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2022/11/19

《芥川龍之介未電子化掌品抄》(ブログ版) 思ふままに

 

[やぶちゃん注:芥川龍之介満三十一歳の大正一二(一九二三)年六月八日発行『時事新報』夕刊に「思ふままに 三」の題で、「淺香三四郞」の書名で掲載された。単行本には未所収。なお、先行する同年六月五日発行の同誌(夕刊)に、同題同署名で、「思ふままに 一」として「放屁」が、六月六日発行のそれに『「女と影」讀後』が掲載されている。「放屁」は私のサイト版があり、「放屁」と「「女と影」讀後』は後の作品集(随筆)『百艸』(大正一三(一九二四)年九月新潮社刊)に「續野人生計事」に「一」「二」として収録されているので、国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像で二篇続けて視認出来る。但し、『百艸』では「「女と影」讀後』は「女と影」に改題されている。その「女と影」はここから。

 底本は岩波書店の旧「芥川龍之介全集 第六巻」(一九七八年一月刊)に拠った。一部、段落末に注を入れた。

 本篇は倉田百三(龍之介より一歳年上)に対する批評であるが、相当に辛辣である。嘗つて芥川龍之介は書簡で倉田の戯曲「出家とその弟子」(大正五(一九一六)年に同人誌『生命の川』で連載され、翌年に岩波書店から出版された)を高く評価していたことを考えると、その大きな豹変が興味深い。なお、個人的には「出家とその弟子」は、二十歳の頃に必要があって精読し、評論を同人誌に書いたことがあるが、その内容は親鸞(私は日本の「思想家」として彼を非常に高く評価している)の思想を、致命的に、はき違えた感が随所にあることで、大いに不満があり、また、戯曲としては台詞その他に於いて、技術的に問題が多過ぎる失敗作だと考えている。]

 

 思ふままに

 

 最も水に憧れるものは水囊に水を貯へない駱駝背上の旅客である。最も正義に憧れるものは社會に正義を發見しない資本主義治下の革命家である。このやうに我々人間の最も熱心に求めるものは最も我々に不足したものである。此處までは誰も疑ふものはあるまい。

 しかしこれを眞理だとすれば、最も足に憧れるものは足を切斷した廢兵である。最も愛に憧れるものは愛を失つた戀人である。最も眞面目さに憧れるものは――予は論理に從はざるを得ない。眞面目さに憧れる小說家、眞面目さに憧れる評論家、眞面目さに憧れる戲曲家等は悉く彼等自身の心に眞面目さを缺いてゐる俗漢である。彼等は元來他人のことを不眞面目だなどと云はれた義理ではない。況や喜劇的精神の持ち主に兎角の非難を加へるのは上を極めた暴行である。

 又歷史の敎へるところによれば古來眞面目なる藝術家は少しも眞面目さを振りかざさない。彼等の作品には多少によらず、抑へ切れない笑ひが漂つてゐる。辛辣の名の高いイブセンさへ、眞面目さを看板に苦りきる程、人間離れのした怪物ではない。「ピイア・ギユント」は少時問はず、「鴨」の中から迸しるものは神鳴のやうな笑ひ聲である。「鰐」や「叔父の夢」のドストエフスキイも常談を好むことは人後に落ちない。御亭主と接吻をする間さへ、着物の皺になるのを心配するのはトルストイの描いた女である。義眼の片眼に人生を見ながら、道德を說いてやまないものはストリントベルグの描いた男である。

[やぶちゃん注:「ピイア・ギユント」( Peer Gynt )「ペール・ギュント」。ノルウェーの劇作家ヘンリック・イプセンが一八六七年に作った戯曲(劇詩)。

「少時」「しばらく」。

「鴨」イプセンが一八八四年に発表した悲劇「野鴨」( Vildanden )。

「鰐」(わに: Крокодил )一八六五年発表のドタバタ喜劇的小説。但し、未完。

「叔父の夢」同じくドタバタ喜劇的な中編小説「伯父さまの夢」( Дядюшкин сон )。一八五九年発表。これはシベリヤ流刑後に「ドストエフスキー」の名前で発表された最初の作品で、発表は彼がロシア内地へ帰ることを許される五ヶ月前に当たる。]

 所謂眞面目なる小說家、評論家、戲曲家等に眞面目さの訣けてゐることは論理の證するところにより疑ふ餘地のない事實である。尤もかう云ふ結論だけは誰も氣づかずにゐる譯ではない。實は大抵暗暗の裡にかんづいてゐることはゐるのである。

 たとへば武者小路實篤氏は眞面目なる藝術家の一人である、これは誰一人疑ふものはあるまい、しかし思想のみならず、文藝さへ武者小路氏に酷似した倉田百三氏の場合になると、疑ひなきを得ないものも多さうである。武者小路氏と倉田氏と、どちらが手腕があるかは問はないでも好い、唯眞面目さを問題とすれば、兩氏とも大抵同一に認められさうなものである。それが不思議にもさうならないのは、何か武者小路氏と倉田氏との間に異なつたものがなければならない、では何處が異るかと云へば武者小路氏の眞面目さの中には愛すべきヒュウモアの閃きがある、一休和尙や曾呂利新左衞門は今更說明する必要もあるまい、大蛇を退治した素盞嗚の尊は踊りにさへ加はる雅量を持つてゐる、地球を創造した神樣も滑稽天使を呼ぶ時には「コツケイ!」と叫ぶことを憚らない。しかし倉田氏の親鸞上人は悲しさうな顏を片づけてゐる、いや、親鸞上人に限つたことではない。俊寬は平家を呪つてゐる、布施太子は悄然と入山してゐる、父は――まだ讀んだことはない、しかし廣告に偏りがなければ、兎に角父も心配してゐる。

[やぶちゃん注:「一休和尙」武者小路実篤の戯曲「或日の一休」(『白樺』掲載時は「或日の一休和尚」。大正二(一九一三)年発表)を指す。

「曾呂利新左衞門」同じく武者小路の戯曲「秀吉と曾呂利」(大正一一(一九二二)年発表)。

「素盞嗚の尊」同じく武者小路の戯曲「一日の素盞嗚尊」(いちにちのすさのをのみこと:大正九(一九二〇)年発表)。

『地球を創造した神樣も滑稽天使を呼ぶ時には「コツケイ!」と叫ぶことを憚らない』同じく武者小路の戯曲「人間万歳」。大正一一(一九二二)年九月の『中央公論』に初出で、大正十四年三月に帝劇で「文芸座」によって初演された。

「俊寬は平家を呪つてゐる」倉田百三の戯曲「俊寛」を指す。

「布施太子は悄然と入山してゐる」倉田の戯曲。大正九(一九二〇)年発表。大正一四(一九二五)年、帝国劇場で上演。主人公は若きブッダを思わせる人物。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで翌年の刊本で読める。

「父」倉田の戯曲「父の心配」。大正一一(一九二二)年岩波書店刊。]

 武者小路氏は「常に」眞面目ではない。倉田氏は「常に」眞面目である。常に眞面目に構へてゐるのは生死さへ多少疑はしい。山椒の魚は常に眞面目である。サンドウイツチ・マンも常に眞面目である。埃及の王樣の木乃伊などは就中常に眞面目である。倉田氏の眞面目さを疑はれるのは當然のことと云はざるを得ない。

 人間はパスカルの言葉によればものを考へる蘆である。蘆はものを考へないかどうか――それは予には斷言出來ない。しかし蘆は人間のやうに笑はないことだけは確かである。予は笑ひ顏の見えないところには、獨り眞面目さのみならず、人間性の存在をも想像出來ない。眞面目さに憧れる小說家、評論家、戲曲家等に敬意を持たないのは當り前である。

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