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2022/10/09

鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「三十三 馬の報いの事」

 

[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇以下の中巻の「二十九」から最後の「三十六」及び附記までは全く収録されていない

 なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。

 本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。]

 

   三十三 馬の報いの事

 三州野田の中村と云ふ處に、太郞助と云ふ者、若き時、馬の喰ひ合ふを、

「鎌にて、敲(たゝ)き放す。」

とて、鎌を馬の背に打込(うちこ)み、馬を殺しけり。

 彼の者、四十四、五の時、馬に憑かれ、煩(わづら)ひ、馬屋(うまや)に入りて、馬の如くに嗚き、かべなど、かぶり、雜水(ざふすゐ)ばかりを呑み、狂ひ死にけり。

[やぶちゃん注:「三州野田の中村」愛知県名古屋市中村区野田町(のだちょう)か。

「かぶり」「かぶりつく」で、「噛みつき」の意であろう。

「雜水(ざふすゐ)」「すゐ」はママ。実際には近代になって、中国語の音韻研究が進んで後に、「水」の音「スイ」は「スヰ」ではなく、そのままでよいことが判ったのであって、江戸時代以前のものには、「すゐ」の表記は有意に多い。「雜水」は「ざふづ」或いは「ざふみづ」と読むのが正しく、牛や馬などの家畜の飲料や飼料を指す。]

 

○同く野田の町、次兵衞(じひやうゑ)と云ふ伯樂(ばくらう)、寬永五年八月より、馬の眞似して、眼(まなこ)を見出(みいだ)し、怖ろしく鳴き、桶(をけ)ながら、雜水を呑み、五十餘歲にて死にけり。

[やぶちゃん注:「伯樂(ばくらう)」村々を回って農家から牛馬を買い集め、各地の牛馬市などで、これを売り捌く「博勞」の読みを当てたもの。

「寬永五年」一六三四年。]

 

○慶安四年三月、要津(えうしん)長老、京四條の鹽風呂(しほふろ)に入り給ふ處に、宿の向ひの亭主、馬の鳴く眞似す。

 連(つれ)の人、見て、

「是は、只事(たゞごと)ならず。長老、利益(りやく)に吊(とむら)ひ給へ。」

と云ふ。

「尤もなれども、願(ねがは)くは、彼(か)の者、我(われ)を賴めかし。」

とあれば、是を聞き、彼(か)の者、長老を賴む。

「さらば。」

とて、逗留中、七日程、吊ひ給へば、則ち、本復(ほんぶく)す。

「汝、何者ぞ。」

と問ひ給へば、

「本(もと)、馬使(うまつか)ひなり。」

と、いへりとなり。

[やぶちゃん注:「慶安四年」一六五一年。

「要津長老」不詳。

「鹽風呂」「蒸し風呂」の一種。山城国八瀬(やせ)の里に古くからあったものが、江戸に移り、諸病に効くと言われた。土で釜を築き、松の枝を燃やして、灰を取り去ってから、塩水で濡らした草莚(くさむしろ)を敷き、その蒸気で、身体を蒸すもの。小学館「日本国語大辞典」を参照したが、その使用例に本篇が引かれてあるので、最初期の使用例であろう。

「馬使ひ」或いは「驛馬使(はゆまづかひ)」のことか。駅馬を利用する公用の使いを専門とした業者である。]

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