曲亭馬琴「兎園小説拾遺」 第二 「西本願寺觸狀寫」
[やぶちゃん注:「兎園小説余禄」は曲亭馬琴編の「兎園小説」・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」に続き、「兎園会」が断絶した後、馬琴が一人で編集し、主に馬琴の旧稿を含めた論考を収めた「兎園小説」的な考証随筆である。昨年二〇二一年八月六日に「兎園小説」の電子化注を始めたが、遂にその最後の一冊に突入した。私としては、今年中にこの「兎園小説」電子化注プロジェクトを終らせたいと考えている。
底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの大正二(一九一三)年国書刊行会編刊の「新燕石十種 第四」のこちら(右ページ上段終りの方から下段にかけて)から載る正字正仮名版を用いる。
本文は吉川弘文館日本随筆大成第二期第四巻に所収する同書のものをOCRで読み取り、加工データとして使用させて戴く(結果して校合することとなる。異同があるが、必要と考えたもの以外は注さない)。
馬琴の語る本文部分の句読点は自由に変更・追加し、記号も挿入し、一部に《 》で推定で歴史的仮名遣の読みを附した。今回は短いので、そのままとした。
本篇は「京都地震」関連記事の第三弾。第一篇以降で注した内容は、原則、繰り返さないので、必ず、そちらを先に読まれたい。]
○西本願寺觸狀寫
一筆致二啓達一候。先以、御門跡樣、益、御機嫌能被ㇾ爲ㇾ成二御座一候間、可ㇾ爲二御大慶一候。然《しかれ》ば、二日申刻より、大地震にて、御眞影樣、庭上へ御動座《ごどうざ》、御門跡樣、親敷《したしく》御守護被ㇾ遊候。且、亦、京地、幷、諸國詰合之官中《しよこくつめあひのくわんちゆう》始《はじめ》、一同、守護被二成上一候。最《もつとも》、御殿向《ごてんむき》、所々、御破損、誠に以、古來未曾有之大變、今、四日に至候ても、鳴動、不二相止一、依ㇾ之、未御復座不ㇾ被ㇾ爲ㇾ在候得共、御眞影樣、無二御恙一被ㇾ爲ㇾ成二御座一候間、恐悅可ㇾ被ㇾ成候。右、格別之大變に付、態々《わざわざ》、此段、不二取敢一《とりあへず》申達《まをしたつし》候間、夫々《それぞれ》通達可ㇾ有ㇾ之候。恐惶謹言。
七月四日 池 永 主 稅《ちから》
島 田 帶 刀《たてはき》
下間《しもつま》刑部卿法橋
下間少進《せうしん》 法眼
關東十三ケ國
總御末寺所中
總門徒所中
猶、以、大谷御廟本、幷《ならびに》、山科御坊所、殊之外、御破損被ㇾ爲在候御事、夫《それ》、是《これ》、可ㇾ被二恐入一候、以上。
[やぶちゃん注:京都市下京区本願寺門前町にある浄土真宗本願寺派本山龍谷山西本願寺(グーグル・マップ・データ)が京都大地震の直後に出した宗門末寺及び信徒への触書(ふれがき)。
「御眞影樣」同寺の御影堂(ごえいどう)にある宗祖親鸞聖人の木像を指す。
「大谷御廟本」「本」は「もと」で、「御前」と同じく一種の敬語か。西本願寺が所有する親鸞の墓所。ここ。
「池永主稅」以下四人は西本願寺坊官。孰れも諸文書に署名がある。]
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