鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「三十一 犬生れて僧と成る事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇以下の中巻の「二十九」から最後の「三十六」及び附記までは全く収録されていない。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。]
三十一 犬生れて僧と成る事
或處にて、關山派(くわんざんは)の長老、久しく白犬(しろいぬ)を飼はれけるが、さる夜(よ)の夢に、犬、告(つげ)て云ふ、
「我、頓(やが)て門前の者の子に生れ出でそろ間(あひだ)、弟子に成され給へ。」
と云ふ。
其如(そのごと)く、頓(やが)て死す。
斯(かく)て、門前の女、懷胎して、滿ずる月に產(うま)る。貧女なれば、
「捨つべし。」
と云ふを、住待、聞き給ひて、
「七歲まで、扶持(ふち)を出(いだ)すべし。」
と云うて、助けらる。
成人するに、如何にも正直者なるが、經を讀むこと、つやつやならず、と。
此物語、京泉涌寺(せんゆうじ)にて、彼(か)の犬の生れ代(がは)りの僧に、同床(どうしやう)したる眞藏主(しんざうず)、語るなり。
[やぶちゃん注:「關山派」鎌倉末期から南北朝期の臨済僧で、花園上皇に招かれて妙心寺開山となった関山慧玄(かんざんえげん 建治三(一二七七)年~正平一五/延文五(一三六一)年)の禅を受け継ぐ一派。当該ウィキによれば、彼の『法嗣は授翁宗弼(じゅおうそうひつ)ただ一人であ』ったが、『南浦紹明(大応国師)から宗峰妙超(大灯国師)を経て関山慧玄へ続く法系を「応灯関」といい、現在、日本』の『臨済宗は』、『みな』、『この法系に属する。関山の禅は、後に系統に白隠慧鶴』(はくいんえかく:江戸中期の臨済宗中興の祖と称される)『が出て』、『大いに繁栄し、他の臨済宗諸派が絶法したのに対し、その法灯を今日に伝えている』とある。
「そろ」「候(そろ)」。「そうろう」の音変化。「ある」の丁寧語で、多くはこのように補助動詞として用いる。活用形は、未然形は「そろは」と「そろ」、連用・終止・連体形は「そろ」、已然・命令形は「そろへ」である。
「つやつやならず」流暢ではなかった。
「泉涌寺」現行の読みは「せんにゅうじ」。京都市東山区泉涌寺山内町にある真言宗泉涌寺派総本山。ここ。
「同床」言わずもがなだが、修学・修行のために寝泊まりを一緒にしたことを言う。
「眞藏主」不詳。「藏主」は元は経蔵を管理する僧の意であるが、しばしば出家後の僧名に附された。]
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