隠遁夢
今朝見た夢である。隠遁を考える経緯が面白いので、記すことにした。因みに、この半年ほどは、夢を見ない日はなく、必ず、午前三時過ぎ頃に目覚めると、暫くそれらの夢を脳内で再現し、細部を記憶するのを常としている。
――鎌倉駅の改札構内に私は元同僚の教員たちと待ち合わせている。どこかの史跡を訪ねて、久々に旧交を暖めようという趣向であるが、一部の仲間が遅れていて、五、六人で待っているのである。痺れを切らした一人が、予定地に「先に行こう。」と提案する。私は、遅れている者の中に特に親しかった者がいるので、「僕はここで待っているよ。」と言うと、私を除いて総てが、改札を出て行った。
暫く待っていると、突然、「先生!」と声を掛けられた。
振り仰ぐと、昔の教え子の男性の笑顔があった。もう、とっくに三十代で、顔つきも少し変わっていたが、すぐに✕✕(注:実在する教え子の名を私は呼んだ。以下の伏字も実際には正しい姓を呼んでいた。)君だと判った。彼は何故か、学生服を着ていた(注:この後に登場する教え子の男女も、皆、何故か、総て、学生服を着ていた。)。
「やあ! ✕✕君!」
「ちょっと前ですが、沢登りでお顔を拝見したんですよ!」
それを「はっ」と思い出した(注:実は、この二日前に、丹沢の沢登りをしている夢を見、かなり上の方から、私を不思議そうに見ている男性と女性が、やおら、私に向ってしきりに手を振っている夢を実際に見ていた。その時は、距離が有意にあって、二人が誰かは判らなかったのを覚えていたのである。流れる沢の音だけが聴こえる夢であった)。
彼の横には女性がおり、やはり、
「あなたは生徒会長だった✕✕さん! お久し振り!」
と応じ、少し、二人と話をしていると、後から、別な高校の教え子らが、孰れも、小集団で、続々とやって来て、「やぶちゃんだ!」と声を挙げて、集まってくるのであった。
何故かは判らないが、そのそれぞれのグループは段ボールを小脇に抱えている。といって、それらの集団ごとは、全く偶然に、ここを通っていいるらしく、相互の者が語り合うこともなく、来た目的も全く異なったもののようであった。(注:学生と段ボールといえば、文化祭からの連想で、夢の中の私には違和感がなかった。)
彼らは、急いでいるらしい。しかし、私と逢って、何か嬉しそうで、銘々が、それぞれが持っている段ボールに、
「先生の「こころ」の授業は忘れられません!」(注:実は最近、私が長く務めた高校の卒業生で医師となった教え子が、その母校で先輩として講演をし、そうしたことを語ったと、人伝てに聴いていた事実がある。)
「「猫の話」の朗読、最高!」[やぶちゃん注:梅崎春生の小説。私が朗読し、ある女生徒が感極まって泣いていたのが忘れられない。嘗つては教科書によく所収されていたが、作品の展開上、惨酷な描写があり、恐らくは、もう、教科書に載ることはないであろう。]
「李徴、今も、ここにあり!」[やぶちゃん注:中島敦の「山月記」の主人公。私は朗読七割授業三割を標榜し、中でも「山月記」の朗読は、誰にも譲れない定番であった。なお、以上の作品は、総て、私の注附きでサイトのこちらにある。]
などと、太字の油性の黒インクで書いて、私に渡すと、黙礼し、足早に改札を出て行くのであった。
ふと、気がつくと、構内は森閑として、清掃する老人だけが、いた。
私は、教え子たちが呉れた十数枚の段ボールを胸に抱いて、呆(ほお)けていた。
すると、その老人が、
「今日は段ボールはゴミに出せんよ。」
と囁いて、ホームへ向かう階段に姿を消した。(注:覚醒した瞬間に思ったのは、私の好きなマルセル・カミュ監督の一九五九年の「黒いオルフェ」のワン・シーンだった。ユリディスの亡骸を探すオルフェのシークエンスの中の一つである。)
私はそこで考えている――(注:ここは、夢の中の映像が、段ボールをしっかと抱えた私を正面から写して、それがフレーム・アップするという見事に映画的な夢の映像だったことに驚愕した。)
そこに突っ立ったまま、微塵も動かず、心の内で、
『私は、これから、鎌倉の山中へと入(い)り、人跡なき尾根を抜け、あの誰も知らない崩れかけた懐かしい「やぐら」の中に座り、彼らの言葉が記されたこれを、姥捨ての老婆の蓑笠のように周囲に立て掛けて――隠棲しよう……』
と決心するのであった。
*
因みに、鎌倉(と言うより、より広域な旧幕府御府内)の周囲の山の中には、今でも、人の知らない「やぐら」が存在する。場所は言えないが、大学生の時、そうした一つを、一時間ほどヤブ漕ぎして、探し出したことがある。
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