大和怪異記 卷之四 第十三 愛執によつて女のくびぬくる事
[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここから次のページにかけてである。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。
正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。
挿絵があるが、これは「近世民間異聞怪談集成」にあるものが、状態が非常によいので、読み取ってトリミング補正し、適切と思われる箇所に挿入する。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。底本の画像はここ。]
第十三 愛執(あい《しふ》)によつて女《をんな》のくびぬくる事
越中国に有德(うとく)なる人あり。男子(なんし)一人、女子(によし)一人を、もてり。
かのむすめは、かたち人にこえ、すでに十四になりぬ。
また、となりに十五になる美少人(びしやうじん)あり。
かのむすめ、此男子に、れんぼして、度々《たびたび》、玉づさをおくりしかども、男子、返事をもせず。
此事、いかゞして聞えけん、むすめが父母(ちゝはゝ)、かたく、たんせいして、むすめをほかに出さず。
むすめ、かなしみ、うらみて、くひものを、たち、すでに死《しぬ》べく見えければ、うば、歎(なけき[やぶちゃん注:ママ。])て、いかにもして、男子にあはせんことをはかりしに、その事とても、かなふべくもあらねば、ひとしほ、なげきのいろ、まさりけり。
あるとき、男子、ゑん[やぶちゃん注:ママ。「緣」。縁側。]に出て、にはを、ながめけるに、むすめ、『いかにもして、あひたき』と思ふ心にや、くび、をのれと[やぶちゃん注:ママ。]、ぬけいで、へいのうへに居て、少人を、まもれり。
これなん、世にいふ「轆轤首(ろくろくび)」とかや、いふものなるべし。
かゝる所に、女子が兄(あに)、これをみるに、むすめがからだは、せうじ[やぶちゃん注:ママ。「しやうじ」で「障子」。]のうちに有《あり》ながら、くびは、かべの上にあり。
ほそき糸、引《ひき》、はへたり。
兄、おどろき、をそれ[やぶちゃん注:ママ。]、刀(かたな)をぬきて、いとを、切《きり》ければ、くびは、むなしく、へいより、ころびおちぬ。
それより、となりの男子も、風のこゝちといひしが、四、五日、煩(わづら)て、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]むなしくなれりとかや。
轆轤首は「本草」・「五雜祖」などに記(しる)せる「飛頭蛮(ひとうばん)」の事なり。「叢談」
[やぶちゃん注:本文内の「轆轤首」の「轆」の字は、底本では「車」+「𢈘」(「鹿」の異体字)であるが、表字出来ないので、通常のそれを当てた。典拠とする「叢談」は私は不詳。
さて、この話は、以下に見る通り、私は結構な数の「轆轤首」譚を電子化注してきているが、このシチュエーション――娘が隣家の美少年に恋をして、遂にその思いのために轆轤首に突発的に変じて、それを見てしまった実兄が驚き、迂闊にも糸を斬ってしまい死に(「死んだ」とは本文には書かれていないが、これは間違いなく死んでいる。「にょろにょろ」型の本邦の轆轤首ではなく、首だけが外れて飛び出して夜間に飛び回って、しかも、一本の糸で首と胴体が繋がっているというのは、実は唐(から)渡りの由緒ある「飛頭蠻」の古式の知られた属性なのである。私の『「和漢三才圖會」巻第十四「外夷人物」より「飛頭蠻」』を参照されたい)、ほどなく、その魅入られた少年も亡くなってしまう――という悲しい展開は他にあまり例を見ないものと思う。但し、若主人と腰元という設定で、挿絵がかなり似ているものに、私の
がある(腰元は轆轤首に変じたことを恥ずかしく思い、致仕し、出家して尼になるという展開である)。
轆轤首譚は、何よりも、小泉八雲の‘ ROKURO-KUBI ’にトドめを刺す。私の小学校三年生以来の永遠の遺愛の名品、
「小泉八雲 ろくろ首 (田部隆次訳) 附・ちょいと負けない強力(!)注」
を参照されたい。この注は、二〇一九年の公開当時の私の注としては、これ以上のものはないと思うリキを入れた「轆轤首」注であり、今も、その自信は基本、変わっていない。八雲のものでは、英文で「轆轤首」を訳すのに苦労したという語りで始まる、彼の、
『小泉八雲 化け物の歌 「五 ロクロクビ」 (大谷正信訳)』
は、面白い割に、あまり読まれていないと思うので、特に掲げておく。
他に、総合的な意味では、公開の二〇一七年の私のブログの状況下では、頑張った注を附してある(ユニコード使用の前で正字化に不全があるのが恨みであるが)、
が、一記事で手っ取り早く、本邦での「轆轤首」変遷を掻い摘んで読める便宜はある。以下、単発独立電子化注では、
「古今百物語評判卷之一 第二 絕岸和尚肥後にて轆轤首見給ひし事」
が、比較的読み応えがあり、また、ちょっと触れているだけであるが、
も参考になる。また、番外編としてお勧めなのは、噂で「ろくろ首」と差別された娘の珍しいハッピィー・エンドの快作、
と、小泉八雲がそうした噂を立てられた、自宅に出入りする髪結「オコトサン」の一件(やはりはハッピィー・エンド)を記した、
『小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十八章 女の髮について (五)』
も、是非、読まれたい。
「玉づさ」「玉梓」「玉章」で「手紙」(時に「使者・使い」の意もある)。「たまあずさ」の転。昔、使者が梓(あずさ)の木の枝に結びつけて便りを運んだことによる。
「本草」明の李時珍撰で江戸時代まで本邦の本草学のバイブル的存在であった「本草綱目」のこと。「小泉八雲 ろくろ首 (田部隆次訳)」の注で原文の一部を引いたが、同書の巻五十二の「人之一」の掉尾(「本草綱目」本文の部の終りである)に配された「人傀」(じんくわい(じんかい):「人の怪異なる者」の意)のまさに最後の最後に、
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人具四肢七竅常理也而荒裔之外有三首比肩飛頭埀尾之民此雖邉徼餘氣所生同于鳥獸不可與吾同胞之民例論然亦異矣【山海經云三首國一身三首在崑崙東○爾雅云北方有比肩民半體相合迭食而迭望○南方異物志云嶺南溪峒中有飛頭蠻項有赤痕至夜以耳爲翼飛去食蟲物將曉復還如故也搜神記載吳將軍朱桓一婢頭能夜飛卽此種也欲○永昌志云西南徼外有濮人生尾如龜長三四寸坐則先穿地作孔若誤折之便死也】是故天地之造化無窮人物之變化亦無窮賈誼賦所謂天地爲爐兮造化爲工隂陽爲炭兮萬物爲銅合散消息兮安有常則千變萬化兮未始有極忽然爲人兮何足控摶化爲異物兮又何足患此亦言變化皆由于一氣也膚學之士豈可恃一隅之見而㮣指古今六合無窮變化之事物爲迂怪耶
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とある。今回は以上を国立国会図書館デジタルコレクションの風月莊左衞門寛文九(一六六九)板行の画像(ここから次の掉尾まで)を参考にしつつ、私の訓読を示しておく。
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人、四肢・七竅を具ふは、常の理(ことわり)なり。而しれども、荒裔の外(そと)[やぶちゃん注:辺境のさらにその外側。]に、三首・比肩・飛頭・埀尾の民、有り。此れ、邉徼(へんけう[やぶちゃん注:辺境。])、餘氣の生ずる所と雖も、鳥獸と同じくして、吾が同胞の民として例(くら)べて論ずべからず。然(しか)も亦、異なり。【「山海經」に云はく、『三首國、一身に三首たり。崑崙の東に在り。』と。○「爾雅」に云はく、『北方に比肩の民、有り。半體、相ひ合(がつ)し、迭(たが)ひに食しては、迭(たが)ひに望(なが)む。』と。○「南方異物志」に云はく、『嶺南の溪峒(けいどう)の中、飛頭蠻、有り。項(うなじ)に赤き痕(あと)有り。夜に至りて、耳を以つて翼(つばさ)と爲(な)し、飛び去りて、蟲や物を食らふ。將に曉(あかつき)に復(ま)や還(かへ)りて、故(かく)のごときなり。』と。「搜神記」に、『吳の將軍朱桓の一婢(いちひ)、頭、能く、夜、飛ぶ。卽ち、此の種なり。』と。』と。○「永昌志」に云はく、『西南徼外(けうがい)に濮人(ぼくじん)有り。尾(を)を生ずること、龜のごとく、長さ、三、四寸。坐せんと欲するときは、則ち、先づ、地を穿ちて、孔(あな)を作(な)す。若(も)し誤りて之れを折れば、便(すなは)ち、死す。』と。】是の故に、天地の造化、窮(きはま)り無く、人物の變化も亦、窮り無し。賈誼(かぎ)が賦(ふ)に、所謂(いは)ゆる、「天地を爐と爲(な)し、造化を工と爲し、隂陽を炭(たん)と爲し、萬物を銅と爲して、合散(がふさん)消息して、常(つね)有ることを安(やす)んずるときは、則ち、千變萬化、未だ始めより極(きはま)り有らず、忽然として、人と爲(な)る。何ぞ控摶(こうたん)する[やぶちゃん注:保持する。]に足(た)りてん。化して、異物と爲る。又、何ぞ患(わづら)ふに足らん。此れを亦、言はく、變化、皆、一氣に由(よ)るなり。」と。膚學(ふがく)の士[やぶちゃん注:浅学の徒。]、豈に一隅の見(けん)を恃(たの)んで、㮣(おほむ)ね古今六合・無窮の變化の事物を指(さ)して、「迂怪(うくわい)なり。」[やぶちゃん注:怪しく邪(よこし)まである。]と爲すべけんや。
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「五雜組」調べたが、同書には「飛頭蠻」或いは「飛頭」の文字列は存在しない。当初から気になっていたが、これは本書の作者の添書であろうからして、しばしば、私もふと勘違いする「酉陽雜組(俎)」の誤りではないかと踏んで、調べたところ、図に当たった。「酉陽雜俎」には「巻四」の「堺異」の中に、整理すると、五種の飛頭人(但し、「飛頭蠻」ではなく、「飛頭者」及び、一部の通称で「飛頭獠子」(ひとうりょうし)とする)の記載が並んであった。「中國哲學書電子化計劃」の影印本の当該部で起こす。句読点は同サイトの振ったものと、所持する東洋文庫の今村与志雄先生の訳を参考にした。訓読は今村先生のものをもとに自然流で行った。
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嶺南溪洞中往往有飛頭者。故有飛頭獠子之號。頭將飛一日前、頸有痕匝、項如紅縷。妻子遂看守之。其人及夜狀如病、頭忽生翼、脫身而去。乃於岸泥尋蟹蚓之類食、將曉飛還。如夢覺、其腹實矣。
梵僧菩薩勝又言、闍婆國中有飛頭者。其人目無瞳子、聚落時有一人。據于氏「志怪」、『南方落民、其頭能飛。其俗所祠、名曰蟲落。因號落民。』。
晉朱桓有一婢。其頭夜飛。
「王子年拾遺」言、『漢武時、因墀國使南方、有解形之民、能先使頭飛南海、左手飛東海、右手飛西澤。至暮、頭還肩上、兩手遇疾風、飄於海水外。
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①嶺南の溪洞の中(なか)に、往往にして、頭を飛ばす者、有り。故に「飛頭獠子」(ひとうりやうし)の號(な)有り。頭、將に飛ばんとする一日前、頸に、痕匝(こんそう)[やぶちゃん注:ぐるっと首を回った筋のような痕(あと)。]有りて、項(うなじ)の、紅縷(こうる)のごときものなり。妻子、遂(そのまま)に之れを看守(みまも)れり。其の人、夜に及び、狀(じやう)、病ひのごとくなりて、頭、忽ちに翼(つばさ)を生やし、身(からだ)から脫して去る。乃(すなは)ち、岸(かはぎし)に於いて、泥より、蟹・蚓(みみず)の類(たぐゐ)を尋(さが)し食(くら)ひ、將に曉(あかつき)にならんとするに、飛び還る。夢の覺めたるがごとく、其の腹、實(みて)り。
②梵僧[やぶちゃん注:インド出身の僧。]の菩薩勝(ぼさつしやう)、又、言はく、『闍婆國(じやばこく)[やぶちゃん注:ジャワ。]の中に、頭を飛ばす者、有り。其の人は目に瞳子(ひとみ)が無く、聚落には、時に一人は有り。』と。
③于氏(うし)が「志怪」に據(よ)れば、『南方の落民は、其の頭、能く飛ぶ。其の俗、祠(まつ)れる所のものを、名づけて「蟲落(ちゆうらく)」と曰ふ。因りて「落民」と號(なづ)く。』と。
④晉の朱桓(しゆかん)、一婢(いつぴ)有り。其の頭、夜、飛べり。[やぶちゃん注:今村先生の注によれば、この原拠は知られた晋の干宝(かんぽう)の「搜神記」かとされ、それに従うなら、朱桓は呉の将軍である。]
⑤「王子年(わうしねん)拾遺」[やぶちゃん注:東晋の頃の志怪小説集。]に言はく、『漢の武の時、因墀國(いんちこく)の使(つかひ)いはく、『南方に、形を解(わ)くるの民、有り、能く、先づ、頭をして南海に飛ばしめ、左手は東海に飛ばしめ、右手は西の澤(さは)に飛ばしむ。暮れに至りて、頭、肩の上に還るも、兩手、遇(たまた)ま、疾風ありて、海の水外に飄(ただよ)へり。』と。
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