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2022/11/27

大和怪異記 卷之四 第十 蜘蛛石の事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]

 

 第十 蜘蛛石(くもいし)の事

 紀伊国那賀郡貴志庄《きいのくになかのこほりきしのしやう》北山村の西北山の半腹に、「蜘蛛石」とて、大小、數十(す《とう》)、皆、白色(しろいろ)なり。

『むかし、此所に「大くも」ありて、徃來(わうらい)の人を、なやますとき、貴志正平といふ者、かの「くも」を、退治す。蜘蛛がほね、石となれり。』と云傳(《いひ》つた)ふ。「紀州志」

[やぶちゃん注:「紀州志」既出既注であるが、再掲すると、「南紀名勝志」或いは「紀州名勝志」・「南紀名勝略志」という名で伝わる紀州藩地誌の写本の中の一冊であろう。底本と同じ「新日本古典籍総合データベース」の「南紀名勝志」を参看したところ、同書の「那賀郡」のここにあった。本篇の内容とほぼ同様であるが、一点、原拠では、退治した貴志正平を『社司』としている。

「紀伊国那賀郡貴志庄北山村の西北山」現在の地名としては、和歌山県紀の川市貴志川町北山となるのだが、「ひなたGPS」で戦前の地図を見てみると、「北山」は大字名であることが判り、この時には、「那賀郡中貴志村」に統合されていたことが判る。さらに、その西部分には「口北」・「西出」・「西山」の地名が確認されることから、私は、この蜘蛛石の比定地を現在の北山の西方の、この辺りではないかと、一旦は考えた。ところが、それを再検証しようと、調べてみたところ、サイト「ニュース和歌山」の「妖怪大図鑑」の「其の百弐拾〜蜘蛛血石(くもちいし)」に酷似する怪石が、この同じ貴志川町にあるとする記事があるのを見つけた。そこには、『紀の川市貴志川町、高畑山にある白岩には、白い肌に点々と血で染めたような斑がついていて、地元で「蜘蛛血石」と呼ばれている。かつて高畑山に棲んでいた大蜘蛛を坂上田村麻呂が退治した時、大蜘蛛が流した血の痕だという。現在なお、この山には「蜘蛛血石」がごろごろあるというが、ある男がこの石を持ち帰ったところ、石から夜な夜な「高畑山へ帰してくれ」と声が聞こえてきた。他にも、夜中に泣き出すとか、色が変わるとか、奇妙な現象が絶えなかった。』とあるのである。これは退治者が高名な人物であるが、間違いなく、本篇の石であると考えてよいだろう。そこで「高畑山」がポイントになる。調べた結果、山の名は見出せなかったものの、「紀の川市役所」の「農林整備課」の作成になる詳細を極めた「紀の川市ため池マップ」PDF)の「3」の「302085197」番の溜め池の名に貴志川町「高畑池」が載っていた。しかも、これをグーグル・マップ・データで見ると、貴志川町北山に辛うじて含まれてある、北の山間の池(中央の種型の小さなもので東の貴志川町丸栖に突き出ている。これはこの池の水が北山地区の水利用であることを示すものである)であることが判明した。さればこそ、やはり、この比定地は和歌山県紀の川市貴志川町北山でよかったのであった。而して、北山地区の産土神の『社司』であると仮定すれば、一つ、北山地区にあって、高畑池の南麓にある北山妙見宮(グーグル・マップ・データ)が候補となるか。ゆきまる氏のブログ「ゆきまるのブログ」の「北山妙見宮(紀の川市貴志川町北山)」を見ると、『旧那賀郡貴志荘北山村に鎮座とあるが、『紀伊続風土記』に記載なし。明治時代以降の造営と思われるが、境内に昭和53年(1978年)4月に改築した記念碑があり、これ以前にはすでに存在していたと思われる』とあったので、候補たり得るものと私は考える。先の「ひなたGPS」で見ると、山の名が「御茶屋御殿山」とあるのだが、その南の山腹に実に「白岩」とあるのを発見した。ますますここの可能性が、いや高である。私は高校時代地理Bまで、三年間、地理を習った地理フリークで、旅行は好まないものの、地図を調べるのは、頗る好きで、こうした検証は、只管、面白いのである。]

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