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2022/11/19

大和怪異記 卷之三 第二 古石塔たゝりをなす事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分は、ここ(単独画像)。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]

 

 第二 古石塔(ふるせき《たう》)たゝりをなす事

 延寶年中、奧州二本松の藥硏屋久心(やげん《や》きうしん)といふ者、庭を作(つくる)とて、正念寺(《しやう》ねんじ)の山に、ふるき石塔の苔(こけ)生《おひ》たるありしを、取《とり》よせ、たてけるより、おそろしき夢をみる事、度《たび》かさなりし。

 あるとき、昼、いねたりし夢に、二八ばかりなる女の、枕もとにたちつゝ、ことの外、いかれるけしきにて、

「いかなれば、我《われ》、ひさしく住《すみ》なれし所を引はなち、これへ、つれ來《きた》るぞや。此うらみ、すくなからず。」

と、にらみしまなこ、おそろしく、むねうち、さはぎしに、かたはらの人、おこして、やうやう目をさまし、

「かく。」

と、かたりければ、老たる者、いひけるは、

「『八十年程前に、此所に畠山重次(はたけ《やま》しげつぐ)と聞えし人、あり。其女子(むすめ)、十七、八にて身まかりしを、葬(ほうふ)りし、塚なり。』と、我《わが》親、かたりしなり。はやく、其石塔を、もとの所に、かへし、たてよ。」

と、をしヘしかば、かく、たてゝのち、夢みる事、なかりしとかや。「犬著聞」

[やぶちゃん注:典拠の「同」は前話と同じ「犬著聞集」を指す。本書は既に先行するこちらで注済み。本書の最大のネタ元。「犬著聞集」自体は所持せず、ネット上にもない。また、前話の最後で示した同書の後代の再編集版である神谷養勇軒編の「新著聞集」にも採られていない。

「延寶年中」一六七三年から一六八一年まで。徳川家綱・綱吉の治世。 

「奧州二本松」二本松藩。現在の福島県二本松市(グーグル・マップ・データ)。

「藥硏屋久心」不詳。

「正念寺の山」同音の称念寺ならば二本松城跡の直下にある。文治元(一一八五)年に法相宗の尊道和尚により、塩沢の道場が原で開山された。二本松は戦国時代まで畠山氏の所領であったものを、天正一四(一五八六年)に伊達政宗が畠山氏を滅ぼして伊達領となり、寺は信夫郡大森(現在の福島市大森)に移ったが、二本松藩丹羽家初代藩主丹羽光重による町割りの完成後の延宝三(一六七五)年頃に現在地に移築・再興された。二本松城址の畠山氏の菩提寺であり、奥州探題畠山家累代墓所であった(「二本松市観光連盟」公式サイトのこちら、及び、以下リンク先のサイド・パネルの解説版に拠った)。以下の叙述から、ここで間違いないであろう。グーグル・マップ・データ航空写真を見ると、称念寺の東西と北後背は山である(奥州探題畠山家墓所は東方にある)。

「二八」十六歳。

「畠山重次」「八十年程前」という老人の、その親が語ったという叙述があるから、一・五倍掛は必要であろう。すると、約百二十年前で西暦一五五三年から一五六〇年の前後となる。旧畠山家で伊達政宗に攻められ、遺体を惨たらしく扱わられたとされる当該ウィキ参照二本松城主二本松(畠山)義(天文二一(一五五二)年~天正一三(一五八五)年)が音では近い。]

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