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2022/10/05

鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 上卷「十七 幽靈來つて禮を云ふ事 附 不吉を告ぐる事」

 

[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、この「十七」から上巻の最後の「二十」までは収録していない。

 なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。

 本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。踊り字「〱」「ぐ」は正字化した。適宜、オリジナルに注を附す。]

 

   十七 幽靈來つて禮を云ふ事

      不吉を告ぐる事

 攝州大坂、折屋町(をりやまち)に、長右衞門(ちやうゑもん)と云ふ者あり。

 久しく煩(わづら)ひ、瘦せ衰へて、終(つひ)に死す。

 一町、東、呉服町(ごふくちやう)の、三節(せつ)と云ふ醫者、永々(ながなが)、藥を與(あた)へけれども、子供、貧人(ひんじん)なれば、少しの禮をも、云はず。

 然(しか)るに、其年、三節、御城(おんしろ)より出でらる處に、御門(ごもん)の前にて、彼の長右衞門、待ち迎へて云ひけるは、

「三節樣、永々、御藥下されけれども、子供、終に御禮をも申さず、誠に御恩忘れ難し。」

と云つて、謹んで、禮す。

 三節、見て、

「くるしからず。再び此念を起(おこ)すな。」

と云ひて、二足(ふたあし)三足(みあし)過(す)ぎる中(うち)に、形、なし。

 寬永十八年の事なり。三節の直談なり。

[やぶちゃん注:「攝州大坂、折屋町」現在の大阪市中央区大手筋二丁目附近。そこから「一町」(約百九メートル)「東」に行ったところに「呉服町」はあったということになる。孰れも、大坂城の西側直近である。

「御城」大坂城。大坂城代や、その配下の大坂定番・京橋口定番・玉造口定番らが務めていたので、医師が出入りするのは、不審ではない。大手門はここで、ロケーションの折屋町・呉服町とここが、東直線上に綺麗に並ぶ。

「くるしからず。再び此念を起すな。」いい台詞やなぁ!

「寬永十八年」一六四一年。]

 

○賀州にて、今井何某(いまゐなにがし)、草履取、吉三郞(きちさぶらう)と云ふ者を、戶田某(とだなにがし)所望して、小性(こしやう)に取り上げ、知行百石、出(いだ)したるに依(よつ)て、恒々(つねづね)、云ひけるは、

「我等先祖、賤しき者なるに、御取立(おんとりたて)、成され、殊に、知行迄、下さるゝ儀、誠に以て忝(かたじけ)なし。此恩には伺時(なんどき)にても、後世(ごせ)の御供(おんとも)仕(つかさまつ)るぺし。」

と云ふ。

 三年過ぎて、戶田何某、死去す。

 吉三郞、豫(かね)てより云ひける事なれぱ、

「御供せん。」

と云ふ。今井某、聞いて、

「尤もなり。」

とて、次の日、寺へ同道して、執持(とりもち)、かいしやくして、切腹させけり。

 今井、宅に歸れば、吉三郞、頓(やが)て來りて、

「今日は御執持、忝なし。」

と云ふ。今井、

「何の禮かあるべき、再び來(きた)るべからず。」

と云ヘども、五、六度(ど)、來る間、

「不便(ふびん)なり。」

とて、流灌頂(ながれくわんちやう)して、能く吊(とむら)ひければ、來らざるなり。

[やぶちゃん注:「賀州」伊賀国。]

 

○播州立野(たちの)領、廣山(ひろやま)と云ふ處に、六郞兵衞(ろくらうびやうゑ)と云ふ者、死して後(のち)、幽靈となつて、末蒔村(すゑまきむら)源太夫と云ふ者に逢うて、物語りしけり。

「我子、頓(やが)て死すべし。先(ま)づ、馬、死して後(のち)、火事、出來(いでき)、其後(そのゝち)、子(こ)、死ぬべし。是を歎くに依つて、其方(そのはう)に對面す。此由、語り給へ。」

と云ひけるが、其如く、死に果てけり。

 寬永十二年の事なり。

 彼の源太夫、近藤五郞左衞門に、慥(たし)かに語るなり。

[やぶちゃん注:「播州立野領、廣山」兵庫県たつの市誉田町(ほんだちょう)広山(ひろやま)であろう。

「末蒔村源太夫」変わった姓だが、確認出来ない。

「寬永十二年」一六三五年。]

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