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2022/11/24

「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「話俗隨筆」パート 蛇を引出す法

 

[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。

 以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから次のコマにかけて。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。

 注は文中及び各段落末に配した。彼の読点欠や、句点なしの読点連続には、流石に生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落・改行を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え(丸括弧分は熊楠が振ったもの)、句読点や記号を私が勝手に変更したり、入れたりする。漢文部は全体が一字下げなので、それを再現するために、ブラウザの不具合を考えて、一行字数を少なくしておいた。今まで通り、後に〔 〕で推定訓読文を添えた。

 標題の「引出す」は「ひきいだす」と読んでおく。]

 

      蛇を引出す法 (大正二年九月『民俗』一年二報)

 

 「和漢三才圖會」卷四五に、凡て蛇が穴に入ると、力士が尾を捉《とら》て引《ひき》ても出《いで》ぬが、煙草脂《たばこのやに》を傅《つく》れば出《いづ》る、又、云く、其人、自分の耳を左手で捉へ、右の手で引けば出るが、其理が知れぬ、と見ゆ。是に似たる事、レオ・アフリカヌス(一四八五年頃、生れ、一五五二年、歿せり。)の「亞非利加記(デスクリプチヨネ・デル・アフリカ)」第九篇に云く、「ヅツブ」は沙漠に住み、蜥蜴に似て、大きく、人の臂《ひぢ》程長、く、指四つ程、厚し。水を飮まず。無理に水を口に注込《そそぎこみ》續けると、弱つて死す。「アラブ」人、之を捕へ、皮、剝ぎ、灸り食《くら》ふに、香味、蛙の如し。此物、蜥蜴同樣、疾《とく》走る。如《も》し、穴に隱れて尾丈《だ》け外に殘る時は、如何《いつか》な大力も、之を引出《ひきいだ》し得ず。獵師、鐵器もて、穴を掘り擴げて、之を捕ふ、と。物はやつて見物《みるもの》で、蛇と蜥蜴類は似た動物故、「ヅツブ」の住む沙漠へ行く人に、煙草脂と、耳捉んで努力の二法を試みるやう、忠告し置《おい》た。

[やぶちゃん注:『「和漢三才圖會」卷四五に、凡て蛇が穴に入ると、……』私の寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類」の掉尾の「蛇皮」に出る。引用する(前が訓点を排した原本に一致させた白文で、後は私が訓点に従いつつ、補正したもの。【 】は二行割注、〔 〕は私の補正。なお、古い電子化注なので、数ヶ所に補正を加えてある)。

   *

蛇皮 蛇衣  蛇脫

△按蛇秋蟄前脫皮光白色如薄紙首尾全不損也未雨

 濡者取【黑燒油煉】傅兀禿則生毛髪【蜘蛛脫皮褐色八足無筒恙空殼風吹散亦奇也】

凡蛇忌煙草脂汁入蛇口則困死如入穴蛇力士捉尾引

 不能出傅煙草脂則出【又云其人左手捉自身耳右手引蛇則出未知其理】有人

 擲馬古沓中蛇則甚恚追其人【白馬沓弥然抑惡之乎好之乎】

蝮咬足或螫牙針留膚痛急緊縛其疵上可傅煙草脂如

 緩則直上至肩背煩悶用眞綿撫其邊則牙針係綿以

 鑷抜取次傅煙草脂或膏藥愈〔=癒〕

   *

蛇皮(へびのきぬ) 蛇衣・蛇脫

△按ずるに、蛇、秋、蟄(すごも)る前、皮を脫(ぬ)ぐ。光、白色にして、薄紙のごとくにして、首尾、全く損せざるなり。未だ雨に濡(ぬ)れざる者〔を〕取りて【黑燒にして油煉〔(あぶらねり)〕す。】、兀-禿(はげ)に傅(つ)くれば、則ち、毛髪を生ず【蜘蛛も皮を脫ぐ。褐色、八足、恙無し。空殼、風に吹き散る、亦、奇なり。】。

凡(すべ)て、蛇、煙草(たばこ)の脂汁(やに〔じる〕)を忌む。蛇の口に入れば、則ち、困死す。如〔(も)〕し穴に入る蛇は、力士、尾を捉(とら)へて引くに能く出さず〔→出づる能はず〕。煙草の脂を傅くれば、則ち、出づ【又、云ふ、其れ、人の左の手にて自身の耳を捉へて、右手にて、蛇を引けば、則ち、出づると。未だ其の理〔(ことわり)〕を知らず。】。人、有りて、馬の古沓(〔ふる〕ぐつ)を擲(な)げて、蛇に中(あた)れば、則ち、甚だ恚(いか)りて、其の人を追ふ【白馬の沓、弥(いよいよ)、然り。抑〔(そもそも)〕之れを惡〔(にく)〕むか、之れを好むか。】。

蝮(まむし)、足を咬み、或は螫(さ)す〔に〕、牙・針、膚〔(はだへ)〕に留まり痛む〔時は〕、急に、緊(きび)しく、其の疵の上(か〔み〕)を縛(くゝ)り、煙草の脂を傅くべし。如し緩(ゆる)き時は[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]、則ち〔牙・針〕、直ちに上りて、肩・背に至りて、煩悶す。眞綿を用ひて其の邊を撫〔(なづ)〕れば、則ち、牙・針、綿に係る。鑷(けぬき)を以て、抜き取り、次に、煙草の脂、或は、膏藥を傅けて、癒ゆ。

[やぶちゃん注:標題は蛇の抜け殻についての記載のように見えるが、それは第一段落で終り、「凡て、蛇」以下では蛇の忌避物質としての煙草のヤニ及び馬の草鞋(わらじ)の効用を述べ、「蝮、足を咬みる」以下では、マムシ咬傷の際の救急法を述べる。

「蛇、秋、蟄る前、皮を脫ぐ」とあるが、誤り。爬虫類の愛好家の方のブログ「Reptiles Cage」の「ヘビの脱皮」についての記載から引用させて頂く(但し、途中の改行を省略した)。『ヘビは年に数回脱皮する。成長期にはその回数が多い。脱皮は口から脱ぎ始め、ストッキングを脱ぐように裏返しに脱いでいく。うろこは11枚離れているように見えるけど、実はその間に薄い皮で繋がっていて、普通は鱗の間に畳み込まれている。大きいものを飲み込んで皮が伸びるのは、その畳まれたのが伸びるわけ。脱皮の1週間前くらいから目が白濁してくる。ヘビはまぶたを持たないので、眼の保護に透明な皮が目の上を覆っている。その皮も脱皮するので、脱ごうとする皮と新しい皮の間に体液が入って白濁して見えるのだ。このあいだは、ヘビは餌を食べたりせず、目が利かないので用心深くなる。』ホントにホントの文字通り、眼から鱗!!! なお、蛇の寿命は二~二十年程度(飼育下)で、シマヘビElaphe quadrivirgataで四年程度、アオダイショウElaphe climacophoraで十二~二十年(飼育下)。但し、外国産のペットの中には、ヘビ亜目ボア科ボア亜科ボア属のボア・コンストリクター Boa constrictor(通常我々が呼ぶ「ボア」のこと)等に飼育下で四十年以上の記録もある。

「黑燒」は漢方の製法の一つで、動植物を土器に入れて時間をかけて蒸し焼きにし、黒く炭化させたものを言う。

「油煉」恐らく少し炒って油を沁み込ませ、練って固めたものを言うのであろう。

「兀禿」「兀」は音「ゴツ」で「禿」(トク)と同じく、「はげ(あたま)」の意。

「蜘蛛も皮を脫ぐ」蜘蛛も節足動物であるから脱皮する。種によっては十五回の脱皮をするものもいるとのことである。

「恙無し」は「欠けたところがない」という意味であろう。「完全な八足の蜘蛛の形のままの抜け殻となる」の意。

「蛇、煙草の脂汁を忌む」蛇の愛好家の方の記載を見ると、実際に多くの蛇は煙草(煙やヤニ)を忌避するらしい。古き嫌煙家であったわけだ。

「困死」悶え苦しんで死ぬこと。

「馬の古沓」「馬の沓」とは馬の草鞋のことで、「馬沓」(まくつ)とも言う。蹄に付けた。因みに、よくある「沓掛」という地名は、馬を休ませて、この馬沓を木に掛けたところからついた地名という。

「蝮」ニホンマムシGloydius blomhoffii。本巻の「蝮」の項を参照。

「牙・針」中黒で分けた。ここは直前の「足を咬み、或は螫す」に着目して欲しいのである。「牙」が「咬」むのであり、「針」が「螫す」である。即ち、「牙」と「針」は別物なのである。これは前掲の「蝮」の項にある『其の鍼、尾に有りて、蜂の針のごとく、常には見えず。時に臨んで出だし、人を刺す。毒、最も烈し。然るに、鍼、鼻の上に有ると謂ふは、未審し。』が解となる。良安は蝮は口中の毒牙以外に、尾部に毒針を隠し持っていると考えているのである。また、この叙述から、良安は蜜蜂のように蝮の牙も針も人体に打ち込まれると脱落するもの、と考えていたことが分かる。

   *

「レオ・アフリカヌス」(Leo Africanus 一四八三年?~一五五五年?)の名前で知られる、本名をアル=ハッサン・ブン・ムハンマド・ル=ザイヤーティー・アル=ファースィー・アル=ワッザーンというムーア人で、アラブの旅行家にして地理学者。「レオ」はローマ教皇レオⅩ世から与えられた名で、「アフリカヌス」はニック・ネーム。

「亞非利加記(デスクリプチヨネ・デル・アフリカ)」‘La descrittione dell’Africa’で一五五〇年刊。ラテン語タイトルは‘Cosmographia de Affrica’。元は当然のこと乍ら、アラビア語で、次いでトスカーナ語で書かれ、ベネチアで、‘Description de l'Afrique vers 1530’というタイトルで出版された。

「ヅツブ」「選集」では、『ヅップ』。種不詳。識者の御教授を乞う。]

 序《ついで》に云ふ、「改定史籍集覽」第十六册に收めた「渡邊幸庵對話」に、『女の陰門へ蛇の入《いり》たるを、予、一代に、三度、見たり。一人は片羽道味《かたはだうみ》、療治す。是は、手洗《てあらひ》に水を溜め、蛙を放置《はなちおき》候處、蛇、頭を出《いだ》す。其時、足の末を、蛇の際《きは》へ寄《よす》る所に、『可喰《くらふべく》』と致し申すを、引取《ひきと》り、二、三度も左樣に致して後、蛇に喰《くらは》せ申し候。又、蛙の太き所を出し、右之通り、『可喰』と致し、頭を出し申すを、二、三度も引取り、外《ほか》の蛙の中へ、山椒を、二、三粒、入包《いれつつ》み、外《そと》へ不知樣《しれざるやう》に認《したた》めて、蛇、飛付《とびつき》申す刻(とき)、最初の蛙と取替《とりかへ》、山椒の入《いり》たる蛙を喰せ候へば、四半時の内に、蛇、外へ出《いで》申候。『内にては、膓《はらわた》を喰居《くらひを》り申す。』との了簡にて、蛙を以て、差引致し申す内、蛇も其所《そこ》へ心を移し、内卷《うちまき》、ほくれ申《まをす》考へにて、差引致し申候。「左も無く、理不盡に出し候へば、腹、痛み候半《さふらはん》。」と、右の通り、道味、考へ、致療治候。』(寶永七年筆記)。予、幼時、和歌山で、二、三度聞きしは、田舍で、蛇、時として、女陰に入る事、有り。直ちに其尾を割《さ》き、山椒の粉を割目《さきめ》に入《いる》れば、弱つて出來《いでく》るとなり。「和漢三才圖會」八九には、『蛇、山椒樹を好み、來り棲む。蝮、最も然り。』と有る。蛇が人の竅(あな)に入ること、實際、有るにや。

[やぶちゃん注:『「改定史籍集覽」第十六册に收めた「渡邊幸庵對話」に、『女の陰門へ蛇の入《いり》たるを、……』熊楠が底本とした原本を国立国会図書館デジタルコレクションの画像(ここ)で視認して校合した(漢字表記は概ね渡邊の原表記に代え、脱文部を復元した)。「渡邊幸庵」(生没年不詳)は江戸初期の武士。徳川家康・秀忠に仕え、上野国で知行三百石を賜り、「関ケ原の戦い」や「大坂の陣」には父と共に参加して軍功を挙げ、逐次、加増を受けたのち、寛永二(一六二五)年に徳川忠長に付属せられ、大番頭となって、五千石を知行したとする。忠長が改易となった後は、浪人となり、その後の経歴は不明であるが、彼の後年の回想記とされる本「渡辺幸庵対話」によれば、「島原の乱」の時には、細川忠利の部隊に陣借りして働き、その後は、中国大陸に、長年、滞在し、再び日本に戻ったという。老年には武蔵国大塚に住んだが、加賀藩主前田綱紀は宝永六(一七〇九)年、家臣を遣わして、幸庵の昔話を筆記させ、同八年に上記の回想記がまとめられた。一説に天正一〇(一五八二)年生まれで、正徳元(一七一一)年に百三十歳で没したとするが、凡そ信じ難い。謎の多い人物であるが、元幕臣ということからすると、「寛政重修諸家譜」に載る渡辺茂、或いは、その子の忠が、モデルの一部として比定はし得るであろうとはいう(朝日新聞出版「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。孰れにせよ、「対話」にあるような経歴を持った幕臣は実際にはいない。

「片羽道味」実在した医師・本草家のようである。

「内卷、ほくれ申考へにて」「内部で、蛇が体をぐにやぐにゃと内臓器と絡め巻いているのを、すんなりとほぐらし、直すという手法で」の意。底本では、この前後がごっそり抜けているので、完全に復元した。

『「和漢三才圖會」八九には、『蛇、山椒樹を好み、來り棲む。蝮、最も然り。』と有る』これは、巻八十九の「味果類」の三番目に出る、「朝倉椒(あさくらさんしやう)」の最後の作者寺島良安の添え(この項は和品であるため、全文が寺島の記載である)辞で、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の板本画像で示すと、ここ。なお、この「朝倉椒」とは双子葉植物綱ムクロジ目ミカン科サンショウ属サンショウ Zanthoxylum piperitum 突然変異で現れた棘の無い栽培品種で、江戸時代から珍重されてきたものである。実生では、雌雄不定で、且つ、棘が出てくるため、主に、雌株を接ぎ木で栽培した物を「朝倉山椒」として販売されている。学名はアサクラザンショウZanthoxylum piperitum forma inerme 。ここはウィキの「サンショウ」に拠った。以下、画像から訓読して示す(一部の送り仮名と読みは私が添えた)。

   *

凡そ、蛇(へび)山椒の樹を喜びて、來り棲む。反鼻蛇(くちはみへび)、最も然(しか)り。

   *

「反鼻蛇」ニホンマムシの異名。特にマムシの皮を取り去って乾燥させたものを「反鼻(はんぴ)」と呼び、漢方薬として滋養強壮などの目的で用いる。

「蛇が人の竅(あな)に入ること、實際、有るにや」私は、ない、と考える。男根のミミクリーの卑猥な妄想である。寧ろ、古代からあった夜這いを蛇に喩えて、神話・伝説・説話の類に変容させたものは、結構、多い。]

 東晋譯「摩訶僧祇律」卷四十に、佛住舍衞城。爾時比丘尼、初夜後夜、跏趺而坐、時有蛇來瘡門中。〔佛、舍衞城に住す。爾(そ)の時、比丘尼、初夜・後夜、跏趺〕かふ)して坐す。時に、蛇、有り、來たりて瘡門《さうもん》の中に入る。〕。比丘尼の總頭《さうがしら》で、佛の叔母なる大愛道《だいあいだう》が佛に白《まう》すと、佛、言《いは》く、應ㇾ與某甲藥、蛇不ㇾ死而還出、卽與ㇾ藥而出。〔應(まさ)に某甲(そのもの)に藥を與ふべし。蛇は、死せずして、還り出でん、」と。卽ち、藥を與へて出だせり。〕。以後、『比丘尼は、必ず、一脚を屈め、一脚、跟《くびす》もて瘡門を奄《おほ》ふべし。男僧同樣、跏趺して坐すれば、越毗罪たるべし。』と制戒せり、と有る。

[やぶちゃん注:『東晋譯「摩訶僧祇律」』の当該部は「大蔵経データベース」で校合した。

「瘡門」辞書などに見当たらないが、女性の会陰部の膣の出口を言っている。「瘡」には「切られた傷」の意があるので、そのミミクリーであろう。]

 一七六九年板、「バンクロフト」の「ギアナ博物論(アン・エツセイ・オン・ゼ・ナチユラル・ヒストリー・オブ・ギアナ)」二〇五頁に、「コムモード」は水陸兩棲の蛇で、長《たけ》十五呎《フィート》、周《めぐり》十八吋《インチ》、頭、濶《ひろ》く、扁《ひらた》く、尾、長く、細く、尖る。褐色で、脊と脇に栗色の點有り。毒蛇で無いが、頗る厄介な奴で、屢《しばし》ば、崖や池を襲ひ、鵞《がちやう》・鶩《あひる》等を殺す。印甸人《インジアン》言ふ、「此蛇、自分より大きな動物に會ふと、尖つた尾を其肛門に插入て之を殺す。故にギアナ住《ぢゆう》白人《はくじん》、これを男色蛇(ソドマイト・スネイク)と呼ぶ。」と。同書一九〇頁に「ペリ」てふ魚が、水に浴する女の乳房や男の陰莖を咬み切る、と有る。紀州田邊灣にも「ちんぼかぶり」とて、泳ぐ人の一物を咬む魚が有る。「大英類典」十一板廿卷七九四頁に、巴西國(ブラヂル)の「カンヂル」魚は、長《たけ》纔か日本の三厘三毛で、小便の臭を慕ひ、川に浴する人の尿道に登り入る。能く頰の刺を起こすから、引出す事成らぬ。故に「アマゾン」河邊の或る土民は、水に入る時、椰子殼《やしがら》に細孔を明け、陰莖に冐《かぶ》せ、其侵入を防ぐ、と出づ。焉《いづ》れも、本題に緣があまり近く無いが、中々、珍聞故、書て置く。

[やぶちゃん注:『一七六九年板、「バンクロフト」の「ギアナ博物論(アン・エツセイ・オン・ゼ・ナチユラル・ヒストリー・オブ・ギアナ)」二〇五頁』エドワード・バーソロミュー・バンクロフト(Edward Bartholomew Bancroft 一七四四 年又は一七四五年~一八二一年:ベンジャミン・フランクリンの手下のスパイとなり、後にはイギリスのスパイともなった政治上の人物として知られるが、本来は自然史が専門であった)の‘An Essay on the natural history of Guiana in South America(「南アメリカのギアナの自然史とエッセイ」。一七六九年刊)。原本当該部が「Internet archive」のここから視認出来る。

「コムモード」原本綴りは“Commodee”。これは爬虫綱有鱗目   有鱗目 Laterata 下目テユー上科 Teiioideaテユー科Tupinambinae亜科カイマントカゲ属ギアナカイマントカゲDracaena guianensis のこと。但し、ここに書かれているような習性が本当にあるかどうかは、不詳。欧文綴りから、有鱗目オオトカゲ科オオトカゲ属オニオオトカゲ亜属コモドオオトカゲVaranus komodoensis を想起されたあなた、彼らはインドネシアにしかいませんから、ご注意を。因みに、「コモド」の方の綴りは“Komodo”。

「男色蛇(ソドマイト・スネイク)」原本の綴りは“Sodomite Snakesodomiteは「男性とのアナル・セックスに魅了される男性」の意。

『同書一九〇頁に「ペリ」てふ魚が、水に浴する女の乳房や男の陰莖を咬み切る、と有る』これは一八九ページから書かれてある。綴りは“peri”。現在の同定種不詳。

『紀州田邊灣にも「ちんぼかぶり」とて、泳ぐ人の一物を咬む魚が有る』種不詳。識者の御教授を乞うものである。

『「大英類典」十一板廿卷七九四頁に、巴西國(ブラヂル)の「カンヂル」魚』「Internet archive」の原本のここの「PARASITISM」(「寄生」)の“List of Parasites”“A. — Animals. の八行目から、

   *

Vandellia cirrhosa, the candiru of Brazil, a minute fish 60 mm.in length, enters and ascends the urethra of people bathing, being attracted by the urine; it cannot be withdrawn, owing to the erectile spines on its gill-covers. The natives in some parts of the Amazon protect themselves whilst in the water by wearing a sheath of minutely perforated coco-nut shell.

   *

とある。これは、条鰭綱ナマズ目トリコミュクテルス科Trichomycteridaeヴァンデリア属の総称、或いはカンディルVandellia cirrhosa である。私は二十五年程前のTVの特集番組で初めて「カンジール」の名で知った。当該ウィキによれば、『カンディル(Candiru)は、ナマズの仲間で、アマゾン川など南アメリカの熱帯地方に生息する肉食淡水魚の種の総称である。セトプシス(ケトプシス)科およびトリコミュクテルス科がこれに属する。狭義のカンディルとしてトリコミュクテルス科のVandellia cirrhosa、もしくはVandellia亜科に属するナマズのみを指す場合もあるが、トリコミュクテルス科およびセトプシス科全体をカンディルと呼ぶのが一般的である。日本ではカンジェロ、カンジル、カンジルー、カンジール、カンビルとも表記される』。『銀色の』十センチメートル『ほどの小魚だが、生育すると』三十センチメートル『ほどに達する個体もいる』。『カンディルには、自身よりも大きな魚のエラなどから』、『細い体を潜り込ませて体の内側を捕食するものや、直接』、『他の生きた魚や死魚の体表を食い破り』、『肉を食すものが存在する。性質は獰猛で、獲物に集団で襲いかかる。カンディルのヒレには侵入した獲物から離れないように返し針のようなトゲがあり、無理に引き離そうとすると肉を切り裂いてしまうため、生息地の人々には毒針を持つ淡水エイと並び、ピラニア以上に恐れられている』。『その体型と習性から、女性の膣に侵入した事例が報告されている』。但し、『種類によっては、砂の中の微生物を食べて生きる比較的おとなしいものも存在する』。『トリコミュクテルス科バンデッド・カンディル』『Pseudostegophilus nemurus』は、『全長』十センチメートル『ほどで、黄土色の体に黒い縞模様が入るのが外見的な特徴である。エラに侵入するタイプの典型として、頭部が押しつぶしたように平たくなり、他の魚の体内へ入り込みやすくなっている』。『セトプシス科』『ブルー・カンディル』『Cetopsis coecutiens』は『全長』二十センチメートル『ほどの大型のカンディル。クジラを思わせる丸い頭部が特徴で、英語ではWhale Catfishとも呼ばれる。大型の魚や死骸の表皮を食い破り、肉を食う。人目をひく捕食形態から水族館やアクアリウムで飼育されることがあるが、エラや排泄孔から侵入するトリコミュクテルス科のカンディルと異なり、皮膚に噛み付いて』、『直接』、『穴を開けることがあるため、注意が必要である』。以下、『男性の尿道に侵入するという風聞』の項。十九『世紀の探検家が報告して以来』、『カンディルは、ほかの魚が排出したアンモニアに反応するため、時には人間も襲うことがあり、肛門や尿道から膀胱などの内臓にまで侵入された際には、切開による除去手術が必要となる』という『風聞がある』が、『実際には、カンディルが男性の尿道に侵入したところが目撃されたことはない』。『Stephen Spotteの研究によれば、カンディルはアンモニアなどの化学物質には反応せず、視覚で獲物を探す』。『カンディルに関する文献を調査したIrmgard Bauerは、カンディルの生息域とその地域の人口を考えれば、危険性はないと結論している』。一九九七『年にはマナウスでカンディルが尿道に侵入した男性患者を処置したという医学論文が』一『件あるが、その執筆者を訪れた』人物は『報告は疑わしいものとしている』。但し、最後にイギリスの『アニマルプラネットの番組『怪物魚を追え! S1 アマゾンの殺人魚』では、番組ホストのジェレミー・ウェイドが実際に尿道に侵入された男性との対面に成功し、病院において内視鏡で取り出され、ブラジル国立アマゾン研究所にてホルマリン漬けで保存された個体標本が登場する。またカンディルを取り出す時に撮影された内視鏡カメラの映像もポルトガル語題名のyoutube動画として存在する』とはある。]

 蛇が瘡門に入る事、本邦の古書に明記は見當らぬが、似た例を見出だす儘、少々、記さう。「日本靈異記」中卷に、天平寶字三年四月、河内の馬廿里《うまかひのさと》の富豪の女《むすめ》が、桑の樹に登ると、大蛇も隨《したがひ》て登り、女が人に示されて、驚き落《おち》ると、蛇も、亦副墮、纏ㇾ之以婚、慌迷而臥、父母見ㇾ之、請召藥師、孃與蛇倶載於同床、歸ㇾ家置ㇾ𨓍(音「廷」。「草逕」也。[やぶちゃん注:「庭の小径」で「庭」の意。])、燒稷藁三束、合湯取ㇾ汁三斗、煮之成二斗、猪毛十把剋末合ㇾ汁、然當孃頭足、打ㇾ橛懸鉤、開ㇾ口入ㇾ汁、汁入一斗、乃蛇放往、殺而棄、蛇子白凝如蝦蟆子、猪毛立蛇子身、從※出五升許[やぶちゃん注:「門」+(中下に)「也」。膣。]、口入二斗蛇子皆出、迷惑之孃、乃醒言語、二親問ㇾ之、答我意如ㇾ夢、今醒如ㇾ本、藥服如ㇾ是、何謹不ㇾ用、然經三年、彼孃復蛇所ㇾ婚而死。〔亦、副(そ)ひ墮ちて、之れに纏ひ、以つて、婚(くなが)ふ。慌(ほ)れ迷(まど)ひて[やぶちゃん注:正気を失って。]、臥す。父母、之れを見て、藥師(くすし)を請ひ召し、孃(をとめ)と蛇とともに同じ床に載せて、家に歸り、𨓍(には)に置く。稷(きび)の藁三束(みたばり)を燒き、湯に合はせ、汁を取ること、三斗、之れを煮-煎(につめ)て、二斗と成し、猪(しし)の毛十把(じつたばり)を、剋(きざ)み末(くだ)きて、汁に合はせ、然(しか)して、孃の頭・足に當たりて橛(くひ)を打ち、懸け鉤(つ)り、※(したなりくぼ)の口に、汁を入(い)る。汁、入ること、一斗、乃(すなは)ち、蛇、放れ往(ゆ)く。殺して棄てつ。蛇の子、白く凝(こご)り、蝦蟆(かへる)の子のごとし。猪の毛、蛇の子の身に立ち、※より出づること、五升ばかりなり。口に、二斗を入るれば、蛇の子、皆、出づ。迷-惑(まど)へる孃、乃(すなは)ち、醒めて、言語(かたら)ふ。二親(ふたおや)、之れに問ふに、答ふらく、「我が意(こころ)、夢のごとく、今、醒めて、本(もと)のごとし。」と。藥服、かくのごとし、何ぞ、謹しみて用ひざらめや。然(しか)れども、三年を經て、彼(か)の孃、復(ま)た、蛇の婚(くがな)はれて死す。〕

[やぶちゃん注:「日本靈異記」の原漢文は私の所持する二種の原本データ(伝本によって異同がある)から、最も納得出来ると判断したものを、熊楠の表記をメインとしつつ、校合した。]

 「今昔物語」二九卷に、小便する若き女の陰を、蛇が見て魅入《みい》れ、其女、二時《ふたとき》斗《ばか》り、其場を去《さり》得なんだ話有り。又、三井寺で、若い僧、晝寢の夢に、若い美女、來たりて、婬す、と見、覺《さめ》て、傍を見れば、五尺許《ばか》りの蛇が、口に、婬を受けて、死居《しにをつ》た、と出づ。是は「アウパリシュタカ」とて、口で受婬する事が、インドで、古來、大流行で、之を業とする閹人(ユーナツク)多く、其技《そのわざ》、亦、多端だ(一八九一年板「ラメーレツス」譯、「愛天經《カーマ・スートラ》」九一―九三頁。此書は基督と同じ頃、「ヴワチャナ」梵士作。)。隨《したがつ》て、佛律に、其制禁、少なからず。例せば、姚秦譯「四分律藏」五五卷に、佛在毗舍離城、有比丘、體軟弱、以男根口中云々、時有比丘、於狗口中行ㇾ婬。〔佛、毘舍離城に有り。[やぶちゃん注:以上は熊楠の作文と推定する。近いのは、ずっと前にある「爾時世尊在王舍城」で、「爾(こ)の時、世尊、王舍城に在り。」である。]、比丘、有り、體、軟弱にして、男根を以つて口中に内(い)れ、云々、比丘、有り、狗(いぬ)の口中に於いて婬を行なふ。〕。何《いづ》れも、自《みづか》ら受樂せし故、佛、之を波羅夷罪《はらいざい》と判ず。時有比丘、褰ㇾ衣小便、有ㇾ狗舐小便、復前含男根、彼受樂已還。出ㇾ疑佛問言、汝受樂不、答言受樂、佛言、汝波羅夷、時有比丘、褰ㇾ衣渡伊羅婆提河、有ㇾ魚含男根、彼不受樂。〔時に比丘有り、衣を褰(かか)げて小便す。狗(いぬ)有り、小便を舐(な)め、復(ま)た、前(すす)みて、男根を含む。彼、受樂し已(をは)りて還る。疑ひを出だして、佛、問ひて言はく、「汝、受樂せざるやいなや。」と。答へて言はく、「受樂せり。」と。佛、言はく、「汝、波羅夷たり。」と。時に比丘有り、衣を褰げて伊羅婆提河(いらばだいが)を渡る。魚、有り、男根を含む。彼は受樂せず。〕。不犯で無罪放免された。又佛在王舍城、〔又、佛、王舍城に在り。〕。萍沙王《ひやうさわう》の子無畏王子、其の男根を病む。令女人含之、後得差已云々、此女人憂愁不ㇾ樂、〔女人ををして、之れを含ましめ、後(のち)、差(い)ゆを得已(をは)んぬ云々、此の女人、憂愁(うれ)ひて樂しまず。〕。自《みづか》ら一計を出《いだ》し、王の前に全體を裸《ら》し、頭のみ、覆ふ。王、之を見て、「狂人か。」と問ふ。女、答て言く、不狂、是王子所ㇾ須故。我今覆護、何以故、王子常於我口中行ㇾ婬、是故覆護、〔「狂ならず。是れ、王子の須(もと)むる所を、我れ、今、覆ひて護(まも)る。何を以つての故か。王子、常に我が口中に於いて婬を行なふ。是の故に覆ひて護る。」と。〕。之を聞《きい》て、王、王子を詰《なじ》つたので、王子、大《おほい》に慙《は》ぢ、返報に、彼女に娼妓同樣、黑衣を著せ、安置城門邊、作如ㇾ是言、若有如是病者、當此婬女口中行ㇾ婬得ㇾ差。〔城門の邊りに安置し、是(かく)のごとき言を作(な)す。「若(も)し、是のごとき病ひの者、有れば、當に此の婬女の口中に於いて婬を行へば、差(い)ゆるを得べし。」と〕。蕭齊《せうせい》の衆賢譯「善見毘婆沙律」卷七には、蛤口極大、蛤口極大。若以男根蛤口。而不ㇾ足、如内瘡無異。得偸蘭遮罪。〔蛤の口、極めて、大なり。若(も)し、男根を以つて蛤の口に内(い)るるも、而(しか)も足らず。瘡(さう)に内るるがごとくにて異(かは)り無し。偸蘭遮罪(とうらんじやざい)を得。〕。前文に魚・龜・鼉・鼈・蛤と續け序(のべ)たれば、「はまぐり」で無《なく》て、蛙也。斯る異類の物の口婬さへ、印度に行われたのぢや。

[やぶちゃん注:『「今昔物語」二九卷に、小便する若き女の陰を、蛇が見て魅入《みい》れ、……』「今昔物語集」の巻第二十九の「蛇見女陰發欲出穴當刀死語第三十九」(蛇(へみ)、女陰(によいん)を見て欲を發(おこ)し穴を出でて刀(かたな)に當たりて死ぬる語(こと)第三十九)。かなり知られた話である。小学館『日本古典全集』版の第四巻を参考に、漢字を恣意的に正字化して示す。読点・送り仮名を追加し、段落を成形、鍵括弧改行も加えた。

   *

   蛇、女陰を見て欲を發し、穴を出でて、刀に當たりて死にたる語第三十九

 今は昔、若き女(をむな)の有りけるが、夏比(なつころほひ)、近衞(こんゑ)の大路を西樣(にしざま)に行きけるが、小一條と云ふは宗形(むなかた)なり、其の北面を行きける程に、小便の急なりけるにや、築垣(ついがき)に向ひて、南面に突居(ついゐ)て尿(ゆばり)をしければ、共に有りける女(め)の童(わらは)は、大路に立ちて、

『今や、爲畢(しは)てて、立(たつ)、立(たつ)、』

と思ひ立てけるに、辰の時[やぶちゃん注:午前八時。]許りにて有りけるに、漸く一時(ひととき)[やぶちゃん注:二時間。]許り立たざりければ、女の童は、

『何かに。』

と思ひて、

「やや。」

と云ひけれども、物も云はで、只、同じ樣にて、居たりけるが、漸く、二時許りにも成りにける。

 日も、既に午(むま)の時に成りにけり。

 女の童、物云へども、何(な)にも答へも爲(せ)ざりければ、幼き奴(やつ)にて、只、泣き立てたりけり。

[やぶちゃん注:当該ロケーション地は現在は京都御所内となっている。この中央附近相当

「宗形」宗像神社。清和天皇の産土神。現在は京都御所内のずっと南に移っている(前の地図でポイントしてある)。]

 其の時に、馬(むま)に乘りたる男(をとこ)の、從者、數(あまた)、具して、其こを過ぎけるに、女の童の泣き立てりけるを見て、

「彼(あ)れは、何(な)ど泣くぞ。」

と、從者を以つて問はせければ、

「然々の事の候へば。」

と云ひければ、男、見るに、實(まこと)に女の、中(なか)、結ひて、市女笠(いちめがさ)着(き)たる、築垣に向ひて蹲(うづくま)りて居(ゐ)たり。

「此(こ)は、何(いつ)より居たる人ぞ。」

と問ひければ、女の童、

「今朝より居させ給へるなり。此(か)くて、二時には成りぬ。」

と云ひて、泣きければ、男、怪がりて、馬より下りて、寄りて、女の顏を見れば、顏に、色もなくて、死にたる者の樣にて有りければ、

「此は何かに。病ひの付きたるか。例(れい)も此(か)かる事、有るや。」

と問ひければ、主(あるじ)は、物も、云はず。

[やぶちゃん注:「例(れい)も此(か)かる事、有るや。」「今までにも、こんな風になることが、あったのか?」。]

 女の童、

「前に此かる事、無し。」

と云へば、男の見るに、無下(むげ)の下衆(げす)には非(あら)ねば、糸惜(いとはし)くて、引き立てけれども、動かざりけり。

 然(さ)る程に、男、

「急(き)」

と、築垣の方(かた)を、意(おも)はず、見遣りたるに、築垣の穴の有りけるより、大(おほ)きなる蛇(へみ)の、頭(かしら)を、少し、引き入れて、此の女を守りて[やぶちゃん注:「見守りて」。凝っと見つめていたのである。]有りければ、

「然(さて)は。此の蛇の、女の尿(ゆばり)しける前(まへ)[やぶちゃん注:外陰部。]を見て、愛欲を發(おこ)して蕩(とらか)したれば、立たぬなりけり。」

と心得て、前に指(さ)したりける一(ひ)とびの劍の樣なるを拔きて、其の蛇の有る穴の口に、奧の方に齒をして、强く、立てけり。

[やぶちゃん注:「一(ひ)とびの劍」参考底本の別巻(第三巻)の六三三ページの注に、『「一佩」と同じものと推断する。短い腰刀の一種。一本差しの刀の意で、太刀をはかない時にも、それだけを腰に差したもの』とある。]

 然(さ)て、從者共を以つて、女を濟上(すくひあげ)て、其(そこ)を去りける時に、蛇、俄かに築垣の穴より、鉾(ほこ)を突く樣(やう)に出でける程に、二つに割(さ)けにけり。一尺許り割けにければ、え出でずして死にけり。早(はや)う[やぶちゃん注:何ということか。驚くべきことに。]、女を守りて蕩(とろか)して有りけるに、俄かに去りけるを見て、刀を立てたるをも知らで、出でにけるにこそは。

 然(しか)れば、蛇の心は、奇異(あさま)しく、怖しき者なりかし。

 諸(もろもろ)の行來(ゆきき)の人、集まりて見けるも理(ことわり)なり。

 男は、馬に打ち乘りて行きにけり。從者、刀をば、取りてけり。女をば、不審(おぼつかな)がりて、從者を付けてぞ、慥(たし)かに送りける。然(しか)れば、吉(よ)く病ひしたる者の樣(やう)に、手を捕らへられてぞ、漸(やうや)くづづ、行きける。

 男、哀れなりける者かな[やぶちゃん注:まっこと、情け深き人物ではあったなぁ。]。互ひに誰(たれ)とも知らねども、慈悲の有りけるにこそは。

 然(しか)れば、此れを聞かむ女、然樣(さやう)ならむ藪に向ひて、然樣の事は、爲(す)まじ。

 此れは、見ける者共の語りけるを聞き繼ぎて、此(か)く語り傳へたるとや。

   *

「三井寺で、若い僧、晝寢の夢に、若い美女、來たりて、婬す、と見、覺《さめ》て、傍を見れば、五尺許《ばか》りの蛇が、口に、婬を受けて、死居《しにをつ》た、と出づ」これは「今昔物語集」巻第二十九の「蛇見僧晝寢𨳯吞受媱死語第四十」(蛇(へみ)、僧の晝寢の𨳯(まら)を見、吞(の)み、媱(いむ)を受けて死にたる語(こと)第四十(しじふ))を指す(「媱」は「淫」に同じで、ここは「射精」を言う)。同前で他本も参考にしつつ、示す。

   *

   蛇、僧の晝寢の𨳯を見、吞み、媱を受けて死にたる語第四十

 今は昔、若き僧の有りけるが、止事無(やむごとな)き僧の許(もと)に宮仕へしける有りけり。妻子など、具したる僧なりけり。

 其れが、主(あるじ)の共に、三井寺に行きたりけるに、夏の比(ころほひ)、晝間に眠(ねぶ)たかりければ、廣き房(ばう)にて有りければ、人離(ひとはな)れたる所に寄りて、長押(なげし)を枕にして、寢(ね)にけり。

 吉(よ)く寢入りたりけるに、夢に、

『美き女(をむな)の若きが、傍らに來たると、臥(ふ)して、吉々(よくよ)く婚(とつ)ぎて媱(いむ)を行ひつ。』

と見て、

「急(き)」

と、驚き覺(さ)めたるに、傍らを見れば、五尺許りの蛇、有り。

 愕(おどろ)きて、

「かさ」[やぶちゃん注:オノマトペイア。「がばっ」。]

と、起きて見れば、蛇、死して、口を開きて有り。

 奇異(あさま)しく、恐しくて、我が前(まへ)を見れば、媱を行ひて、濕(ぬ)れたり。

『然(さて)は。我れは、寢たりつるに、美き女と婚ぐと見つるは、此の蛇と、婚ぎけるか。』

と思ふに、物も思(おぼ)えず、恐しくて、蛇の開きたる口を見れば、婬、口に有りて吐き出だしたる。

 此れを見るに、

『早(はや)う、我が吉く寢入りにける間(あひだ)、𨳯の發(おこ)たりけるを、蛇の、見て、寄りて吞みけるが、女を嫁(とつ)ぐとは思(おぼ)えけるなりけり。婬を行ひつる時に、蛇の、え堪へで、死にけるなりけり。』

と心得(こころう)るに、奇異(あさま)しく、恐しくて、其(そこ)を去りて、隱れにて[やぶちゃん注:人の見えない所で。]、𨳯を吉々(よくよ)く洗ひて、

『此の事、人にや語らまし。』[やぶちゃん注:「このこと、誰かに話してみようか?」。]

と思ひけれども、

『由無(よしな)き事、人に語りて聞えなば、「蛇に嫁(とつ)ぎたりける僧なり」ともぞ、云はるる。』

と思ひければ、語らざりけるに、尙、此の事、奇異く思(おぼ)えければ、遂に、吉(よ)く親(した)しかりける僧に語けるに、聞く僧も、極(いみ)じく、恐れけり。

 然(しか)れば、人離れたらむ處にて、獨り晝寢は爲(す)べからず。

 然(しか)れども、此の僧、其の後(のち)、別の事、無かりけり。

「畜生は、人の婬を受けつれば、え堪へで、死ぬ。」

と云ふは、實(まこと)なりけり。

 僧も、臆病に、暫くは病み付きたる樣(やう)にてぞ有りける。

 此の事は、其の語り聞せける僧の語りけるを聞きたる者の、此く語り傳へたるとや。

   *

「アウパリシュタカ」口淫。フェラチオ(Fellatio)。

「閹人(ユーナツク)」宦官に同じ。東洋諸国で宮廷や貴族の後宮に仕えた、去勢された男子。中国・オスマン帝国・ムガル帝国などに多かった。王や後宮に近接しているため、勢力を得やすく、政治に種々の影響を及ぼした。Eunuch(ギリシャ語由来の英語)。

『「ヴワチャナ」梵士』何度も出、注もした古代インドの「カーマ・シャーストラ」(性愛論書)の一つとして知られた「カーマ・スートラ」の著者ヴァーツヤーヤナのこと。

『姚秦譯「四分律藏」』以下は総て「大蔵経データベース」で校合した。熊楠は短縮するために、どれも一部を改変している。例えば、「佛在毗舍離城」「佛、毘舍離城に有り。」というのは熊楠の誤った作文と推定され、近いのは、ずっと前にある「爾時世尊在王舍城」で、「爾(こ)の時、世尊、王舍城に在り。」である。最もひどいのは、「復前含男根、」以下の部分のカットで、犬に口淫させた比丘を熊楠は「彼不受樂不犯」とするところで、意味が通らなくなってしまっているのである。これは実は熊楠が安易にカットしたために生じた大誤謬である。本文ではそこを復元してある。則ち、「時有比丘、褰ㇾ衣渡伊羅婆提河、」の前の部分である。私の復元と推定訓読を底本と比較されたい。それにしても、どうして誰もこのトンデモ引用の誤りを指摘しなかったのだろう? 所持する「選集」(一九八四年版)でも補正されて訓読しているものの、誤った当該部はそのまま訓読されてある。初出から実に五十八年以上に亙って誰にも検証されていないというのは、話柄の内容が性に係わるとはいえ、放置されてきたこの為体には、正直、呆れ果てたと言わざるを得ない。

「波羅夷罪」波羅夷(はらい)は仏教の戒律で最も重い罪を指す語。サンスクリット語「パーラージカ」(「他に勝(まさ)ること」の意)の漢音写で、「根本罪」「辺罪」とも言う。修行者がこの罪を犯すと、僧伽(そうぎゃ:出家教団)から永久に追放される大罪とされる。比丘戒の波羅夷は、①淫(性交)を犯す。②物を盗む。③殺人(堕胎を含む)。④大妄語(悟りを得ていないのに得たと嘘を言うこと)の四条からなるが、比丘尼戒の波羅夷には、さらに四条(「触」(欲心を持ちつつ、男性に首下から膝上までの領域を触られること)・「八事」(男性との八種の淫らな逢瀬)・「覆」(波羅夷を犯した他の比丘尼を告発せずに匿すこと)・「随」(僧伽に背く比丘に随っていることに対する、他の比丘尼からの注意に三度に亙って従わないこと)が加わり、全八条から成る(小学館「日本大百科全書」及びウィキの「波羅夷罪」に拠った)。

「伊羅婆提河」比定河川不詳。

『蕭齊の衆賢譯「善見毘婆沙律」』(ぜんけんりつびばしゃ:現代仮名遣)は上座部所伝の律蔵を注釈したもの。全十八巻。南北朝時代の斉の僧伽跋陀羅による漢訳であるが、四四〇年頃のインドのマガダの学僧ブッダゴーサがセイロン (現在のスリランカ)で撰述した律蔵の注釈の抄訳といわれている。第一から第三結集までを述べ、アショーカ王の子マヒンダがセイロンに渡って弘法に努めたこと、さらに比丘・比丘尼の戒律を詳しく記述している(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。例によって「大蔵経データベース」で校合した。最後の「罪」は原本にはないが、判り易いのでそのままとした。

『「はまぐり」で無て、蛙也』「蛤」の字はハマグリに限らず、海産斧足類(二枚貝)の総名であるが、同時に「蛙」の意も持つ。]

 又、畜生同士、口婬の例は、「摩訶僧祇律」卷六に、佛、迦蘭陀竹園《からんだちくえん》に在(おは)せし時、優陀夷《うだい》の方《かた》へ、知れる婆羅門、其婦を伴來《つれき》たり、諸房を示さん事を請《こひ》しに、優陀夷於一屛處、便捉婦人手把持抱、婦人念言、此優陀夷必欲ㇾ作ㇾ如ㇾ是如是事、弄已還放、語婆羅門云、我以已示竟云々、彼婦以優陀夷不共行欲故、便瞋言、用ㇾ看房舍、爲此是、薄福黃門出家、遍摩觸我身、而無好事、時婆羅門語優陀夷言、汝實於ㇾ我知識、而生非知識想耶、而於平地更生堆阜耶、而於水中更生火想耶。〔優陀夷、屏處(ものかげ)に於いて、便(すなは)ち、婦人の手を捉(と)り、把持(かか)えて、抱(いだ)かんと捉(とら)ふ。婦人、念言(おもふ)らく、『此の優陀夷、必ずや、是(か)くのごとく作(な)し、弄(たはふ)れ已(をは)れば、還(ま)た、放つならん。』と。婆羅門に語ひて、「我れは、以つて、示し竟(をは)れり。」と云々。彼(か)の婦は、優陀夷、以つて、共に欲を行はざるが故に、便(すなは)ち、瞋(いか)りて言はく、「房舍を看るを用ひて、此(か)くのごときことを爲(な)す。薄福(さちうす)き黃門(わうもん[やぶちゃん注:去勢。])せる出家、遍(あまね)く我が身を摩(な)で觸(さは)るも、而(しか)も好(よ)き事、無し。」と。時に、婆羅門、優陀夷に語って言はく、「汝は實(まこと)に我れに於いて、知識なり。而(しか)るに、非知識の想を生ずるや。而して、平地に於いて、更に堆阜(をか)を生ずるや。而して、水中に於いて、更に火を生ずるや。」。〕とて、優陀夷の頸を繫ぎ、牽去《ひきさ》りて、佛《ほとけの》所に之《ゆ》き、告ぐ。佛、優陀夷を罰し、其《その》因緣を說く。過去世時、香山中有仙人住處、去ㇾ山不ㇾ遠有一池水、時池水中有一鼈、出池水求食、食已向ㇾ日張ㇾ口而睡、時香山中有諸獼猴、入ㇾ池飮ㇾ水、已上ㇾ岸、見此鼈張ㇾ口而睡時、彼獼猴便欲ㇾ作婬法、卽以身生鼈口中、鼈覺合ㇾ口、藏六甲裏、如所ㇾ說偈言、愚癡人執ㇾ相、猶如鼈所一ㇾ咬、失修摩羅提、非ㇾ斧則不離。〔過去世の時、香山中(かうざんちゆう)に仙人の住む處、有り。山を去ること、遠からず、一つの池水、有り。時に、水中に一つの鼈(べつ[やぶちゃん注:スッポン。])有り。池水を出でて、求め食らひ、食らひ已(をは)りて、日に向かひ、口を張(あ)けて、睡(ねむ)る。時に、香山の上に諸(もろもろ)の獼猴(びこう)[やぶちゃん注:猿。]あり、池に入りて、水を飮む。已りて、岸に上がり、此の鼈の、口を張けて睡れるを見て、かの獼猴、便(すなは)ち、婬法(いんぱふ)を作(な)さんと欲す。卽ち、身生(しんしやう)[やぶちゃん注:ここは陰茎のこと。]を以つて、鼈の口中に内(い)れり。鼈、覺(めざ)め、口を合(がつ)し、六(りく)[やぶちゃん注:頸・四肢・尾。]を甲(かうら)の裏(うち)に藏(かく)す。說く所の偈(げ)のごときに言ふ、愚癡(ぐち)の人の相(さう)を執(と)るは、猶ほ、鼈に咬(か)まれて、摩羅提(まらだい)[やぶちゃん注:陰茎。]を失修(しつしゆ)し、斧に非(あら)ざれば、則ち、離れざるがごとし。」と。〕。鼈《すつぽん》は猴《さる》の陰《まら》を嚙《かん》だ儘、水に入れんと却行《あとずさり》し、猴は往《ゆ》かじと角力《あらそ》ふ内、鼈、仰《あほの》けに轉がり廻る。猴、鼈を抱き、仙人を訪《おとな》ひ、救ひを求め、仙人、猴の難を脫せしめた。仙人は、佛、鼈は、婆羅門、猴は優陀夷の前身ぢや、と有る。此樣《このやう》に口婬の話が佛典に多いから、上述、三井寺で僧が蛇の口を犯して美女と會ふと夢みたてふ「今昔物語」の譚抔も出來たのだろう[やぶちゃん注:ママ。]。

[やぶちゃん注:『「摩訶僧祇律」卷六』の引用は同じく「大蔵経データベース」で校合した。

「迦蘭陀竹園」「竹林精舍」(ちくりんしょうじゃ)とも呼ぶ。釈尊時代、中インドの最強国であったマガダ国の首都王舎城(ラージャグリハ。現在のビハール州ラージギル)の郊外に造られた僧園。サンスクリット名「ベーヌバナ・カランダカ・ニバーパ」と称した。迦蘭陀長者が寄進したものとも、「カランダカ」という栗鼠或いは鳥の住する竹で囲まれた園林をビンビサーラ王が奉献したものともされる。これは釈迦によって初めて受納された僧園で、成道(じょうどう)後の二、三、四年目の雨安居(うあんご)をここで過ごしたと伝えられる。玄奘によれば、この東に仏陀入滅に際して八分された舎利の一つを祀る、阿闍世王によって建てられた仏塔があったという(小学館「日本大百科全書」に拠った)。

「優陀夷」は「ウダーイ」「ウダーイン」の漢音写で、釈迦の弟子の一人で「勧導第一」の弟子と称された。]

 序いでに言ふ。「五雜俎」九に、水碓《みづからうす》、番する壯士、虎に打《うた》れ、上に坐らる。其時、水車、飛《とぶ》が如く動くを、虎が見詰《みつ》め居《を》る内に、其人甦つたが、手足壓へられて、詮術《せんすべ》、無い。所ろが、虎の陰莖、翹然(によつきり)口に近きを見、極力、嚙付《かみつ》くと、虎、大《おほい》に吼《ほえ》て、逃去《にげさつ》た。又、昭武、鄕に、熊、多く、其勢《へのこ》[やぶちゃん注:陰茎。]、極《きはめ》て長く、坐する每《ごと》に、先づ、土に穴掘り、其勢を容《いれ》て後《のち》、坐る。山中の人、其穴を見付《みつけ》て、其上に桎梏《しつこく》[やぶちゃん注:挟ませて対象物を捕える枷罠(かせわな)。]を置き、機《ばね》を設《まう》く。熊、例の如く來て、其大事の物を穴に入れると、機、動き、兩木《りやうぼく》で莖《くき》を夾《はさ》まれ、號呼して、復《また》、起つ能はず、擊殺《うちころ》さると有るは、猴が鼈に一件を嚙まれたと、三幅對の珍談ぢや。又「根本說一切有部毘奈耶雜事《こんぽんせついつさいうぶびなやざつじ》」三一に、比丘尼共が園林中に默坐思惟すると、虫が來て、不便處《ふべんしよ》に入り、苦惱す。因《より》て、佛、半跏を命ぜしに、尙、細蟲、有り、身に入《いり》て惱ます。佛、命じて、故破衣(ぼろぎぬ)と輭葉《なんえふ》[やぶちゃん注:柔らかな葉。「輭」は「軟」の異体字。]で掩ふて寂定《じやくぢやう》を修《しゆ》せしめた、と有る。不便處とは大小便處を云《いふ》たらしい。

[やぶちゃん注:「五雜俎」「五雜組」とも表記する。明の謝肇淛(しゃちょうせい)が撰した歴史考証を含む随筆。全十六巻(天部二巻・地部二巻・人部四巻・物部四巻・事部四巻)。書名は元は古い楽府(がふ)題で、それに「各種の彩(いろどり)を以って布を織る」という自在な対象と考証の比喩の意を掛けた。主たる部分は筆者の読書の心得であるが、国事や歴史の考証も多く含む。一六一六年に刻本されたが、本文で、遼東の女真が、後日、明の災いになるであろう、という見解を記していたため、清代になって中国では閲覧が禁じられてしまい、中華民国になってやっと復刻されて一般に読まれるようになるという数奇な経緯を持つ。以上は巻九の「物部一」の一節(一つの話の中のある人物の台詞内の話)。今回は早稲田大学図書館「古典総合データベース」の寛政七(一七九五)年の訓点附き板本の当該部を元に電子化する。白文(句読点を打った)をまず示し、後に訓点を参考に書き下す。

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近歲、有壯士守水碓。爲虎攫而坐之。碓輪如飛、虎觀良久、士且甦、手足皆被壓不可動、適見虎勢、翹然近口、因極力嚙之。虎驚、大吼躍走、其人遂得脫。

   *

 近き歲(とし)、壯士の水碓(みづうす)を守る有り。虎の爲めに攫(つか)みて、之れに坐せらる。碓(うす)の輪(わ)、飛ぶがごとし。虎、觀ること、良(やや)久し。士、且つ、甦へる。手足、皆、壓(お)されて動くべからず。適(たまた)ま、虎の勢(へのこ)、翹然(げうぜん)として、口に近きを見て、因りて、力を極みに、之れを嚙む。虎、驚き、大いに吼(ほ)え、躍り走る。其の人、遂に脫(のが)るゝを得たり。

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熊の方も見つけた。同じ巻の前話の少し後のここ。同様に処理する。

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昭武謝伯元言、「其鄕、多熊。熊勢極長。毎坐必跑土爲窟、先容其勢、而後坐。山中人尋其窟穴、見地上有巨孔者,以木爲桎梏、施其上、而設機焉。熊坐、機發、兩木夾其莖。號呼不能復起、土人卽聚而擊之。至死不能動也。

   *

昭武の謝伯元の言はく、「其の鄕(がう)、熊、多し。熊の勢(へのこ)、極めて長し。毎(つね)に坐するときは、必ず、土を跑(あが)いて、窟(くつ)を爲(つく)り、先づ、其の勢を容れて、而して後(のち)、坐す。山中の人、其の窟穴を尋ね、地上に巨孔(きよこう)の有る者を見て、木を以つて、桎梏(しつこく)を爲(つく)り、其の上に施して、機(からくり)を設(まう)く。熊、坐はれば、機、發(はつ)して、兩木、其の莖を夾(はさ)む。號呼(がうこ)するも、復た、起くること能はず、土人、卽ち聚(よ)りて之れを擊つ。死に至るまで、動くこと能はざるなり。」と。

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「唐義淨譯『根本說一切有部毘奈耶雜事』」は何度も出てきている。今までと同じく「大蔵経データベース」で本文を確認した。特に大きな問題はない。

「不便處」熊楠は最後にかく言っているが、この漢語は、人間の両性の生殖器を指す語である。]

 

追 記 (大正三年四月『民俗』二年二報)

 前に引いた「和漢三才圖會」とレオ・アフリカヌスの記文を英譯して、八月二日の『ノーツ・エンド・キーリス』に出すと、同月三十日の分に次のような二文が出た。先づ、プリドー大佐言く、『往年、在インドの節、聞《きい》たは、土著《どちやく》の一英人、入浴中、壁に穿つた排水孔より、蛇、入り來《きた》るを見て、その人、恐れて詮術《せんすべ》を知らず。翌日、復《また》入り來り、排水孔より出去《いでさら》んとする時、尾を捉えて[やぶちゃん注:ママ。]引《ひい》たが、蛇、努力して、迯去《にげさつ》た。三日目にも來たが、今度は、去るに臨み、先づ、尾を孔に入れ、彼《かの》人を見詰め乍ら、身を逆《さかしま》にして迯去た。何と、蛇は、評判通り、慧(かしこ)い者ぢや。』と。次にフェヤブレイス氏曰く、『日本人は穴に入掛《いりかけ》た蛇の尾を捉へて引出す能はぬか知《しれ》ぬが、二十年斗り前、印度で、英人、獨りで、殆んど八呎[やぶちゃん注:二メートル四十四センチ弱。]、長き蛇を引出すを見た。』と。扨、田邊近き芳養(はや)村の人に聞くと、蛇の尾を捉へて、一人で引出すは六かしいが、今一人、其人を抱きて引くと、造作も無く、拔け出る由。

[やぶちゃん注:「八月二日の『ノーツ・エンド・キーリス』」の南方熊楠の当該投稿記事は、「Internet archive」の‘Notes and queries’のこちらの右ページで読め、以下の二氏の応答記事はここで読める。

「紀州芳養(はや)村」底本は「たや」と誤植。旧和歌山県西牟婁郡に上・中・下芳養村があった。だいたい、この中央の南北附近(グーグル・マップ・データ)。]

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