鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「二十五 常に惡願を起す女人の事 附 母子互ひに相憎む事」
[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇は収録されていない。
なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。
本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。]
二十五 常に惡願(あくぐわん)を起(おこ)す女人の事
附母子互ひに相憎(あひにく)む事
三州大平河(おほひらがは)より、二里程上(かみ)、鍛冶屋村と云ふ處に、さる百姓の女房、日比(ひごろ)、惡願を發(おこ)して、子供を喰殺(くひころ)し、
「どうが淵(ふち)へ行くべし。」
と云ひけるが、四十の比、病(やまひ)を受け、煩(わづら)ひ、重く成るに付けて、以ての外、大食(たいしよく)にて、樣子、惡(あ)しきゆゑ、座敷を拵(こしら)へ、立籠(たちこめ)て置きけるに、子供を内へ入れ、
「飯(めし)を喰(く)はせよ。」
と言ふを、危(あやふ)く思ひ、男、食物(しよくもつ)を籠(ろう)の内へ入れければ、
「ひし」
と、腕を取り引き入れんとする間(あひだ)、
「入れじ。」
と、外へ引く。
互ひに引合ふ處に、腕に喰(く)ひ付きて、放さず。
驚きて、人を呼(よば)はり、大勢にて縛らんとするに、女房の腕、ぬめりて、取留(とりとゞ)むること、叶はず。
終(つひ)には、敲(たゝ)き伏せ、六間の家内(いへうち)の柱每(はしらごと)に、縛り付けて置くに、家をゆるがすこと、地震のごとし。
親類・兄弟、是を見て、
「打殺(うちころ)し給へ。」
とて、忽ち、打殺す。
急ぎ、棺に入れて野邊(のべ)へ舁出(かきいだ)す。
導師は阿曾村(あそむら)の阿彌陀寺なり。
野邊にて、棺より、起き上り、ゆるぎ出づるを、又、敲き殺し、押し入れ、火を掛けて燒きけり。遠近(ゑんきん)、隱れなきことなり。
寬永年中のことなり。
[やぶちゃん注:鬼婆系カニバリズムだが、なかなかに手強く、リアルに気持ちが悪いところは、最早、真正の妖怪を遙かに凌駕している。一読、不快感が残る怪奇談で、事実であったと考えるほどに、気味の悪くなる点では、特異点と言えよう。しかし、どうもこういうタイプの怪奇談は、私の好みではない。
「三州大平河より、二里程上、鍛冶屋」条件を満たす場所が全く発見出来ず、最後の「阿曾村の阿彌陀寺」も判らない。お手上げ。鬼のような女だけでなく、殴打し、棺桶から飛び出しても、致命的にたたき殺した(或いは、半死半生の彼女を生きながら焼き殺した)村というのは、見つけない方が、無難だろうな。
「どうが淵」不詳。このシリアル・キラーの女の台詞自体が、意味不明。年少の児童はそれだけで地獄行きが決まっているので、「童が淵」で三途の川の賽の河原の近くにでもそんな淵があるというようなことを考えたものか。
「六間の家内(いへうち)の柱每(はしらごと)に、縛り付けて置くに、家をゆるがすこと、地震のごとし」「六間」は十メートル九十一センチであるから、この屋敷、かなり大きい。「柱每にというのは、一つの柱に縛り付けておいても、その柱が、彼女が激しく逃れようと暴れるために、じきにがたついてくるので、定期的に縛る柱を変えなければならなかったということであろう。
「寬永年中」一六二四年から一六四四年まで。]
〇江州大塜村(おほつかむら)、三榮(さんえい)和尙、語つて云ふ、
「地下人、息女を持ちけるが、此母、娘を愛する事、限りなし。然るに、似合はしき聟(むこ)を取り、近處(きんじよ)ヘ遣はす。
それより、母、彌々(いよいよ)、悲(かなし)み、胸、若(くる)しめり。
終(つひ)に、母の思ふ念、娘に憑きて、煩(わづら)ひ惱ます。
娘、母の憑けるを覺えて、心底、母に語る。母、是を聞いて駭(おどろ)き、思ひ切らんとすれども、思ひ休(や)まず、彌々、深くなる。
是より、娘、母を見れぱ、恐ろしき事、限りなし。
頓(やが)て、亦、娘の念、母に憑きて、惱ます。
恩愛は、忽ちに變じて、互(たがひ)に敵(てき)となりて、惡(あし)く狂ふゆゑに、母の方へ、娘を呼寄(よびよ)せて、座敬牢を拵(こしら)へ、間(ま)を隔(へだ)て、入れ置くに、口をきゝ、互(たがひ)に罵詈誹謗す。
頓て、母、死にけるを聞いて、娘、限りなく悅びけるが、三日の中(うち)に死にけり。
[やぶちゃん注:これは最も悲劇的な拘禁性精神病(恐らくは統合失調症)の感応性感染の事実譚であると考えてよい。そういう事実譚として、この二本からなるこの章は、とりわけ、後味の悪いパートと言える。
「江州大塜村」滋賀県東近江市大塚町(おおつかちょう)。
「三榮和尙」既出既注の「本秀」と同一人物。本書では最も登場する回数が多い。]
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