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2022/11/09

大和怪異記 卷之一 第八 猪麿鰐魚をころす事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の分はここから。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。

 なお、表題の読み「いまろ」はママ。]

 

  第八 猪麿(いまろ)鰐魚(わに)をころす事

 天智天皇の御宇に、出雲の国に、猪麻呂といふものあり。

 かれが女子、同国意宇郡(いうのごほり)安來鄕(あき《のがう》)の北、賣崎(うり《さき》)といへる海邊(かいへん)にあそびて、鰐魚のために、くらはる。

 猪麻呂、かなしみにたえず[やぶちゃん注:ママ。]、此所にいたり、天神(あめつかみ)千五百万(ちいをよろづ)、地祇(くにつかみ)千五百万、ならびに、當國にしづまります、三百九十九(みつあまりもゝこゝのつの)社(やしろ)、及(をよび[やぶちゃん注:ママ。])、海若神(わたつかみ)を、いのりしかば、しばらくありて、沖のかたより、鰐魚、百餘(ももあまり)、ひとつの鰐魚を、とりかこみ、しづかに、よりて、すゝまず、又、しりぞかず。

 此とき、猪广呂[やぶちゃん注:ママ。]、鉾(ほこ)をもつて、かのひとつの鰐魚を、さしころす。

 百餘の鰐魚は、ことごとく、しりぞき、ちる。

 猪麻呂、鰐魚の腹をさくに、女子(むすめ)の、脛(はぎ)ひとつのみ、殘れり。

 ころせるわにをば、串(くし)にさして、路(みち)のかたはらにたてゝ、さらせり。「出雲風土記

[やぶちゃん注:本原拠は、既に南方熊楠 本邦に於ける動物崇拜(23:鮫)」の『懷橘談に、出雲國安來の北海にて、天武帝二年七月、一女鱷に脛を食はる、其父哀しみて神祇に祈りしに、須臾にして百餘の鱷、一の鱷を圍繞し來たる。父之を突殺すに諸鱷去る。殺せし鱷を剖くに女の脛出しと見ゆ』の私の注で、原拠の「出雲風土記」の当該部の原文と訓読文(孰れも私的に表記に手を加えてある)を示してあるので、そちらをまずは参照されたい。

「鰐魚」所謂、本邦沿岸に棲息するサメ類である。前のリンク先の私の注の冒頭を示す。冒頭軟骨魚綱板鰓亜綱 Elasmobranchii のうち、一般にはエイ上目 Batoidea に含まれるエイ類を除くサメ類の内、中・小型のものを指す総称とされるが、大型の種群や個体との厳密な境界はなく、「鱶(フカ)」と混淆して用いられているのが現状である。形態学的に概ね真正の「サメ」を規定しようとするなら、一般的には――鰓裂が体の側面に開く種群の総称――としてもよかろう(鰓裂が下面に開くエイと区別される。但し、中間型の種がいるので絶対的な属性とは言えないので注意が必要である)。一方の「フカ(鱶)」を補足すると、これは、サメ類の内、大型のものの総称である。但し、中小型でも「ふか」と呼ぶケースもあるので、個体の大きさでの区別は無効に近い。但し、超巨大なものを「フカ」と呼ぶのには違和感はないので、そうした限定用法として流通名とは別に「フカ」は生き残るであろうと思われる。ただ、寧ろ、広義の「サメ(鮫)」の関西以西での呼び名が「ふか」であるとした方が判りがいいし、誤解の問題性(サメ種の他にフカ種がいるといった誤認)も少ないと思う。なお、出雲を中心にサメを「わに」と呼ぶ習慣は普通に残っており、特に備北地域(広島県北東部の内陸山間部。三次市・庄原市附近)では、「わに」(=サメ)を用いた古くからの郷土料理もあって、それは「わに料理」と呼ばれている。なお、リンク先の注の最後にも示したが、神田典城(のりしろ)氏の論文『「ワニ」小考』(学習院女子短期大学国語国文学会発行『国語国文論集』(第二十二号・平成五(一九九三)年三月)。こちらでPDFダウン・ロード可能)が、上代の「わに」をすっきりと解き明かしていて、まことによい。お薦めである。

「天智天皇の御宇」在位は天智天皇七(六六八)年から天智天皇一〇(六七二)年。但し、原本では、娘が和爾(わに:鮫)に襲われた時日を、『飛鳥の淨御原(きよはら)の宮(みや)の御宇の天皇(すめらみこと)の御代(みよ)』としており、飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)はさらに「天智天皇の御宇」という記載はないことから、「天智天皇」は同母弟の次代の天武天皇(在位:天武天皇二(六七三)年~朱鳥(しゅちょう)元(六八六)年)の誤りということになる。「甲戌(きのえいぬ)」は天武天皇三(六七四)年である。因みに、同年「七月十三日」はユリウス暦八月十九日、グレゴリオ暦換算では八月二十二日になる。夏の終りの「鮫」か……今時なら、夏の終りの海辺の太陽族のグレン隊の餌食となったでもいうべきか。個人的には、この話、大和朝廷に従わなかった当地の先住民集団の征服のニュアンスを感ずる。

「猪麻呂」語臣猪麻呂(からりべのゐまろ)。出雲国意宇郡地方の語部(かたりべ)の氏族の長。彼については、本篇原拠の訓読等の諸説を含め、吉野政治氏の論文「語臣猪麻呂(出雲国風土記)の言葉と表記」(『同志社国文学』同志社大学国文学会一九九四年十一月発行・PDF)が詳細を極める。以下、それ以外についてのみの注に留める。

「意宇郡安來鄕」意宇郡(おうのこおり)安來鄕(やすきのがう)が正しいかと思う。

「賣崎(うり《さき》)」原本の『毘賣埼(ひめさき)』のトンデモ誤認。この娘の墓と伝承される毘売塚古墳(前方後円墳)が島根県安来(やすぎ)市黒井田町(くろいだちょう)にある(グーグル・マップ・データ。以下同じ)が、その北直近の中海に岬があり、そのピークを「十神山」という。ここがロケーションの候補となろう。]

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