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2022/11/26

大和怪異記 卷之四 第七 異形の二子をうむ事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここから。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]

 

 第七 異形(い《ぎやう》)の二子(ふたご)をうむ事

 奧州南部盛岡の妙泉寺門前の百性が女房、延宝八年夏のころ、二子をうみしに、一人(ひとり)は、片手、ながく、片手、短く、足、かゞまり、身に、毛、生《おひ》ければ、さながら猿猴(《えん》こう)に、ことならず。

 いまひとりは、目・鼻、なくして、手、七つ、足、四十三本あり。

「かゝることやうなる者は、はぢをさらさずれば、あとのため、よし。」

とて、捨《すて》たりしを、ある人、

「やしなひみん。」

とて、乳(ち)をのませけるに、五、六日へて、死しけり。

[やぶちゃん注:「犬著聞集」原拠。これは、幸いにして、後代の再編集版である神谷養勇軒編の「新著聞集」に所収する。「第十 奇怪篇」にある「異形(いぎやう)の二子(ふたご)を同產(どふさん[やぶちゃん注:ママ。])す」である。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の寛延二(一七四九)年刊の後刷版をリンクさせておく。ここ。にしても、二人目の奇形は甚だしい。これをも育てようとしたというのは、奇特の極みである。

「妙泉寺」現在の岩手県盛岡市加賀野にある寺(グーグル・マップ・データ)。

「延宝八年」一六八〇年。は徳川家綱(延宝八年五月八日(一六八〇年六月四日)没)・徳川綱吉の治世。

「猿猴」猿。]

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