鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「三十五 幽靈刀(かたな)を借りて人を切る事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇以下の中巻の「二十九」から最後の「三十六」及び附記までは全く収録されていない。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。]
三十五 幽靈刀(かたな)を借りて人を切る事
攝州大坂上寺町(うへてらまち)に、淨土寺(じやうどでら)あり。
旦那、
「日侍(ひまち)をする。」
とて、寺へ集(あつま)りたり。日待の施主、
「用、有り。」
とて、宿(やど)へ行く處に、寺の門外に、女(をんな)一人(にん)立ちて居(ゐ)たり。
「有者ぞ。」
と問へば、
「我は此寺の長老の隱し女なり。我、煩(わづら)ひの中(うち)、長老、申されしは、
『其方、死せば、別の女房、持つまじく。』
と約束ある處に、頓(やが)て、女房を求めらる。其方の脇差、少しの間(ま)、借りたし。」
と云ふ。
「易き事なれども、用、有りて、宿へ行く間(あひだ)、成るまじき。」
と云へば、
「いや。唯今、返すべし。」
と云ふ。
「去らば、借さん。」
とて、さやながら借しけれぱ、十間程、行く内に、早や、來り、脇差を返し、
「其方(そのはう)故に、日比(ひごろ)の遺恨、遂げたり。」
とて、消え失せぬ。
旦那、宿へ行かず、寺へ歸りて、長老を呼び立て、件(くだん)の由を云ひければ、長老、肝を銷(け)し、方丈へ入りて見れば、女房の首、落ちて有りと聞く。
寺號も確(たしか)に聞けども、態(わざ)と書かぬなり。
[やぶちゃん注:「攝州大坂上寺町」不詳。寺が判ってしまうとまずいので、町名も変えたか。
「日待」決った夜に行う忌籠(いみごも)りの一つ。「月待」(つきまち)に対するもので、正月・五月・九月の中旬に行われることが多く、その夜は、町人・村人たちが、当番に当てた家(ここでは寺)に寄合って忌籠りし、翌朝、日の出を拝して解散する集まりを言う。「マチ」は、もとは「マツリ」の意と考えられており、人々が集(つど)って、共同飲食する「マツリ」が、次第に「日を待つ」意へと変じたものと思われている。「夜籠り」は、本来は、厳しい斎戒を伴うものであって、その夜は、家の火を清め、当番の主人は、女を避け、総て、男性の手で行う決まりであったが、他の講などの集まり同様、次第に遊興の口実へと変質していった(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」を主文として私が手を加えた)。]
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