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2022/10/07

鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「十四 蛇人に遺恨を作す事 附 犬猫の遺恨の事」

 

[やぶちゃん注:底本は、所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の「名著文庫」の「巻四十四」の、饗庭篁村校訂になる「因果物語」(平仮名本底本であるが、仮名は平仮名表記となっている)を使用した。なお、私の底本は劣化がひどく、しかも総ルビが禍いして、OCRによる読み込みが困難なため、タイピングになるので、時間がかかることを断っておく。なお、所持する一九八九年刊岩波文庫の高田衛編「江戸怪談集(中)」には、本篇は収録されていない。

 なお、他に私の所持品と全く同じものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらにあり、また、「愛知芸術文化センター愛知県図書館」公式サイト内の「貴重和本ライブラリー」のこちらで、初版板本(一括PDF)が視認出来る。後者は読みなどの不審箇所を校合する。

 本文は饗庭篁村の解題(ルビ無し)を除き、総ルビであるが、難読と判断したもの、読みが振れるもののみに限った。踊り字「〱」「ぐ」は正字化した。適宜、オリジナルに注を附す。]

 

   十四 蛇(へび)人に遺恨を作(な)す事

      犬猫の遺恨の事

 上總(かづさ)の國、東士川(とうじがは)の江南方村(えなみかたむら)に、左衞門四郞(さゑもんしらう)と云ふ者の舅(しうと)、作場(さくば)へ出でゝ、雉の羽敲(はたゝ)きするを見付(みつけ)て、取上(とりあ)げければ、蛇に纏(まか)れて居(ゐ)たり。

 彼(か)の蛇を取放(とりはな)ちて、鳥を持來(もちきた)つて、

「汁に煮て、隣(となり)の人にも、振舞(ふるま)はん。」

とて、鍋に入れ、鑰(かぎ)に掛けたる時、彼(か)の蛇、繩に傳(つた)はり、下(お)りけるを見て、皆、迯(に)げ去る。

 彼(か)の亭主、此蛇を打殺(うちころ)して、鳥汁を喰(く)ひけり。

 其後(そのゝち)、彼(か)の者の腹をまきけるを、鎌にて截捨(きりす)てけれども、又は、腹をまきまきする程に、後(のち)には、蛇をも、汁に煮て喰ひけれども、終(つひ)には、まき殺しけり。

 彼の者の塜(つか)に、蛇、多く聚(あつま)りける由、婿の左衞門、語るを確(たしか)に聞くなり。

[やぶちゃん注:「上總の國、東士川の江南方村」かなり苦労したが、千葉県郷土探究士ミツネ氏のブログ「未知の駅 總フサ」の「九十九里町クジュウクリの地名由来」のこちらの記事の『●宿しゅく』の項に、宿という地名は明治二二(一八八九)年に起立したものだが、『もとは宿村(現東金市宿)』の『飛地』で、『江戸期は宿村。元禄の頃』(一六八八年~一七〇四年)『宿村新田があったが』、『合併』したと書かれた後に、『地名は往古「東士川宿(とうしかわじゅく)」と称されていたようで、東士川とは土気』(とけ)『城主・酒井氏の定めた軍事集団・衆のひとつに名前がある。「たうし(倒し)・かわ(川)」で』、『崩壊する危険のある川という意味』であるとあった。本地である宿村は、千葉県東金市宿(しゅく)で、ミツネ氏の言っておられるのは、その南東近くの飛地である千葉県山武(さんぶ)郡九十九里町(まち)の宿である。両者は二キロ弱しか離れていない。因みに、土気城跡はここである(千葉県千葉市緑区土気町(とけちょう))。孰れにせよ、この両「宿」或いはその周辺がロケーションと考えてよい。

「作場」農耕地。]

 

○菅沼何某(すがぬまなにがし)内(うち)に、犬殺(いぬころし)の役(やく)に出でたる庄助と云ふ者、或時、犬を殺しに行くに、犬、繫(つなが)れながら、走り掛(かゝ)り、庄助の足の脛(こむら)に喰ひ付きければ、次第々々に、腐り入り、痛み煩(わづら)ふに、氣違ひて、犬のことばかり云つて、死す。

「忽ち、報いを受けたり。」

と、彼の家中衆(いちうしゆ)、語られたり。

[やぶちゃん注:咬傷部が壊死したのは、別な化膿性細菌によるものであろうが、死に至る狂騒状態から死に至るそれは、典型的な狂犬病の症状である。繋がれた状態の犬が噛みついたという辺りも、狂犬病に罹患した犬の行動として、甚だ腑に落ちる。]

 

〇三州足久志村(あしくしむら)、甚五郞處(ところ)の猫、子を、三つ、產みたるを、着物(きるもの)きせ置く處に、母猫、來りて、子を尋ねけるを、

「汝が子は、三つながら、是(これ)の白犬(しろいぬ)、喰うたり。」

と云へば、即ち、厩(うあまや)の入口(いりくち)の糠俵(ぬかだはら)の上に上(のぼ)り、だまり居(ゐ)て、彼(か)の犬、食(めし)喰(くら)ふ處を、向ひに廻り、

「ひよつ」

と飛び付き、兩手にて、眼玉(まなこだま)を搔拔(かきぬ)き、逃行(にげゆ)きてより、二た度(たび)歸らず、となり。

[やぶちゃん注:「三州足久志村」愛知県知多郡阿久比町(あぐいちょう)か。「足久志」を「あぐし」「あくし」とも読め、「し」に「比」と誤って「此」を当てたとすれば、発音上・漢字表記上の近似性が認められるからである。中心部に阿久比町阿久比がある。地域全体を指して、古くは「英比(あぐい)谷」と呼ばれた。]

 

〇相州戶塜の近處(きんじよ)にて、鷹の餌(ゑ)に犬を、一步(ぶ)宛(づゝ)に二度(ど)まで賣りければ、二度ながら、迯(に)げて來(きた)る。

 亦、三度目に賣る時、彼の犬、男の咽(のど)ぶえに飛び付き、喰(く)ひ殺しけりとなり。

[やぶちゃん注:「相州戶塜」神奈川県横浜市戸塚区。]

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