大和怪異記 卷之一 第十二 雲中ににはとりたゝかふ怪異事
[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の分はここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。
正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。【 】は二行割注。]
第十二 雲中ににはとりたゝかふ怪異事
天安二年三月壬辰(みつのえたつ)の夜(よ)の、左近衞の大宅年麻呂(おほやのとしまろ)といふもの、北㙒(きたの)にいたりて見しに、稻荷神社の上、空中(くうちう)に、两(ふたつ)、雞(にはとり)ありて、たゝかふ。其《その》いろ、赤し。たゝかふごとに、毛羽(けは)ちりをち、地、あひへだつといへ共゙、眼前(がんぜん)にみるとなん。同
[やぶちゃん注:最後の「同」は前話と原拠が同じで、「日本後紀」と「文德實錄」(「日本文德天皇實錄」)であることを指す。国立国会図書館デジタルコレクションの前掲のもの後者(板本)で発見した。ここの左丁三行目(頭の「○」のみ)以下で視認出来る。空中に逆転層が発生し、有意に離れた場所で焚火をし、そこで闘鶏の練習でもしていたなら、有り得るかも知れぬが、どうも怪しい(次注参照)。
「天安二年三月壬辰」ユリウス暦八四八年三月だが、いつもお世話になっている「曆のページ」で調べたところ、月の干支は「丙辰」で、この月(大の月で三十日まである)の中には「壬辰」の日はないから、日は特定出来ない。正規の「六国史」の一つで、干支の誤りは致命的である。なお、文徳天皇はこの天安二年の八月二十七日に三十二歳で急死している。当該ウィキによれば、彼は、生来、病弱で『通説では死因は脳卒中といわれているが、歴史学者の彦由一太はあまりの病状の急変から』、即位を推して権勢を強めていた『藤原良房による暗殺説を唱えている』とある。詳しくは、そちらを参照されたいが、或いは、暗殺說をとるなら、こうした怪異を配する(ざっと見たが、同巻には似たような怪異が他にも載っている)ことで急逝を天命として理由づけするキナ臭さを感じるように思えなくもなく、干支の誤りは逆に後ろめたい噓だから、確信犯で違えたともとれる気もする。
「北㙒」原御所の北の地域を指す。この附近(グーグル・マップ・データ)。
「地、あひへだつといへ共゙」「空中と、年麻呂の立っている地面とでは、有意に離れているのだが、それが(謂わば、映画を見るように)眼前にはっきりと見えた。」と言うのである。]
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