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2022/10/04

鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 上卷「十四 弟の幽靈兄に怨を成す事 附 兄婦に憑く事」

 

[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。但し、既に述べたように、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」に抜粋版で部分的に載っているので、既に述べたように、その本文をOCRで取り込み、加工データとして一部で使用させて戴く。そちらにある(底本は東洋文庫岩崎文庫本)挿絵もその都度、引用元として示す。注も参考にする。本篇は生憎、そこではカットされている。

 なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。

 本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。踊り字「〱」「ぐ」は正字化した。適宜、オリジナルに注を附す。]

 

   十四 弟(おとゝ)の幽靈兄に怨(あだ)を成す事

      兄(あに)婦(よめ)に憑く事

 三州苅屋(かりや)にて、常木何某(つねきなにがし)と云ふ人の弟、不覺悟人(ふかくごじん)なるに依(よつ)て、兄(あに)、殺して、隱しけり。

 一周忌過(すぎ)てより、彼(か)の弟、血刀(ちがたな)を振り來り、兄に向つて、雜言(ざふごん)す。

 兄、刀を拔きて、追拂(おひはらひ)、追拂(おひはらひ)しけるが、積虫(しやくむし)の持病(ぢびやう)と成りて、次第々々に、氣力(きりよく)盡きて、爲方(せんかた)なく、本光寺、善德和尙を賴み、吊(とむら)ひてより、再び、來らざるなり。

 正保三年五月の事なり。

[やぶちゃん注:「三州苅屋」愛知県の西三河地方西端に位置する現在の刈谷市であろう。

「不覺悟人」不心得者。卑怯者。

「殺して、隱しけり」と言っている限りは、彼は弟の遺体を隠して、殺害も露見していななかったということになる。

「積虫」重い胃痙攣などによって、腹部や胸部に発作的に起こる激痛を、近世以前、体内に潜む寄生虫・病原虫と考えて言ったもの。「さしこみ」「癪(しゃく)」「疝癪(せんしゃく)」。重篤なケースでは胃癌などの場合もあった。

「本光寺」不詳だが、刈谷市に遠くなく、同じ国で、建立年に問題なく、曹洞宗である、愛知県額田郡幸田町にある曹洞宗瑞雲山本光寺を一つの候補に挙げておく。

「善德和尙」この場合、しかし、兄は弟殺しを、少なくとも、この和尚には懺悔(さんげ)しなくては供養は成立しない。]

 

○大坂城中に、松衞門(まつゑもん)と云ふ者あり。

 落城の後、紀州有田(うだ)の内(うち)、かぶら坂、畑村(はたむら)と云ふ處に、市右衞門と云ふ兄あり。

 此處(このところ)へ來りて住(すみ)けるが、程なく煩(わづら)ひ付(つ)き、已に、死期(しご)に及ぶ時、

「我、死せば、金柄(かねづか)の小刀(こがたな)と、六道錢(ろくだうせん)六文、龕(がん)の内(うち)へ入れよ。別に言ふ事、なし。」

て死す。

 然(しか)るに、女房、市右衞門に云うて、小刀をも入れず、惡錢(あくせん)六文、入れたり。

 未だ七日も過ぎざるに、松衞門、來り、女房の目に見えたり。

 女房、驚く事、限りなし。

 女房の弟、此の由を聞き、

「不審なり。」

とて、馬に騎(の)つて來(きた)るを、彼(か)の松衞門、路(みち)にて、

「遁(のが)すまじ。」

と云うて、取つて抛(なげ)ければ、忽ち、殺入(せつじ)したるを、往來の人、見て、引起(ひきおこ)し、

「是は、何事ぞ。」

と問へば、

「松衞門に抛られたり。」

と云ふ。

 其後(のち)、松衞門、來りて、女房を引立(ひきた)てゝ行く。

 女房、肝を消し、叫び、悲(かなし)むを、市右衞門、抱(いだ)き留(とゞ)めけれども、用ひず、引立てゝ行くほどに、女房、柱(はしら)に懷(いだ)きつき、添ひければ、柱の石口(いしぐち)、三寸(ずん)ほど、上(あが)るなり。

 此由、慶瑞(きやうずゐ)和尙の弟子、圓滿寺に、語りければ、仔細を聞き、

「是は、遺言(ゆゐごん)の如くせざりし故なり。」

とて、即ち、彼の小刀と上錢(じやうせん)六文と、彼が墓(つか)へ埋(うづ)ませければ、其より、再び來らざるなり。

[やぶちゃん注:この話、明かに大坂城の落人の生前の剛腕を髣髴させるシーンを後半に二、三箇所もアクロバティックなピークとして作り入れているが、そのテンコ盛りが却って禍いし、それぞれのシークエンスがバラバラになってしまい、妻の弟は馬上で摑まれ投げられて、そのまんま退場? 妻が無惨に引きづられるのを、兄きはどうして追わないの? 柱にしがみついた妻は、どこで、どうして、松衛門から命拾いしたんだよ?……って、そこで、ブツリときれて、やおら――御大和尚登場――馬鹿でも判る切り口上――急速鎮静――ハイ、サヨウナラ――なんだか、低予算のB級ホラー画を見せられている感じで、私は「何だかな~」って呟くしかない。

「大坂」「落城」「大坂夏の陣」で事実上の炎上落城は慶長二〇(一六一五)年五月八日。

「紀州有田の内、かぶら坂、畑村」和歌山県海南市下津町小畑蕪坂。熊野古道の難所として知られる。

「龕」この場合は棺桶の意。

「殺入(せつじ)」「せつじゆ(せつじゅ)」「ぜつじゆ(ぜつじゅ)」とも。「じゅ」は「入」の慣用音。「絶入」に同じ。「気絶すること・一時的に息の絶えること」指す。

「柱の石口」礎石の上面で、柱の根元に接している部分を言う語。土台石の上端。根石上端(ねいしうわば)。

「慶瑞和尙」不詳。

「圓滿寺」ロケーションの近場では和歌山県有田市宮原町東に鎌倉中期に創建された臨済宗妙心寺派円満寺がある。

 

○江州大塜(おほつか)に、白山の山伏、還俗(げんぞく)して善左衞門と云ひけり。

 兄の子を養子にして、寬永九年の比(ころ)、死去せり。

 兄は江戶に奉公して居(ゐ)けるが、是も、歸りて、程なく、死す。

 養子、家を繼(つぎ)ながら、善左衞門を吊(とむら)ふことなく、無道心なりけるが、いつとなく、瘦(やせ)衰へ、病者となつて、用に立たず。

 去程(さるほど)に、正保二年霜月七日に、善左衞門兄婦(あによめ)、俄(にはか)に口走つて云ひけるは、

「我(われ)ゆづりける家財・農具(のうぐ)、みなみな、返すべし。養子。瘦(やす)ることも、我を吊はざる故に、餓鬼の業(ごふ)を授くるなり。鋤・鍬・小桶・衣類・紙子何々(なになに)。」

と一々(いちいち)に數へ立てゝ、

「返せ、返せ、」

と責むるなり。

 是(これ)に驚き、本秀和尙を賴み、吊ふなり。

 然(しか)るに、寺にて、日中(につちう)の經を誦(よ)む時分、口走りて、云ひけるは、

「茶(ちや)の子(こ)を拵へて、寺へ行くベし。我も跡より、寺へ行くなり。」

と云ふ。

 それより、治まりて、病者、本復(ほんぶく)するなり。

[やぶちゃん注:「江州大塜」滋賀県東近江市大塚町か。

「寬永九年」一六三二年。

「正保二年霜月七日」一六四五年十二月二十四日。

「農具(のうぐ)」底本のルビは「だうぐ」。初版板本で訂した。

「本秀和尙」既出既注

「茶の子」法事に用いる茶菓子。]

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