内容だけに、かなり訓読が難しいが、頭から自然流で試みる。最初に言っておくと、以下に見る通り、仏典にちゃんと載るもので、「黃門」(くわうもん(こうもん))は、ここでは先の広範囲な半陰陽を指すが、本邦の隠語では、「受胎させることが出来ない性的な不具合(勃起不全や無精子症等の生殖不能症)を持っている男を指したり、「有婦の男子で、子のない人のこと」を「子(こ)を産(う)まん」を「黄門」に捩った謂いとされる。

   *

按ずるに、「齋東野語」【卷第十六。】に云はく、

『「大般若經」に五種の黃門(くわうもん)を載(の)せて云はく、『凡そ、「扇𣝸半釋迦(せんてつはんしやか)」と言ふ。唐音は「黃門」なり。其の類、五つ、有り。一(ひと)つを「半釋迦」と曰ふ。總名(さうめい)なり。男根を用ふること有るも、而れども、子を生ぜず。二(に)を「伊利沙半釋迦(いりさはんしやか)」と曰ふ。此れ、「妱」(しやう)とも云ふ。他行(たぎやう)を欲するを謂ひ、卽ち、發(はつ)することを見ず。卽ち、男根を具ふること、無し。而しれば、子を生ぜず。三(さん)を「扇𣝸半釋迦(せんきはんしやか)」と曰ふ。本來の男根の不滿なるを謂ふ。亦、子を生ぜず。四(し)を「博叉半釋迦(はくさはんしやか)」と曰ふ。半月(ふたなり)の能(のう)のある男(をとこ)を謂ふ。半月は、男たる能(あた)はず。五(いつ)に「留拿半釋迦」(るだはんしやか)と曰ふ。此れ、割れたるを云ふ。割刑(かつけい)にされたる者を謂ふ。此の五種、黃門の名たり。人として、惡趣に中(あた)れる身を受けたる處(ところ)なり。』

と。

 然(しか)れども、「周禮」(しうらい)の「奄人」(えんじん)の、鄭(てい)氏が註に云はく、

『眞(まこと)の氣藏を閹(あん)ずる者は、之れを「宦人」(かんじん)と謂ふ。是れ、皆、眞の氣、不足に致(いた)るのみ。』と。【摘要なり。】。

   *

判ったような判らぬ話だが、一寸だけ言っておくと、「他行(たぎやう)を欲するを謂ひ、卽ち、發(はつ)することを見ず」は、同衾するものの、コイツスを好まず、別なことを要求し、少しも興奮せず、実は男根を所有していない様態(男性仮性半陰陽)を言っているようだ。「本來の男根の不滿なるを謂ふ」は勃起不全であろう。「半月(ふたなり)の能(のう)のある男(をとこ)を謂ふ」真正半陰陽。「此れ、割れたるを云ふ。割刑(かつけい)にされたる者を謂ふ。此の五種、黃門の名たり。人として、惡趣に中(あた)れる身を受けたる處(ところ)なり」という最後まで読むと、これは所謂、宮刑(きゅうけい)、宦官(かんがん)のように男性生殖器を切断する刑を受けた者を指しているようには読める。「奄人」は宦官と同義。

「五雜俎」「五雜組」とも表記する。明の謝肇淛(しゃちょうせい)が撰した歴史考証を含む随筆。全十六巻(天部二巻・地部二巻・人部四巻・物部四巻・事部四巻)。書名は元は古い楽府(がふ)題で、それに「各種の彩(いろどり)を以って布を織る」という自在な対象と考証の比喩の意を掛けた。主たる部分は筆者の読書の心得であるが、国事や歴史の考証も多く含む。一六一六年に刻本されたが、本文で、遼東の女真が、後日、明の災いになるであろう、という見解を記していたため、清代になって中国では閲覧が禁じられてしまい、中華民国になってやっと復刻されて一般に読まれるようになるという数奇な経緯を持つ。検索で三箇所ほど見つけたが、馬琴も引用していないのだから、私がやる必要はない。]

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