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« 昨日クルーズ 第二海堡到達 | トップページ | 鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 下卷「二十 愛執深き僧蛇と成る事」 »

2022/10/16

鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 下卷「十九 五輪の間に蛇有る事」

 

[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇は収録されていない。

 なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。

 本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。]

 

   十九 五輪の間(あひだ)に蛇有る事

 尾州萬松寺(ばんしようじ)の末寺、福壽院の旦那、大谷八兵衞(おほたにはちびやうゑ)と云ふ人、死す。

 五輪を立て、第三年の時、

「此五輪の臺、ひくし。切直(きりなほ)さん。」

とて、五輪を取放(とりはな)して見れば、五輪の間に、白き蛇、平(ひらた)く成りて居(ゐ)たり。

 其時の奉行、八兵衞内(うち)の佐右衞門(さゑもん)、是を見て、不思議に思ひ、五輪の切合(きりあは)せを見るに、如何にも、能く切合(きりあは)せたり。穴も、四寸程、深し。「ほぞ」も四寸程、有り。

 彼の蛇、平(ひらた)く成りてありしが、俄(にはか)に大くなりて、怖ろしく、見る中(うち)に、穴、一盃(いつぱい)に成りたり。

 此由、子息の八兵衞に告(つげ)ければ、

「知音(ちいん)に、修行者(しゆぎやうじや)有り。」

とて、此人に語りければ、此人、

「目出度(めでたき)事なり。神に成り給ふ。」

と云ふ。

 子息、悅び、酒など、持來(もちきた)り、福壽院にて祝ひけり。

 其後(そのゝち)、本秀和尙、名古屋へ出で給ふに、子息、此由を語る。

 和尙、聞きて、

「是、能き事に非ず。畜生道(ちくしやうだう)へ落ちたり。」

と云ひ給へば、諸人(しよにん)、大に驚く、となり。

 見出したるは、寬永六年三月十八日なり。

 其石塔、今に彼(かの)寺に有り、となり。

[やぶちゃん注:「尾州萬松寺」愛知県名古屋市中区大須にある織田信長(織田信秀により織田氏菩提寺として那古野城の南側に建立されたのが最初)や徳川家康を始めとする戦国武将との縁が深く、名古屋の歴史的観光名所にもなっている亀岳林万松寺。元は曹洞宗であるが、二〇一六年曹洞宗との被包括関係を廃止し、現在は単立寺院。

「福壽院」同じく大須にある曹洞宗福寿院。万松寺の南直近。

「奉行」ここでは、五輪塔改修の総責任者の意。

「五輪の間」五輪塔は全部を個別に作って積み上げた場合、安定が悪いので、古いものを見ても、一番下の方形の地輪の上に「ほぞ穴」を彫り、そこに上部が球状の水輪の下部に「ほぞ」を残して加工し、それを嵌める方法がとられた可能性が高い(少なくとも、現在の新しい五輪塔ではそうした形で組み合わせることが多いように思われる。その上の下から順に笠形の火輪・風輪・空輪のは、私が鎌倉で実地観察した限りでは、古い時代のものは三つを同一の石で掘り出したもの、或いは、上部の風輪と空輪は一緒の石であるものが殆んどである。蛇が出現する部分としても最初に述べた地輪の上部が、映像的にもスペース的にも相応しい。

「本秀和尙」既出既注

「寬永六年」一六二九年。]

 

〇武州江戶、吉祥寺(きちじやうじ)の下、溜池(ためいけ)大堤(おほづつみ)の際(きは)に、淨土寺あり。水戶樣御屋敷に成り、池を埋め給ふ時、此淨土寺の卵塔、土取場(つちとりば)に成る。

 此時、一つの五輪の中に、白き蛇、二筋(ふたすぢ)、からみ合うて、あり。

 見る中(うち)に、大(おほき)になり、一尺七寸程あり。

 是を放しければ、三度(ど)まで、からみ合(あ)うて、去りけり。

 役(やく)の者ども、皆、是を見る時、住持、此二つの蛇を取り、水船(みづぶね)に入れ置きて、人々に見せ、

「今に生きて居(ゐ)たり。」

とて、悅びけり。

「此住持、吊(とむら)うて、畜生になし、利口(りこう)する事、扨々(さてさて)、淺ましき事なり。」

と、人に云はれて、耻(はぢ)をかきけり。

 其亡者の娘、七、八歲に成りけるが、來り、見て、彼(か)の二つの蛇を、持ちて歸るなり。

 其亡者は、前田何某(なにがし)と云ふ人なり。霜月十三日に熱病を煩ひ、死す。女房は六年後、霜月十三日に死すなり。

[やぶちゃん注:「吉祥寺」これは、以前に出た、東京都文京区本駒込にある太田道灌が創建した曹洞宗諏訪山吉祥寺であろう。現在の東大キャンパスの北西部分から北西にあった水戸藩中屋敷に近い。

「溜池(ためいけ)大堤(おほづつみ)の際(きは)に、淨土寺あり」東京都文京区にある浄土宗願行寺(がんぎょうじ)か。東大キャンパスの直近北西で水戸中屋敷直近である。

「卵塔」ここでは「卵塔場」で広義の「墓場」の意。

「一尺七寸」五十一センチメートル強。

「役」池埋めの人夫。

「水船」飲料水を貯めて置く大きな箱・桶。

「利口」軽口を言うこと。冗談。]

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