鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「六 食踈にして家亡びし事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。但し、本篇は、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」の抜粋版には収録されていない。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。踊り字「〱」「ぐ」は正字化した。適宜、オリジナルに注を附す。]
六 食踈(おろそか)にして家亡びし事
尾州名古屋に、岩瀨權左衞門と云ふ人あり。
下女、心なき者にて、食(めし)の喰殘(くひのこ)し、多く有りけるを、盡(ことごと)く、棚(たな)の下に捨てけり。
每日、此のごとくにして、四、五年を歷(へ)けるが、棚下の邊(ほと)り、皆、蛇と成る。主人、是に肝を銷(け)し、旦那坊主、金剛寺を請(しやう)じ、
「如何(いかゞ)せん。」
と賴む。
坊主、
「是、身上破滅(しんしやうはめつ)の相なり。さりながら、我(わが)云ふ如くせられば、よからんか。」
と云うて、蛇共(ども)を一つも殘さず拾ひ聚めて、常の飯鍋(めしなべ)に入れて蓋(ふた)を覆(おほ)ひ、經咒(きやうじゆ)を讀誦(どくじゆ)して燒(た)かせければ、如何にも奇麗なる食(めし)となる。
長老曰く、
「是を夫婦して、皆、悉く、喰(くら)ひ盡(つく)されば、無事なるべし。若(も)し喰餘(くひあま)しなば、家、亡(ほろ)ぶべし。」
と。
「さらば。」
とて、喰(く)ひけれども、大分(だいぶん)の事なれば、喰(くら)ひ餘(あま)しけり。
「兎角、身上滅亡なり。」
と云うて、坊主は歸られけり。
頓(やが)て、食燒(めしたき)の下女、兩眼(りやうがん)、ひしと、禿(つぶ)れたり。
扨(さて)、言ふに違はず、四、五年の内、權左衞門孫子(まごゝ)、四、五人、女房、ともに死に果て、六年過ぎて、權左衞門、終(つひ)に死にけり。
食燒女は小林村の名主の娘なり。
寬永五年の事なり。
若原道久(わかはらだうきう)、確(たしか)に知つて語るなり。
[やぶちゃん注:捨てた張本人は失明でしつつも、命は無事で、何故、一族は滅亡するのか、因果が不平等である。因果物語としては、甚だ不満が残る。
「棚の下」恐らくは台所に作り付けになっている膳棚の下方が土間の床下に繋がっており、その土間続きの地面に隙間から投げ込んで捨てていたということであろう。
「金剛寺」現在の愛知県名古屋市には二つある。中区栄の臨済宗金剛禅寺と、緑区鳴海町平部の曹洞宗金剛寺である。
「寬永五年」一六三四年。
「若原道久」不詳。]
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