大和怪異記 卷之三 第四 ふし木の中の子規の事
[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分は、ここ(単独画像)。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。
正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]
第四 ふし木の中の子規(ほとゝぎす)の事
信州高遠《たかとほ》の人、僕(ぼく)に薪《たきぎ》をきらせけるに、ふし木の中より、ほとゝぎすの死したるを見出しぬ。其時は、冬のことなり。箱にいれ置《おき》、其後は、ふつと、わすれぬ。
かくて、翌年のやよひすえつかた、かの箱を、あえみるに、件《くだん》のほとゝぎす、羽《は》だゝきして、飛《とび》さりし、となん。
此鳥は、秋より後の、春までは、くち木の中に、かくれいるにや。されば古哥(こか)に、
奧山のくち木の中の時鳥なつを待てや音(ね)には鳴(なく)らん
是を思ふに、世に、「冥途の鳥」といふ說も、よみがへりて來る故にや侍りけん。同
[やぶちゃん注:前話同様、「犬著聞集」原拠。これは、幸いにして、後代の再編集版である神谷養勇軒編の「新著聞集」に所収する。「第九 崇厲篇」(「すうれい」と読む。「あがむべき貴い対象を疎かにした結果として起こる災い」の意)の掉尾にある「女人高野(こうや)山に詣(まふ)て害(かい)せらる」である。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の寛延二(一七四九)年刊の後刷版をリンクさせておく。ここ、と、ここ(単独画像)。本書の作者がだいたい忠実に引用しているのであろう様子が窺える。
「信州高遠」長野県伊那市高遠(グーグル・マップ・データ。但し、指示されたそこは高遠町西高遠)附近。桜の名所として知られる。私は行ったことがないが、私がただ一編、読んで気に入った井上靖の小説「化石」で記憶に刻まれている。
「ふし木」上記「新著聞集」では「節木」とある。これは「ふしき」或いは「ふしぎ」と読み、 節に穴があり、中が空洞になっている木のことを指し、「臥木」とも書く。
「奧山のくち木の中の時鳥なつを待てや音(ね)には鳴(なく)らん」大久保順子氏の論文「説話にみる文事の志向―――『古今犬著聞集』序文と考証的説話――」(福岡女子大学国際文理学部紀要『文藝と思想』第八十六号所収・二〇二二年二月発行。「福岡女子大学機関リポジトリ」のこちらからPDFでダウン・ロード出来る)の本文で、本和歌の出典は未詳とされつつ、末尾の注(28)で、『「ほととぎす」の古歌のうち「こかくれていまそきくなるほとときすなきひひかしてこゑまさるらむ」(赤人集、二二六)、「年をへてみ山かくれの郭公きく人もなきねをのみそなく」(実方、拾遺集一〇七三)等の「音を鳴く」時鳥の「深山かくれ」「木かくれ」や、「朽木」の古歌「かたちこそみ山かくれのくち木なれ心は花になさはなりなむ」(古今集、巻十七:雑上八七五)等の、「朽木」―「奥山」「深山かくれ」―「ほととぎす」の連想の親和性によるか。』と注されておられる。
「冥途の鳥」BON氏のブログ「BON's diary」の「【真読】 №112「冥途の鳥」 巻四〈送終部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)」を読むに、元は仏典の誤認・誤解のレベルのものであることが判る。]
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