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2022/10/18

曲亭馬琴「兎園小説余禄」 雷雪

 

[やぶちゃん注:「兎園小説余禄」は曲亭馬琴編の「兎園小説」・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」に続き、「兎園会」が断絶した後、馬琴が一人で編集し、主に馬琴の旧稿を含めた論考を収めた「兎園小説」的な考証随筆である。

 底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの大正二(一九一三)年国書刊行会編刊の「新燕石十種 第四」のこちらから載る正字正仮名版を用いる。

 本文は吉川弘文館日本随筆大成第二期第四巻に所収する同書のものをOCRで読み取り、加工データとして使用させて戴く(結果して校合することとなる。異同があるが、必要と考えたもの以外は注さない)。

 句読点は自由に変更・追加し、記号も挿入した。]

 

   ○雷雪

天保二年辛卯冬十二月十八日の朝、伊勢松坂邊、雪中に雷鳴あり。その中に、大雷鳴、三聲、大坂も亦、おなじ。京は雷のみにて、雪はふらざりし、といふ。この事、松坂なる殿村篠齋の郵書に告らる。篠齋は、雷を怕るゝ癖あれば、俄に蚊帳を垂れて籠り居たりし、とぞ。江戶も、この日、雪はふりたれども、雷鳴は、なし。但、每夜、深更に遠電ありしのみ、越後などには、雪中の雷も稀にはありと、かねて聞えしかども、そは、名におふ雪國なればなん、この例には、なしがたし。按ずるに、宋の周密が「癸辛雜識」云、『至元庚寅正月二十九日癸酉。是年二月三日春分。送女子吳氏。至博陸早雪作。至未時電光。繼以大雷。雪下如ㇾ傾。而雷不ㇾ止。天地爲ㇾ之陡黑。余生平所未見。爲驚懼者終日。客云。記得。春秋魯隱公九年三月。三國吳主孫亮太平二年二月。晉安帝元興三年正月。義煕六年正月。皆有雷雪之變。未ㇾ及ㇾ考也。』【「見續集」第四十八條、○周密字公謹。宋末人。至元元世祖號。庚寅當ㇾ作丙寅。】。

[やぶちゃん注:「天保二年辛卯」(かのとう/しんぼう)「冬十二月十八日」グレゴリオ暦では既に一八三二年一月十六日。

「殿村篠齋」(とのむらじやうさい)は国学者殿村安守(やすもり 安永八(一七七九)年~弘化四(一八四七)年)の号。本姓は大神。伊勢松坂の商人殿村家の分家の嫡男。本家を継いで、殿村整方の養子となった。寛政六(一七九四)年に養父に倣って本居宣長に入門し、寵愛を受けた。宣長没後は本居春庭に師事し、盲目の春庭を物心両面から援助した。馬琴とは特に親しく、「南総里見八犬伝」や「朝夷巡島記」を批評し、これに馬琴が答えた「犬夷評判記」があるが、実際には、その殆んどは馬琴の手になったものではないかともされる(「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。

「周密」(一二三二年~一二九八年)は宋末元初の文人で詩人・詞人。呉興(浙江省)の人。原籍は済南(山東省)。宋末に任官したが、宋の滅亡後は杭州に流寓し、風雅の生涯を送った。詩文・書画に優れ、美術の鑑識で重んじられた。歌辞文芸「詞」に於いて、殊に有名で、先輩の呉文英と「二窓」と並び称さられ、高雅幽遠な南宋文人詞を代表する詩人である。詩集は「草窓韻語」、詞集は「蘋洲漁笛譜」(「草窓詞」とも)。また、詞の名作を選んだ「絶妙好詞」を編集している。ほかに美術評論「雲煙過眼録」や随筆「武林旧事」・「斉東野語」(せいとうやご)などがある(小学館「日本大百科全書」に拠った)。

「癸辛雜識」(きしんざっしき:現代仮名遣)は周密が見聞した多くの出来事を記載した随筆で、当時の社会状況を知る重要な資料とされる。以下は、同書の「続集」の上の「雷雪」で、維基文庫のこちらに電子化されてある(「48雷雪」)。それと比べると、若干の異同がある。以上の訓読を自然流で試みる。返り点のない一部でそれに従わずに読んだ。

   *

至元庚寅(こういん)正月二十九日癸酉(きいう)、是の年、二月三日、春分なり。女子を送る。吳氏へ嫁せり。博陸(はくりく)に至りて、早(はや)、雪と作(な)る。未(ひつじ)の時に至りて、電光あり、繼いで、大雷(だいらい)を以つてす。雪の下(ふ)ること、傾(かたぶ)くがごとく、而(しか)も、雷、止まず。天地、之れが爲めに陡(には)かにして黑(くら)し。余、生平(ひごろ)、未見の所なれば、驚懼を爲(な)すは、終日たり。客、云はく、「記得(きどく)するに、「春秋」に『魯の隱公九年三月』と、三國の吳主孫亮の太平二年二月と、晉の安帝の元興三年正月と、義煕(ぎき)六年正月と、皆、雷雪の變、有り。』と。」と。未だ、考ふるに及ばざるなり【「續集」の第四十八條を見よ。○周密、字(あざな)は公謹、宋末の人。「至元」は元の世祖の號。「庚寅」は當(まさ)に「丙寅」と作(な)すべし。】。

   *

「博陸」は地名(不詳)ととった。「未の時」午後二時前後。「記得するに」「私の記憶によれば」。「魯の隱公九年」紀元前七一四年。所持する岩波文庫版「春秋左氏伝」の当該条に『三月癸酉、大雨、震電ス。庚辰、大イニ雪雨(フ)ル』とあるが、これは「雪中の雷」ではなく、時季外れの雷と雪の天変の意である。「吳主孫亮の太平二年二月」二五七年。「晉の安帝の元興三年正月」東晋で四〇四年。「義煕六年正月」前と同じ東晋の安帝の年号で、四一〇年。割注は馬琴によるもの。「號」元号。馬琴はここで元号の干支が誤っているとして「庚寅」は「丙寅」とすべきであると言っているのだが、「是の年、二月三日、春分なり」を根拠として逆算したもの。確認済み。「至元」はモンゴル帝国のカアン・クビライ(元の世祖)の治世で用いられもので、元年は一二六四年で、至元三十一年まで。「至元」の「庚寅」は至元二十七年で一二九〇年、「丙寅」は至元三年で一二六六年である。

   *]

「草木子」云、『雪中雷電。自至正【元順宗年號。】、至庚寅【至正十年。】。已後屢々見ㇾ之。葢陰陽差升之氣。異平常也。辛亥【明太祖洪武四年。】春正月十一日。雷而大雪者凡三四日。又其甚也【見二卷三「克謹篇」。】。又按。明錢希言「獪園」云、『萬曆癸丑冬十二月二十六日。立春先一日。夜半子刻忽有烈風暴雨。震雷閃電。一時交作。霹靂數聲。擊ㇾ人而死。月駕園千年怪柏。爲ㇾ風吹斷。遲明乃定。占者謂、「冬行夏令。主其國澇。」。至明年甲寅五月。果大水。然幸不ㇾ爲ㇾ苗矣。」【卷十五「妖草編」。】。

[やぶちゃん注:同前で訓読を試みる。

「草木子」に云はく、『雪中の雷電は、至正より【元の順宗の年號。】庚寅(こういん)に至り【至正十年。】、已後(いご)、屢々(しばしば)、之れを見たり。葢(けだ)し、陰陽の差升(さしよう)の氣、平常と異(こと)なるなり。辛亥(しんがい)【明の太祖洪武四年。】春正月十一日、雷して、大雪するは、凡そ、三、四日。又、其れ、甚だしきなり【二卷三「克謹篇」を見よ。】。又、按ずるに、明の錢希言が「獪園」(くわいゑん)云はく、『萬曆癸丑(きちう)冬十二月二十六日、立春は先きの一日(ついたち)たり。夜半、子(ね)の刻、忽ち、烈風暴雨、有り。震雷・閃電、一時は交じり作(な)す。霹靂、數聲、人を擊ちて、人をして、死せし。月駕園の千年の怪柏(くわいはく)、風の爲めに、吹き斷(を)れり。遲明にして、乃(すなは)ち、定(ぢやう)せり。占者、謂はく、「冬行夏令(とうぎやうかれい)、其れ、國澇(こくらう)を主(あるじ)す。」と。明年(みやうねん)甲寅(こういん)五月に至りて、果(はた)して、大水(おほみづ)あり。然れども、幸ひにして、菑(わざは)ひとは、爲(な)らず。』と【卷十五「妖草編」。】。

   *

「草木子」元末・明初の葉子奇の撰になる文学的散文。「至正」元年は一三四一年。「差升」不詳。陰陽の気の変動を言うか。「明の太祖洪武四年」一三七一年。「明の錢希言」官人。「獪園」は志怪小説らしい。「萬曆癸丑」万暦四十一年で一六一三年。「立春は先きの一日たり」二月一日。確認済み。「月駕園の千年の怪柏、風の爲めに、吹き斷たる」『「月駕園」という庭園(不詳)にある樹齢千年とされる、妖しくも名樹たる古木の柏(はく:中国ではカシワではなく、ヒノキの類を指す)が、その暴風のために、吹き折られた。』。「遲明」夜明けがた。暁よりは曙の頃であろう。「定せり」穏やかに静まった。「冬行夏令」冬であるのに夏のようであるの意で、「激しい異常気象」を指すものと思われる。「國澇を主す」「澇」は「長雨」の意であるから、この暴風雷電は凶兆であり、これより、一国全体を長雨・洪水が襲うことを言っているようである。

 以下、前の段落に続いているが、改行した。]

解云、寒中の雷雨は文政十年丁亥十二月中旬、一夕、暴雨雷電【丑より曉方に至る。】。明年戊子の秋、西國、幷に、東海道濱松邊、大風雨。洪水の菑[やぶちゃん注:「わざはひ」。]あり。但、雷雪の故實は、外朝の先蹤のみ、管見をしるす。天朝の故實は、いまだ考に及ばず。文政十二年己丑冬十二月十五日【小寒後、四日也。】、今夜、雨ふる。夜中、雷、三、四聲、晚に至て、小雪、まじり、程なく、雨、歇[やぶちゃん注:「やむ」。]。去々年[やぶちゃん注:「おととし」。]、寒中に雷電あり。今茲、又、かくのごとき氣候の差異あり。明年の夏、江戶郊外、野疏、豐ならず。米價も、頗[やぶちゃん注:「すこぶる」。]のぼりにき。

[やぶちゃん注:「解」「とく」。馬琴の本名。

「文政十年丁亥十二月中旬」グレゴリオ暦では既に一八二八年一月中旬から二月上旬に相当する。

「文政十二年己丑冬十二月十五日」グレゴリオ暦では既に一八二九年一月二十日。]

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