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2022/11/07

曲亭馬琴「兎園小説拾遺」 第一 「風聞」 / 第一~了

 

[やぶちゃん注:「兎園小説余禄」は曲亭馬琴編の「兎園小説」・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」に続き、「兎園会」が断絶した後、馬琴が一人で編集し、主に馬琴の旧稿を含めた論考を収めた「兎園小説」的な考証随筆である。昨年二〇二一年八月六日に「兎園小説」の電子化注を始めたが、遂にその最後の一冊に突入した。私としては、今年中にこの「兎園小説」電子化注プロジェクトを終らせたいと考えている。

 底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの大正二(一九一三)年国書刊行会編刊の「新燕石十種 第四」のこちら(左ページ上段後ろから五行目から)から載る正字正仮名版を用いる。

 本文は吉川弘文館日本随筆大成第二期第四巻に所収する同書のものをOCRで読み取り、加工データとして使用させて戴く(結果して校合することとなる。異同があるが、必要と考えたもの以外は注さない)。

 馬琴の語る本文部分の句読点は自由に変更・追加し、記号も挿入し、一部に《 》で推定で歴史的仮名遣の読みを附した。]

 

   ○風 聞

寄合伊東主膳、罪、あり。天保二年辛卯秋七月十八日、裁許、落着【舊冬十二月より御詮議と云。】。如ㇾ左。

高五千石、居屋敷、本所に在り。被召上事。

一、寄合伊東主膳は、本家伊東修理大夫へ御預け。

 此外、

 中追放   同人次男   伊東造酒允《みきのじよう》

 改易    同人惣領   伊東 采女《うねめ》

 差控    神道方地借  吉川四方之進

 追放    伊東主膳家來 湊  爲 輔

 江戶拂、主膳家來、四人、壹岐《いき》十右衞門、垣屋住平、湯地内藏助、喜多村友馬《いうま》。

 武家奉公、構《かまひ》、二人、菊池南右衞門、垣屋藏助。

 押込《おしこめ》 二人、大江榮左衞門、中間彌助。

右、於評定所仰渡の内、伊東氏本家より受取の同勢、その出立《いでたち》、尤《もつとも》美しかりき、と、いへり。かの罪の趣は、憚あれば、こゝにもらしつ。

[やぶちゃん注:隠しても、判るものは判る。「国立公文書館デジタルアーカイブ」のこちらに、藤川整斎の「天保雑記」の写本があり(七画像)、「寄合伊東主膳、庭内ニ而、鉄炮を以、鳥打留候御咎書」とあった。

「中追放」(ちゆうついはう)は追放刑の一つ。寛保二(一七四二)年の公事方御定書の規定では、田畑・家屋敷を取り上げ、武蔵・山城・摂津・和泉・大和・肥前・東海道筋・木曾路筋・下野・日光道中・甲斐・駿河、及び犯罪を犯した国と住んでいた国が「御構場所」(おかまいばしょ)とされ、その地域に入ることを禁じたもの。延享二(一七四五)年以後は、庶民については、江戸十里四方と犯行を犯した国と住んでいた国の出入を禁じるに止めている。

「差控」(さしひかへ)は江戸時代、武士や公家などに科せられた制裁。勤仕(ごんし)より離れ、自家に引き籠って謹慎することを指す。門を閉ざすが、潜門(くぐりもん)から目だたないように出入りすることは許容された。比較的軽い刑罰、乃至、懲戒処分として,職務上の失策を咎めたり、或いは、親族・家臣の犯罪に縁坐・連坐せしめる場合などに用いた。自発的にも行われ、親族中の一定範囲の者又は家臣が処罰を受けると、その刑種によっては、差控伺(うかがい)を上司に提出し、慎んで指示を待った。

「地借」「ぢがり」で、江戸時代の江戸その他の大都市の借地人のこと。借地に家を建てて住む者で、「店借(たながり)」と同じく、人別帳に記載されるものの、一人前扱いされず,町政への発言権もなかった。ここは「神道方」とあるので、神職でも地位の低い「神人(じにん)」クラスの者であったか。

「吉川四方之進」「きつかはよものしん」と読んでおく。

「追放」「輕追放(けいついはう)」。追放刑の中では最も軽いもので、居住地及び犯罪地の外、江戸十里四方、及び、京都・大坂・東海道筋・日光・日光道中への立入りを禁じられ、田畑・家屋敷は没収された。

「構」やはり刑罰の一種。罪状によって範囲を定め、その居住地から追放するもの。また、特定の職業に就くことを禁ずること。ここは後者で武家への奉公を禁じたもの。

「押込」刑罰の一種。門を閉じて蟄居させ、外出を禁ずるもの。]

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