鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「十六 大河を覺えず走る事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇は収録されていない。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。踊り字「〱」「ぐ」は正字化した。適宜、オリジナルに注を附す。]
十六 大河を覺えず走る事
奧州會津吉村淸兵衞(よしむらせいびやうゑ)と云ふ仁(じん)、松平下野殿(まあつだいらしもつけどの)、遠行(ゑんぎやう)の時、驚きて、會津の城下の河を、覺えず、走り通りけり。歸りに、舟にて越しける時、川を見出したり。又左衞門(またざゑもん)と云ふ者、語るなり。
[やぶちゃん注:「吉村淸兵衞」不詳。
「松平下野殿」松平下野守忠吉(天正八(一五八〇)年~慶長一二(一六〇七)年)か。第二代将軍徳川秀忠の同母弟で、徳川四天王の一人である井伊直政の娘婿に当たる。当該ウィキによれば、慶長五(一六〇〇)年の「関ヶ原の戦い」では、『会津征伐ために関東を北上して小山に到着後、家康に先んじて』、『東海道駿河国に進んだことが秀忠書状で確認でき』、『旅程を考慮すれば』七月二十五日の『小山軍議以前に西進した』とあるので、若い時のお忍びでの話か(と言っても、彼は享年二十八の若死にである)。後半生は殆んど関西にあって病気がちであったので、可能性はゼロに近い。
「會津の城下の河」大河は鶴ヶ城の西方を南北に貫流する阿賀川(あががわ)であるが、これは少し川幅があり過ぎるので、鶴ヶ城南直下の同川の北右岸で合流する湯川(ゆがわ)か、鶴ヶ城の南西で湯川に合流する支流の、さらに細い古川であろうかなどと考えたが、後の二者は現在の画像を見る限りでは「走り抜けた」と言っても、奇談にはならない感じだ。帰りは舟で越したというのだから、やっぱり、暴虎馮河で阿賀川なのであろう。]
〇酒井何某(さかゐなにがし)殿、鷹匠秘藏の鷹を、のらす時、
「あつ。」
と思ひ見れば、向ひの森に、鷹、あり。
是を見て翔付(かけつ)けて、鷹を据(す)ゑ上げたり。
歸らんとするに、大河有りて、越されず、二里廻りて、舟に乘りて歸るなり。
傍輩衆(はうばいしゆ)、皆々、知りたる事なり。
川は、とね川なり。
[やぶちゃん注:「のらす時」鷹狩りをする際に腕に載せるので、ここでは、「鷹狩りをした際」の謂いであろう。]
« 鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「十五 蛇に呑まれて蘇生する者の事」 | トップページ | 鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「十七 雪石夢物語の事」 »