大和怪異記 卷之三 第十 出雲国松江村穴子の事
[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここから。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。
正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]
第十 出雲国松江村穴子の事
但馬土人(どじん)、かたりけるは、
「去(さる)子細ありて、一とせ、出雲にゆきけるに、松江といふ村に『穴子』と呼(よび)て、十歲ばかりなる童(わらんべ)あり。
『何故に、「穴子」といふ。』
と、所の者に問(とへ)ば、答《こたへ》ていはく、
『かの童が母、此子を懷姙しけるとき、卒(にはかの)病《やまひ》にて死しけるを、夫、かなしみにたへず、
「あまりに殘《なごり》おほければ、死骸を、二、三日もおきて、見るベし。』
と云。女房が父母、いかりて、
「死したる者を家内にひさしく置《おく》といふ事やある、いそぎ、葬るべし。』
とて、土葬したりしに、男、なをしも[やぶちゃん注:ママ。]なげきて、塚の上に、三日三夜、いねたりしかば、みる人、
『未練なる男かな。生死《しやうじ》は、さだまれる事なり。いかにかなしければとて、あまりなる事や。』
と、そしりあへり。
かくて、三日夜半ばかりに、塚の内に、赤子のなく声、しきりなれば、おとこ[やぶちゃん注:ママ。]、
『さては。』
と思ひ、宿所にはしりかへり、鍬をもち來り、ほりかへし見けるに、女房、たちまちに蘇り、子も生れたり。男、悅びて、つれかへりしに、女房も、程なく日足(ひだし)、子も盛長して、すこやかなる男子なり。この故に「穴子」と名づけしとかや。』。「怪事考」
[やぶちゃん注:原拠とする「怪事考」は不詳。「近世民間異聞怪談集成」の解題で土屋氏も本書を『該当する資料名が不明なもの』の一つに入れておられる。
「日足(ひだし)」「脚足」などとも書き、「雲などの切れ目や物の間から差し込んでくる日光・陽射し」、或いは、「太陽が東から西へと移る動き・その速度・時間の経過」から、「その動きとともに移動していく光線」で、転じて、「昼間の時間」の意があるが、ここは「肥立ちし」で、「日が経つにつれて(元気に)成育し」の当て字であろう。]
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