鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「二十二 亡者錢を取返す事 附 鐵を返す事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇は収録されていない。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。]
二十二 亡者錢(ぜに)を取返(とりかへ)す事
附鐵(くろがね)を返す事
尾州愛智郡(あいちぐん)星崎村(ほしざきむら)に、彥十郞と云ふ者、信者にて、後話(ごせ)、ことに精を入れけり。
四十の比(ころ)、女房を去りけるに、舅(しうと)には不足なき故、本の如く、出入(しゆつにふ)す。
女房、頓(やが)て死にけり。
然(しか)る間、亦、女房を求めけり。
彥十郞四十二、三の比、白山立山へ參詣しけるに、立山にて、本(もと)の死したる女房、出でゝ、彥十郞に向つて、
「其方(そのはう)は、我等、父の方より貰ふまじき錢を取るなり。返し給へ。」
と云ふ。
彥十郞、聞きて、
「然樣(さやう)の事、有り。」
とて、舅より請(うけ)たる、錢五十文、速(すみや)かに返しけり。
其後(そのゝち)、笠寺の鐘撞(かねつき)と成りて居(ゐ)たり。
慶安五年の事なり。
南野(みなみの)十左衞門、語るを聞くなり。
[やぶちゃん注:「尾州愛智郡星崎村」愛知県名古屋市南区星崎。歴史的に諸史料でも愛「智郡」と「愛知郡」は両用されている。
「笠寺」愛知県名古屋市南区笠寺町(かさでらちょう)上新町(かみしんまち)にある真言宗智山派の天林山笠覆寺(りゅうふくじ)。十一面観音を本尊とし、一般に「笠寺観音」名で親しまれている。
「慶安五年」一六五二年。
「南野十左衞門」不詳。]
○越中に、「宇(う)の津(つ)」と云ふ鍛冶(かぢ)あり。
人、打物(うちもの)、誂へる時、古鐵(ふるがね)、多く遣りければ、打物、打ち餘りたる鐵(てつ)を取りけるに、彼(か)の「宇の津」、立山參詣の時、地獄の中(うち)より、高聲(たかごゑ)に、
「打物の時、餘りたる鐵を、只今、返せ。」
と呼(よば)はる。
是を聞きて、大に驚き、腰に持たる錢(ぜに)、三百文、地獄へ抛入(なげい)れければ、
「是は、多し。」
とて、半分、返しけるに、此錢、燒けて、滿ち合ひけり。
是を持ち、家に歸り、ほどの上へ、彼(か)の錢を掛け置きて、出入の人々に見せ、懺悔(さんげ)して、此(この)謂(いは)れを語るとなり。
今井四郞左衞門、語るなり。
[やぶちゃん注:『「宇の津」と云ふ鍛冶』不詳。
「燒けて、滿ち合ひけり」熱で溶けて、銭同士が癒合しえしまったのである。
「ほど」「火床(ほど)」。鍛造用の小さな炉のこと。]
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