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2022/11/13

大和怪異記 卷之一 第十五 赤染衞門が妹魔魅にあふ事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の分はここから。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。]

 

 第十五 赤染衞門が妹(いもと)魔魅(まみ)にあふ事

 中《なか》の關白道隆公、少將たる比《ころ》、赤染衞門がいもとに、かよひたまふ。

 赤染衞門が、

 〽やすらはでねなまじ物をさよふけてかたふくまでの月をみしかな[やぶちゃん注:「じ」はママ。]

と、よめるは、此とき、妹にかはりて、よみし、となむ。

 かゝりしのち、道隆公に、わすられしかば、女《をんな》、しきりに戀たてまつり、南面(なんめん)の簾(みす)をまきあげて、ながめ居(ゐ)けるに、たれとはしらず、直衣人(なをしのひと[やぶちゃん注:「直衣」は「なほし」が正しい。])、入來《いりきた》る。

 女、よろこぶ心ありて、これに、あへり。

 其のち、夜々、來る。

 たゞし、曉《あかつき》、車馬の音、なし。

 女、あやしみて、長きいとに、針をつけて、直衣の袖に、さし、其朝、これをみるに、糸、南庭(なんてい)の樹上(きのうへ)に、とゞまる。

 其後、來《きた》ること、なし。

 これ、魔魅の所爲(しよい[やぶちゃん注:ママ。])か。

 件《くだん》の女、懷姙して、ひとつの胞衣(ゑな[やぶちゃん注:ママ。「えな」が正しい。])を、うむ。

 ひらきてみるに、血、おほく、ありて、他物(たのもの)、なし、と云。「江談」

[やぶちゃん注:原拠とする「江談」は「江談抄」の略で、平安後期の説話集で公卿で文人・学者であった大江匡房(おおえのまさふさ 長久二(一〇四一)年~天永二(一一一一)年)の晩年の談話を、信西(藤原通憲)の実父である実兼(さねかね)が筆録したもの(一部に実兼以外の筆録も混じっている)。匡房の談話は有職故実・漢詩文・楽器などに関する知識、廷臣・詩人たちの逸話など、多岐に亙る。教授された知識の忘備を目的としているため、表現は簡略でしばしば不完全であり、体系を持たない。しかし、正統な学問や歴史の外縁にある秘事異伝をも積極的に取り上げており、院政期知識人の関心の向け方や、説話が口語りされる実態を窺うことが出来る。平安・鎌倉時代の古写本は、問答体をとどめて原本の姿を伝えるが、一部分しか伝存していない(小学館「日本大百科全書」に拠った)。しかし、所持する岩波の「新日本古典文学大系」版では、この話、見当たらない。ネットで調べたが、この話の原拠は不明。識者の御教授を乞うものである。この話、魔魅の実体が示されず、今一である。

「中の關白道隆」「中の關白」は藤原北家の、この関白藤原道隆(天暦七(九五三)年~長徳元(九九五)年)を祖とする一族の呼称。彼が左近衛少将になったのは、天延二(九七四)年十月で、貞元二(九七七)年一月、昇殿を許される前に左近衛少将を去っているが、天元元(九七八)年十月には右近衛権中将に任官している。寛和二(九八六)年七月に右近衛中将を去っている。姉(但し、以下に見る通り、「はらからなる人」であるから姉ではなく、彼女の方が妹ともとれる。調べても、この「赤染衛門の」姉妹なる人物の事績は不明である)の赤染衛門は天暦一〇(九五六)年頃の生まれであるから、この話は、左近衛少将時代(二十二から二十五歳)の話という設定ではないかと思われる。

「〽やすらはでねなまじ物をさよふけてかたふくまでの月をみしかな」「後拾遺和歌集」巻十二「恋二」の以下で、「小倉百人一首」にも採られていることでよく知られる。

   *

  中關白少將に侍りける時、はらからなる人に

  物言(ものい)ひわたり侍(はべり)けり。

  賴(たの)めてまうで來ざりけるつとめて、

  女(をんな)に代りて、よめる、

                  赤染衞門

やすらはで寢(ね)なましものを小夜ふけて

        かたぶくまでの月を見しかな

   *

但し、岩波の「新日本古典文学大系」版脚注(一九九四年刊。平田善信氏担当分)では、『馬内侍集に「今宵必ず来んとて来ぬ人のもとに」という詞書で、全く同一の歌が収められている』とあった。馬内侍(うまのないし 生没年不詳)は赤染門と同時代の歌人で、『斎宮』(さいぐうの)『女御徽子』(きし)『女王(村上天皇女御)、円融天皇中宮媓子、賀茂斎院選子内親王、東三条院詮子(円融天皇女御)、一条天皇皇后定子に仕えた(定子立后の際に掌侍となった)。藤原朝光・藤原伊尹・藤原道隆』(☜)『・藤原道兼など権門の公家と恋愛関係があり、華やかな宮廷生活を送った』と当該ウィキにある。一首の意味はhonda氏のサイト「百人一首で始める古文書講座【歌舞伎好きが変体仮名を解読する】」のこちらがよい。

「胞衣」胎児をつつんでいる膜と胎盤。この場合は奇形嚢腫である。]

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