大和怪異記 卷之一 第三 吉備縣守虬をきる事
[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の分はここ(標題は前のコマの最後)。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。
正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。]
第三 吉備縣守(きびのあがたもり)虬(みつち)をきる事
仁德天皇六十七年十月、備中の國川鳴(かはなり)河の派(みなまた)に、大《おほき》なる虬(みつち)ありて、人を、くるしましむ。路人(みちゆき《びと》)、其所を行(ゆけ)ば、かならず、毒におかされて、をほく[やぶちゃん注:ママ。]、死す。
爰(こゝ)に笠臣(かさの《おみ》)の祖(そ)、縣守と云もの、あり。勇捍(ゆうかん)にして、强力なり。
あるとき、かの河の渕に望み、三つの瓢(ひさご)を、水になげて、いはく、
「汝(なんぢ)、毒を吐(はい[やぶちゃん注:ママ。])て、路人を、くるしましむ。余(われ)、汝を、ころさんとす。たゞし、汝、此ひさごをしづめば、余(われ)、爰を去(さる)べし。しづむる事、あたはずは、汝を、きらん。」
といふ。
時に、虬、たちまち、鹿(しか)となりて、ひさごを、引(ひき)入れども、しづまず。
此とき、縣守、つるぎをぬき、水に入(いり)、虬を、きり、其類(たぐゐ)を尋《たづね》もとむるに、もろもろの虬、渕底(ふちのそこ)の岫穴(くきあな)に滿(みち)たるを、ことごとく、きるに、河の水、血に変ず。
故に、其水を、なづけて、「縣守渕(《あがたもり》ぶち)」といふ。
此ときに及《およん》で、妖氣(ようき[やぶちゃん注:ママ。])、とゞまる。同
[やぶちゃん注:最後の「同」は前の話と「同」で、「日本書紀」が原拠。国立国会図書館デジタルコレクションの昭和六(一九三一)年岩波書店刊黒板勝美編「日本書紀 訓讀」中巻で示すと、ここの左ページ一行目半ばから。原文は以下。
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是歲、於吉備中國川嶋河派、有大虬、令苦人。時路人、觸其處而行、必被其毒、以多死亡。於是、笠臣祖縣守、爲人勇捍而强力、臨派淵、以三全瓠投水曰、「汝屢吐毒令苦路人、余殺汝虬。汝沈是瓠則余避之、不能沈者、仍斬汝身。」時、水虬化鹿、以引入瓠、瓠不沈、卽舉劒入水斬虬。更求虬之黨類、乃諸虬族、滿淵底之岫穴。悉斬之、河水變血、故號其水曰縣守淵也。
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以上から、本篇の「川鳴河」(かはなりかは)は「川嶋河」(かはしまかは)の誤りであることが判る。
「虬(みつち)」私の寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類」から「虬龍」画像も私の注も纏めて以下に示す。本篇の内容と同じものが、含まれており、語注も現代語訳も完備しているからである。ユニコード以前の十四年前のものなので、示すに際して、漢字の正字不全や、読みその他を大幅に補正した。〔→ 〕は原本の不全を私が訂したもの。
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きうりう 虯【同】
虬龍【音球】
本綱虬乃蛟屬有角者也文字集畧云虬乃龍之有角青
色也
日本紀云仁德帝六十七年備中川島河泒〔→派〕有大虬觸其
處者必被毒多死亡於是縣守爲人勇捍而強力以三全
瓠投水曰余殺汝汝沈是瓠則避之不能沈者斬汝身時
其虬化鹿以引入瓠瓠不沈卽擧劔入水斬虬更求虬之
屬滿淵底之岫穴悉斬之河水變血故號其水曰縣守淵
也
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きうりう 虯(きう)【同。】
虬龍【音、「球」。】
「本綱」に、『虬は、乃(すなは)ち、蛟の屬、角(つの)有る者なり。』と。「文字集畧」に云ふ、『虬は、乃ち、龍の、角、有りて、青色〔なるもの〕なり。』と。
「日本紀」に云はく、『仁德帝六十七年に、備中の川島河の派(かはまた)に、大きなる虬(みつち)、有り。其處(そこ)に觸るる者、必ず、毒を被(かふむ)りて、多く、死亡す。是(ここ)に於いて、縣守(あがたもり)あり、人と爲(な)り、勇-捍(たけ)く、強力なり。三つの全き瓠(ひさこ)を以つて、水に投じて曰はく、「余、汝を殺さん。汝、是の瓠を沈めらるれば、則ち、之れを避くなり。沈むる者(こと)、能はずんば、汝が身を斬らん。」と。時に、其の虬、鹿に化して、以つて、瓠を引き入れども、瓠、沈まず。卽ち、劔(つるぎ)を擧げ、水に入り、虬を斬る。更に虬の屬を求むるに、淵底の岫穴(しうけつ)に滿つ。悉く、之れを斬る。河水、血に變ず。故に、其の水を號して「縣守の淵」と曰ふなり。』と。
[やぶちゃん注:龍属の一種であるが、本文のように「角があるもの」と記す一方、「角がないものを言う」とも記す。こういう相反した謂いが並存してしまうのって何? 結局、ファンタジストは、それぞれの謂いを持ちたいのだろうなぁ。「虬」は「虯」の俗字とする。なお、「日本書紀」のエピソード部分の語釈は、原文引用の注でカバーした。
「文字集略」は梁の阮孝緒(げんこうしょ)撰になる字書。
『「日本紀」に云く』以下の記載は、「日本書紀」の巻第十一の末尾に現れる記事である。「仁德帝六十七年」は西暦三七九年。以下に原文・書き下し文・現代語訳を示す(原文及び書き下し文には複数の伝本を参考にしたが、特に訓読では御用達の「跡見群芳譜」の「ユウガオ」の「誌」に載るものに多くを従った)。
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是歲、於吉備中國川嶋河派、有大虬令苦人。時路人觸其處而行、必被其毒、以多死亡。於是、笠臣祖縣守、爲人勇捍而强力。臨派淵、以三全瓠投水曰、「汝屢吐毒、令苦路人。余殺汝虬。汝沈是瓠、則餘避之。不能沈者仍斬汝身。」。時水虬化鹿以引入瓠。瓠不沈。卽擧劍入水斬虬。更求虬之黨類。乃諸虬族滿淵底之岫穴。悉斬之。河水變血。故號其水曰縣守淵也。
○やぶちゃんの書き下し文
是の歳(とし)、吉備中國(きびのみちのなかつくに)、川嶋河が派(かはまた)に、大(おほきなる)虬(みづち)有りて、人をして、苦しびせしむ。時に路人(みちのゆくひと)、其の處に觸れて行けば、必ず、其の毒(あしきいき)を被(かうぶ)りて、以つて、多(さは)に死-亡(しし)ぬ。
是(ここ)に於いて、笠臣(かさのおみ)の祖(おや)なる縣守(あがたもり)、人と爲(なり)、勇-捍(いさを)しくして、強-力(つよ)し。派(かはまた)の淵に臨み、以つて三つの全(おふ)し瓠(ひさご)を、水に投(なげい)れて、曰はく、
「汝、屢、毒を吐きて、路人に苦しびせしむ。余(われ)、汝(な)、虬(みつち)を殺さむ。汝、是の瓠を沈めば、余、避(さ)らむ。沈むること、能(あた)はずは、仍(すなは)ち、汝が身を斬(き)らむ。」
と。
時に水-虬(みづち)、鹿(しか)に化(な)りて、瓠を、引き入れんとす。
瓠、沈まず。
卽ち、劍(つるぎ)を擧げて、水に入りて、虬を斬る。
更に虬の党-類(ともがら)を求め、乃ち、諸(もろもろ)の虬の族(うから)、淵の底の岫穴(かふや)に滿(いは)めり。
悉く、之れを斬り、河水、血に變(かへ)りぬ。
故(かれ)、其の水を號して、「縣守の淵」と曰ふなり。
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○やぶちゃんの語釈
・吉備中國:備中。現在の岡山県西部。
・川嶋河:現在の高梁(たかはし)川。鳥取県との県境の明智峠に近い花見山を源流として、高梁市・総社市・倉敷市を経て水島灘に注ぐ。
・派:川の分岐するところ。ウィキの「高梁川」の、『古代には総社市井尻野で分流し、現在の総社市街地を分断するような形で東へ流れ、現在の前川・足守川の辺り(前川も足守川も昔は今と少し違う位置を流れていたが)を流れ、岡山市撫川・倉敷市上東付近が河口だった。昔はこれが本流という見方だったらしい』という記載から、この分岐は総社市井尻野であった可能性が高いか。
・笠臣:「吉備縣守」で「笠臣(かさの《おみ》)の祖」となると、鴨別(かもわけ:鴨別命)又は吉備鴨別となる。但し、「日本書紀」には錯雑があり、「神功皇后紀」では鴨別を「吉備臣」の祖とし、「応神天皇紀」では「笠臣」の祖とし、この「仁徳天皇」でも、かく、する。
・縣守:「祖縣守」で「あがたもり」と読ませているものもある。これは大化の改新以前に県を統治した首長のことを指す「県主」(あがたぬし)と同義と考えてよいだろう。ここに示されるような一種の宗教的な祭祀をも統轄した。
・勇捍しくして:「捍」は「激しい・猛々しい・荒い」の意で、「勇敢」「勇猛」に同じ。
・全し:読みは上記「跡見群芳譜」から。「おふし」と訓読して完全なを表わす語のようである。従って「おふしひさこ」で、割っていない丸のままの瓢箪の意。しかし、この「おふし」という語は聞き慣れない。ネット上には散見するが、通常の古語辞典には表われない上代語であるようだ。
・瓠:ひさご。スミレ目ウリ科ユウガオ属ヒョウタンLagenaria siceraria var. gourda 。ヒョウタンは夕顔の変種である。標準種であるユウガオLagenaria siceraria var. hispida 及び特異的に実が丸いフクベLagenaria siceraria var. depressa を挙げておけば、この三種のうちのどれかであることは間違いない。「全き」という語を「完全に丸い」という意味でとるならば、フクベの可能性が浮上する。これは所謂、「ヒョウタン鯰」である。自らの本性が、元来、ニョロニョロヌラヌラの「みづち」が、ツルツルスベスベのまん丸い「ふすべ」を水中に沈めること自体が、彼(吉備の県守)は不可能だと知っていたのである。
・岫穴:「岫」自体が「くき」と訓じて「山の中の洞穴」を言う。読みは、上記「跡見群芳譜」から。しかし、この「かふや」と言う語は聞き慣れない。通常の古語辞典にも表われない。これも上代語か。淵の底にある、水の満ちた岩の洞(ほら)のこと。
・縣守淵:所在不詳であるが、「井原備中神楽保存会小中学生伝承教室後援会」の以下のページに(このリンクは生きているが、以下の引用は消えている。但し、「縣主神社」の記載と龍の話は載る)「みずち退治の場所」として、『高梁川が総社市から倉敷市へとはいったあたりの、現在の倉敷市酒津(さかづ)』(ここ)『の三ツ子岩付近であるとする説が有力とされていますが、一方で、平野が始まる総社市井尻野(いじりの)』(グーグル・マップ・データ航空写真のここ)『あたりではないかとする説もあります』とある。瓢箪の数と同じ神聖数の三がつく「三ツ子岩」も、確かに魅力的ではある。
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○やぶちゃんの現代語訳
同年、吉備中国の川嶋川の分岐点に、昔から大きな虬(みずち)がいて人々を苦しませていた。その頃、そこを通る旅人の多くがその虬の毒を受けて死んだ。
そこで、笠臣(かさのおみ)の祖先であった当時の県守(あがたもり)――その人となりは、勇敢で剛勇であった――が、その淵に向かって、三つの欠けたところのない、見事に丸い瓢箪を投げ入れて言った。
「虬よ、お前は、たびたび、毒を吐いて、多くの旅行く人を苦しませてきた。私はお前、虬を、殺そうと思う。しかし、虬よ、お前がこの三つの瓢箪を同時に、見事に水に沈めたならば、それは、私の負けであるから、私は、この場を去ろう。しかし、沈められなかったならば、即座に、私は、お前の身を斬ってやる!」
と。
すると、虬は、即座に鹿に化けて、瓢箪を、水中に引き入れようとした。
しかし、つるんとした欠けるところのない空気の入った瓢箪は、全く以って、沈まぬ。
間髪を入れず、県守は、水に飛び込むと、剣を振り上げ、あっという間に、虬を斬り殺してしまった。
さらに、県守は、以前からの状況に鑑み、虬の眷属が、他にもいると睨んで、探し回った。
すると、まさに有象無象の虬の輩(やから)が、深い淵の底に空いた水を湛えた洞穴(ほらあな)の中に満ち満ちていたのであった。
県守は、それらも、悉く、切り殺した。
川の水はすっかり血に変わっていた。――故に、その川の淵を今に――「県守の淵」――というのである。
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