大和怪異記 卷之三 第六 不孝の女天罸をうくる事
[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここ(単独画像)。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。
正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]
第六 不孝の女天罸をうくる事
武藏国熊谷邊、戶田村に、嬬(やもめ)、女子《むすめ》二人をもてり。
姊(あね)は、廿にあまりて、壻(むこ)をとり、妹(いもと)は、十八にて、母と一所に居(を)れり。
あるとき、いもとむすめ、己《おの》が母を、さんざんに打擲(《ちやう》ちやく)し、
「くたびれたり。」
とて、紙帳(し《ちやう》)の内に昼寢したるに、にはかに、天、かきくもり、大雨(《たい》う)、しきりにふり、雷(いかづち)落かゝりて、かの女をつかみ、行《ゆき》かた知《しれ》ず成《なり》にけり。
かゝる事にも、猶、おそれず、姊も不孝にて、食物も母にくはせず、つらくあたりしを、婿、かなしみにたえず、下男をば、㙒《の》に出《いだ》し、
「妻(さい)は、さけを、もとめよ。」
とて、つかはし、其ひまに、姑(しうと)に物をくはせしに、母も斜(なゝめ)ならず悅び食(くふ)を、彼(かの)女、かへり見て、
「にくき事にこそ。」
と、はしりかゝつて、食物をうばひ取(とり)、けちらしければ、母、なくなく、家を立出《たちいで》、井に身をなげけるを、壻、おどろきて、梯(はしご)をおろさんとする所に、女(むすめ)、
「何とせしぞ。」
とて、井の内をのぞき、あやまつて落《おち》しかば、母は、半身、蛇(じや)になれるが、むすめが腰に、まとゐつき[やぶちゃん注:ママ。]、終《つひ》に、しめ殺しけるとなん。
正保年中の事とかや。「犬著聞」
[やぶちゃん注:典拠「犬著聞集」は既に先行するこちらで注済み。本書の最大のネタ元。「犬著聞集」自体は所持せず、ネット上にもない。また、前話の最後で示した同書の後代の再編集版である神谷養勇軒編の「新著聞集」にも採られていないようである。姉妹ともに、ここまで不孝であるのは、何か、理由があるのだろうが、それが書かれていないこととともに、母が、半身を蛇と変じて姉を絞め殺すという展開が、所謂、仏教説話からも限りなく距離があり、近世怪談の視点から見ても、凡そ救いが全くない。善意の婿は実は話柄を単にカタストロフへ導くための道化役でしかない。地平が意味不明という点で怪奇談の一つの「突(とつ)」である。
「武藏国熊谷邊、戶田村」不詳。現在の埼玉県熊谷市戸出(とで)の書写の誤記か。
「正保年中」一六四四年から一六四八年まで。徳川家光の治世。]
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